1. NEBO
リヴェットは次第に意識が戻り、ぼんやりとしていた視界が、少しずつ見えてくるようになりました。
真っ暗な部屋の入り口から、一筋の光が差し込んでいました。
その光はリヴェットが倒れている冷たい床と、傍に佇む小さなクラックスを照らしていました。
それはとても心地の良い、暖かい光でした。
頭の中で、アトリアの声が響きました。
「....リヴェット....リヴェット!」
「....アトリアちゃん?」
「リヴェット!よかった.....」
まだ記憶がはっきりと戻らず、不安で一杯だったリヴェットでしたが
アトリアの声を聞くと、心が不思議と落ち着いていくのを感じました。
リヴェットはゆっくり起き上がると、そこが見覚えのない場所である事に気が付きました。
「私達、クラックスのゲートを潜って、それから....」
リヴェットは光が差し込んでくる入り口の方を振り返りました。
「....ここは?」
リヴェットはゆっくりと立ち上がり、光が差し込んで来る入り口の方へと、よろよろ歩いていきました。
部屋を出ると、あまりの眩しさに目がくらみ、手で額を覆い隠しました。
強い風がリヴェットの体にぶつかり、小さな白い翼をゆらしました。
目が明るさに慣れてくると、キャットウォークのように細長い鋼鉄の通路が少しずつ見えてきました。
左手には、青々とした空が広がっており、眼下には大きく分厚い雲がいくつも流れていくのが見えました。
周囲の壁が、遥か雲の下まで伸びている事から、そこは飛行船ではなく、とても高い建造の上層階である事がわかりました。
リヴェットは、その空が今まで見たことも無い程の深い青色.....群青色の空である事に気が付きました。
遥か空の彼方に目を移すと、これまでずっと見上げてきた青い星の様子が、少し異なりました。
アクアブルーを帯び、大陸の形がはっきりと見え、リングが少し縦の角度でまわり込んでいます。
それらが何を意味するのか、リヴェットは直ぐに答えが分かりました。
「アトリアちゃん.....私達、とうとう来たんだね....NEBOに.....」
「(はい....私も、初めてです......)」
二人は暫くの間、そこに立ち尽くしました。
リヴェットはその空を見て、自分が遥か遠い世界で、たった一人だけになってしまったような孤独と不安を感じていました。
それを心の中で悟ったアトリアは、フッとリヴェットの傍に姿を現し、小さな手をリヴェットの頬に触れる仕草をしました。
「アトリアちゃん....出てこれるの?」
「.....はい。今はルシーア号ではなく、リヴェットを媒介しています。こんなに遠くへ来ても一緒に居られるのはその為なのです。
リヴェット。姿が見えた方がよろしいかと思いまして.....」
アトリアの言った通りでした。もし今、アトリアがここから消えてしまったら、きっと孤独と不安に押しつぶされ、身動きが取れなくなってしまうのではないかと思ったからです。
互いの心が通じ、尚且つ姿が見える事は、何にも増して安心感がありました。
眼下を埋め尽くしていた大きな入道雲が風で流れていくと、その合間から黄色に輝く大地が見えてきました。
それは陽の光を受けて眩く輝き、まるで金色の絨毯が広がっているようでした。
「綺麗だね....」
「はい....」
二人は思わず息をのみました。しかし何故かはわかりませんが、ずっと眺めていると、リヴェットは次第に悲しい気持ちになりました。
.....その情景に名残惜しさを感じながらも、ようやく歩みだした二人は、長い渡り廊下を進んでいき、向かい側の建物の中へと入っていきました。
リヴェットはソーラス語で記されたホログラムの案内標識を、アトリアの記憶を頼りに読み解きながら、
地上へ降りる事が出来るシャトルエレベーターを見つけ出しました。
シャトル・エレベーターは、20メートルはあるとても広い空間で、奥はガラス張りになっており、展望エレベーターのように外の景色を見渡す事が出来ました。
リヴェットが窓越しから外を見下ろすと、エレベーターのドアが自動的に閉まり、ゆっくりと....やがてスピード上げて降下していきました。
地上が少しずつ迫っていくにつれて、地平線の先まで広がる金色の絨毯が、花畑であること.....一面に広がる、広大なひまわり畑である事がわかりました。
それはまるで天国ではないかと思うような、神秘的で美しい光景でした。
シャトル・エレベーターが地上階に到着し、扉が開くと、リヴェットは駆け出し、正面のエントランスから外へと出ました。
心地の良い風がリヴェットの体にぶつかり、小さな白い翼を揺らしました。
リヴェットはその光景に、見覚えがありました。そう.....リヴェットの夢に見てきた、あの光景だったのです。
吸い込まれえてしまいそうな程、深い群青色に染まった空。
空に浮かぶ、とても雄大で美しい、青い星。
遥か彼方の地平線まで、見渡す限り広がるひまわり畑。
.......ずっと心の中に抱いていたあの光景。それが今、目の前に現れたのです。
リヴェットはその場にしゃがみこみ、涙が溢れてきました。
それは、このあまりにも美しい光景に感動したからだけではありませんでした。
そこにとても哀しい意味があることを、心の奥底で感じ取っていたからだったのです。
アトリアが傍にやって来て、リヴェットを慰めるように手を触れ、心配そうに見つめていました。
「ごめんね....アトリアちゃん。私、泣いてばかりだよね...,,」
「リヴェット....」
アトリアが首を振りました。
ウェレンスヴァニアでレティシア達とはぐれ、悲しみに暮れていた時からずっと、アトリアはリヴェットを支えてくれていました。
ヴィーナスラインが輝く美しい黄昏の大空で、NEBO-SYSTEMでアトリアと心と体が一つになった時、
アトリアが抱いている想いに触れ、二人は強い絆で結ばれました。
それでもリヴェットは、この健気な妖精を抱きしめる事が出来ないのが、非常にもどかしく感じていました。
二人は暫くの間、広大なひまわり畑の中を真っ直ぐに伸びる道を、あても無く歩き続けていると、
遥か上空を小さな飛行艇が飛んでいる事に気が付きました。
あれもきっと、無人の機械なのだろうか....そう思って眺めていると、その機影からコウモリのような飛び方をする鳥が、
リヴェット達に目掛けて少しずつ降下してくるのが見えました。
そのコウモリのような鳥は、リヴェット達のすぐ近くまで降下し、頭上をぐるぐると飛び回りはじめました。
それはよく見ると、コウモリのような翼のついた、可愛らしいロボットでした。
飛行艇は殆ど音を立てずに飛んでいた為、リヴェットのすぐ頭上まで迫っている事に気がついたときには、既に着陸態勢に入っていました。
飛行艇はひまわり畑の中の石畳の道に垂直降下すると、やがて静止しました。
自動扉がゆっくり開くと、機内からアトリアと同じくらいの大きさの妖精が飛び出してきました。
クリーム色で少しカールしたセミロングの髪、背中には妖精のような羽が生えており、リヴェットとよく似た不思議な衣装を身に纏い、アトリアと同じ様にぼんやりとした光の膜に包まれていました。
妖精はリヴェット達の目の前まで近づいて来ると目を瞑り、ゆっくりとお辞儀をすると、聴きなれない言葉で喋りました。
「クルアット、トレファース.....」
「あ....あの、その.....こんにちわ.....」
リヴェットは慌ててしまい、つい自分の言葉で返してしまうと、妖精は少し驚いた表情で、今度はごく聞きなれた言葉で話し始めました。
「あら? ごめんなさい、私ったらつい....そういえばもう向こうの世界では、ソーラスの言葉は使われてはいませんでしたね.....」
妖精は改めてお辞儀をしました。
「初めまして。私はAI.スピカです」
「あ....えっと.....リヴェットといいます。それと.....あれ? アトリアちゃん....どこ?」
リヴェットはアトリアの姿を探しました。アトリアはリヴェットの翼の背後に隠れて身を潜めていました。
「アトリアちゃん......大丈夫だよ、出てきて....」
アトリアはゆっくりと、恥ずかしそうに姿を現しました。
「この子はアトリアといいます....えと....私達はその.....」
「ええ、NEBO-Systemですね。怖がらないで下さい。私はあなたと同じなのですから.....」
アトリアは無言のままお辞儀をしました。スピカは優しく微笑みました。
「ふふっ.....ずっとお二人をお待ちしておりました。さあ、こちらへ」
リヴェット達はスピカに誘われるまま、彼女が乗ってきた飛行艇に搭乗しました。
内装はルシーア号とよく似ており、露骨な機械類は殆ど見当たらず、光沢を放つ黒い床と壁で覆わていました。
「ハンス。行きますよ」
そう言うと、コウモリ型のロボットがあわてて機内に入ってきました。
スピカは目を閉じました。すると、リヴェット達の頭の中に声が響きました。
「....クラウディア、私です。これからリヴェット様達を連れて戻ります」
「無事に見つけられたみたいですね....良かった。早く会いたいです。」
スピカが話していた相手は、幼い少女の声でした。
飛行艇がゆっくりと浮上していきました。20mほど上空に達すると次第に加速し、青い星が浮かぶ方角へと進んで行きました。
暫くすると、機内の黒く覆われた壁が突然消滅し、外の風景が360度見渡せるようになりました。
リヴェットは驚いて思わず体が震えました。
スピカがクスっと笑いながら言いました。
「この機体は光を反射、或いは吸収する事が出来る素材が使われております。窓ガラスと壁が、いつでも自在に変化出来ると言えば分かりやすいかもしれませんね....」
リヴェットはアトリアと融合し、共に空を飛んだ時の事を思い出しました。
この技術にも、きっとソーラス人達の空への想いが込められているような気がしていました。
上空から見渡す光景は、どこまで行っても.....ひまわり畑と、雄大な入道雲が流れる群青色の空ばかりでした。
その中に点在する、天高く突き出た鋭塔と、そして前方のアクアブルーに輝く青い星のみが、方向感覚と距離感を示してくれていました。
スピカは優しい声で説明しました。
「ここは”NEBO”と呼ばれております。前方に見える青い星がオールドホーム。リヴェット様がいた世界です。
このNEBOとオールドホームは連星でしたが、全てが生まれた母なる星があのオールドホーム。NEBOは、ソーラス人達が入植した星なのです」
「あの....スピカさん。ソーラスの人達は.....この星には居るのですか?」
「.....リヴェット様。その質問は、きっと私よりもクラウディアからお答え頂いた方がよろしいでしょう」
それから暫く沈黙が続きました。リヴェットはひまわり畑の風景をじっと眺めていると、南西の方角から、大きなアーチ状の建造物が見えてきました。
色取り取りの花に覆われたアーチ状のオブジェには、いくつもの風車が取り付けられていましたが、どれも動いてはいませんでした。
アーチの向こうには、シューガルデンの街並を彷彿とする高層ビルや鋭塔がいくつも見られました。
リヴェットの視線に気がついたスピカが、少し寂しそうな口調で言いました。
「.....あれは、ソルナ・ティエナの市街地です。かつて、このNEBOの中枢都市でした」
飛行艇が北の方角へ旋回していきました。ソルナ・ティエナの街並みが後方へと移動し、少しずつ離れていきました。
「ソルナ・ティエナには、決して近づいてはなりません。あのアーチを超えたら、二度とこの世界へ戻る事は出来ません」
スピカはそう言うと、暫く口を閉ざしてしまいました。
飛行艇が向かう遥か前方に、白い大きな古城が、ひまわり畑の中から突き出す形で佇んでいました。
青い円錐型の屋根が付いた4つの塔があり、高い城壁に囲まれ、周囲は青々と染まる芝生や森林に覆われていました。
それはまるで、金色に輝く海の中に浮かぶ、小さな島のように見えました。
「スピカさん、あれは....」
「ガーシュタイン城です、リヴェット様。
かつては名門ガーシュタイン一族の本家がここにありました。今はNEBOと、そして世界の行く末を見守る、最後の観測所です」
飛行艇はゆっくりと空中浮揚しながら、城の正面玄関の前に広がる、円形の石畳に向けてゆっくり降下していき、音や衝撃も無く穏やかに着陸しました。
2. クラウディア
飛行艇を降りると、心地の良い風に乗って、どこからともなくトランペットの音色が聞こえてきました。
それは美しくもどこか寂しい音色でした。
スピカに案内され、森林に覆われた石畳の道を古城の門に向って歩いて行くと、その音色は次第にはっきりと聞こえてくるようになりました。
古城の門の傍で、誰かがトランペットを吹いているようでした。
更に接近していくと、そのトランペットを吹いているのが少女である事がわかりました。
少女は淡い藍色に輝く長い銀髪、リヴェットが召しているのとよく似た、ソーラスの紋章が描かれた紺色ドレスを身に纏い、そして背中には黒い翼が生えていました。それはリヴェットがこの冒険で出会った、最初のソーラス人でした。
少女はトランペットの演奏を終えると、ゆっくりとまぶたを開きました。美しくもどこか不気味な....赤い瞳が印象的でした。
少女は満面の笑顔でリヴェット達を見つめて言いました。
「こんにちわ。NEBOへようこそ。ずっとあなた達を待っていました」
少女は左腕をおなかに添えて、古風で丁寧なお辞儀をしました。
「初めましてリヴェット、アトリア。私はクラウディア・ガーシュタインといいます」
「は....初めまして....」
二人も手を前に添えて、お辞儀をしました。
「とても辛い旅だったでしょう。ここでゆっくりしていきなさい。
そう.....ここがあなた達の旅の終着点でもあるのですから」
クラウディアは何か意味のありそうな事を言いました。
「スピカ、紅茶を入れて下さいな」
「はい」
スピカは先に門を潜り、古城の中へと入っていきました。クラウディアは再びリヴェット達の方を向き、手を差し出して言いました。
「来て」
リヴェットは少し照れながらクラウディアの手を取りました。
それは小さくてとても綺麗な手でした。二人は手を繋ぎながら、古城の中へと入っていきました。
アトリアはムッとしながら、リヴェット達の後をついていきました。
「あの....クラウディアさん...その....」
リヴェットは緊張で上手く喋れませんでした。しかしクラウディアはリヴェットの訊きたい事は全て分かっているかのように答えました。
「ええ....さっき言った事、気になるのですね。でも、焦る事はありません。答えは一つずつ、ゆっくり理解していけばいいんです。
リヴェット。ここはオールドホームと時間の流れが違うんです。何日......いいえ、何年居ても、外の時間はさほど変わる事は無いんです」
3人が近づくと大きな扉がギギ...と音を立てながら開きました。誰かが開いてくれたのかと思いきや、中には誰もいませんでした。
エントランスホールはとても暗く、天井に添えられたシャンデリアが穏やかな光で広い空間を照らしていましたが、天井まで貫く柱の影は暗闇となっており、まるで闇の中からぼんやりと浮かびあがっているような印象でした。
入り口の門から伸びる赤い絨毯の敷かれた廊下は、ステンドグラスから差し込む光で輝いており、その先には緩やかなカーブを描く階段があり、途中の踊り場から左右に分かれて伸びていました。
クラウディアはエントランスホールから左手の扉に向かっていきました。
両開きの扉の片方を開いて中へ案内されると、そこはリビングになっていました。
スケールは比べ物にならない程大きいものでしたが、リヴェット達が暮らしていたお屋敷のリビングとよく似た居心地の良い雰囲気で、まるで家に帰ってきたかのように感じられました。
部屋の中の小さなシャンデリアの手前まで来ると、クラウディアが言いました。
「リヴェット....ちょっとだけ、そこに立っていて下さいね」
クラウディアは手を離すと、とても嬉しそうな表情でリヴェットの姿を見まわしました。
リヴェットはとても恥ずかしくなりました。
クラウディアが一周してリヴェットの目の前に立ち止まりました。
「リヴェット。その衣装、よく似合っていますよ」
「あ....ありがとうございます。でも、これはアトリアちゃんの.....」
「ええ、分かっています。私もあなたと同じ様に、NEBO-SYSTEMでスピカと融合しているのです」
「え?」
「その話はまた後でしましょう。ねえリヴェット。それはソーラスで高貴な一族が召していたドレスなんです。
私のこのドレスもそうなんですよ。ほら....よく似ているでしょう?」
クラウディアは両腕を広げながら、その場でくるっと可憐に回転してみせました。
4枚の花びらのように分かれたスカートがひらりとめくれ上がり、クラウディアの細い脚が露わになりました。
クラウディアもリヴェットと同じ様に裸足でした。
「.....原子フィルタによって、体温調節に為に衣服を着る意味は既に無くなっていました。
でも裸だとやっぱり恥ずかしいですから、それまでの衣装を楽しむ文化はずっと残りました。
リヴェット.....ずっと裸足でも、まるで地面から浮いているように歩けるでしょ?」
「....うん」
「ねえリヴェット。NEBO-SYSTEMはもっと色々な衣装に着替える事が出来るんですよ」
「そ....そうなんですか?」
リヴェットはとても興味深々でした。
「でも....その前に、あの子と仲直りしないといけないですね....」
リヴェットは、さっきからずっとアトリアがとても寂しそうな心境でいる事を感じ取っており、心配していました。
後ろを振り向くと、アトリアは不機嫌な顔で二人を見つめていました。
「あ.....アトリアちゃん....どうしたの?」
リヴェットが急いで駆け寄りました。
アトリアは哀しそうな顔でリヴェットを見つめました。
「リヴェット....」
クラウディアがクスッと笑いました。
「ふふ....可愛いですね。さあ、そろそろお茶にしましょう」
スピカが紅茶とお菓子を運んで来ました。
それから4人は夕方までずっと、他愛の無いお喋りで盛り上がり、次第に打ち解け合っていきました。
どこで生まれ育ち、どこから来たのか。好きなもの、苦手なもの。リヴェット達のこれまでの冒険のこと、クラウディア達のこの城での暮らしのこと。
会話を通じて、次第に緊張感が解れていきました。
スピカは自分と同じAIのアトリアの事がすっかり気に入ってしまい、途中で作法や心得の座学を始めてしまい、夕食の準備になると、一緒に連れて行ってしまいました。
クラウディアは楽しそうに言いました。
「あんなに楽しそうなスピカは久しぶりですね。あの子ったら、アトリアを弟子にしてしまうかもしれませんね」
「うん」
二人はくすくすと笑いながら言いました。
「.....さあ、これでリヴェットを独り占めですね」
「え?」
「ね....ついてきて」
3. Sunset Flowers
南側の塔の内部は吹き抜けになっており、蝋燭を模した橙色の照明が、屋上まで続く螺旋階段をぼんやりと照らしていました。
リヴェットはクラウディアに優しく手を引かれながら、階段をゆっくり昇っていきました。
「あの.....クラウディアさん、何処へ?」
「ねえリヴェット。私達はこの世界でたった二人だけ残されたソーラス人。友であり、家族でもあるんです。
お互い、他人行儀に呼ぶのは止めましょう。私の事はクラウディアって呼んで下さい」
「うん....」
屋上に出ると、そこには雄大で美しい風景が広がっていました。
日没の空は藍色、オレンジ色のグラデーションで鮮やかに染まり、眼下一面に広がるひまわり畑を、赤く染めていました。
空を見上げると、リヴェット達がいた星....オールドホームが青々と輝き、赤く染まる黄昏の空に溶け込んでいました。
冷たい風がリヴェットとクラウディアの相反する色の翼を、混じり合うよう揺らしていました。
「綺麗....」
クラウディアは手に持っていたケースからトランペットを取り出すと、静かに瞼を閉じて、演奏を始めました。
美しくもどこか寂しい音色が、ガーシュタイン城と、広大なひまわり畑にこだましていきました。
リヴェットもまた瞼を閉じて、その旋律に耳を傾けていました。
―演奏が終わると、リヴェットはクラウディアに訊きました。
「ねえクラウディア、その曲は何というの?」
「Sunset Flowers.....遥か昔、オールドホームで作られた映画の曲だったんです。残念ながら、その映画の記憶は失われてしまいました。ただ.....音楽だけがこうして受け継がれているんです」
「そうなんだね......」
二人は無言のまま、夜闇に飲み込まれていく空を眺めていました。
暫くして、リヴェットはこの塔を昇っている間、ずっと気になっていた事をクラウディアに訊きました。
「ねえクラウディア。さっき.....”この世界でたった二人だけ残されたソーラス人”と言ってたよね。それって......他のソーラスの人達は、もう居ないという事なの?」
「.....ええ。残念だけど、ここに居るのは私とスピカ、そして沢山のロボット達だけなんです」
クラウディアが少し寂しそうに言いました。
「みんな、どこに行ってしまったの?」
「近いようで、とても遠い場所....NEBOの彼方」
クラウディアは突然リヴェットの方を向き、明るい笑顔で言いました。
「さあ、そろそろ夕食の準備が出来た頃です。戻りましょう」
クラウディアはもしかするとこの話題を避けているのではないか。リヴェットにはそう思えたのです。
二人がリビングに戻ってくると、妖精達が待っていました。
アトリアが駆け寄って来て、心配そうに言いました。
「リヴェット.....クラウディアさんと二人で、何をしていたのですか?」
「え?」
それを聞いたクラウディアがクスクスと笑いながら言いました。
「大丈夫よアトリア。あなたの大切なパートナーに手を出したりしませんよ.....」
アトリアはジトッとした眼差しでクラウディアを見つめて言いました。
「怪しいです。クラウディアさんはスケベだって、スピカさんが言っていましたよ」
「ちょっと.....スピカ。この子に一体何を教えたのかしら」
スピカは澄ました顔で言いました。
「秘密です.....ね?」
「はい」
妖精達はくすくす笑いました。リヴェットはそんな会話を聞いていて、レティシアやステラと一緒に暮らしていた賑やかなウェレンスヴァニアでの生活を思い出しました。こんなにも遠くまで来てしまった筈なのに、何故か自分の家に戻ってきたかのような安心感を覚えました。
クラウディアに案内されて入った食堂は、まるで豪華なレストランのように美しい装飾が施され、柱に取り付けられた照明は暖かい雰囲気を感じさせるオレンジ色の光をぼんやりと放ち、赤い絨毯や壁に掲げられた絵画を鮮やかに照らしていました。
大きな窓は、半分程までカーテンが閉められ、間から見える夜空には青く輝く星、オールドホームが覗いていました。
傍にあるテーブルに清潔感のある真っ白なクロスがかけられ、スピカと愛敬のあるロボット達が、料理を丁寧に並べていました。
この時、スピカがAIのホログラムである筈なのに、物に触れたり、それを運ぶ事が出来る事実にリヴェット達は気が付き、とても不思議に思いました。
「(スピカさんて、物に触れられるんだね.....)」
「(はい....ずっと、不思議に思っていました.....)」
アトリアは羨望の眼差しで食器を運ぶスピカを見つめていました。
そんな二人の様子を見て、クラウディアが言いました。
「アトリアちゃん。あなたも、触れられるようになりたいですか」
アトリアは少し恥ずかしそうに言いました。
「.....はい。でも、そんな事が出来るのでしょうか?」
「ふふ....大丈夫よ。スピカに伝えておきますね。さあ、食事にしましょう」
リヴェットとクラウディアは、互いに向かい合わせになるように席に着きました。
二人の回りをぐるぐると落ち着きなく飛び回っていたハンスも、ようやくテーブルの片隅に留まりました。
テーブルに並べられた料理は、具がたっぷりのシチューに、香ばしい香りのパン、色とりどりの野菜のサラダ.....どれもリヴェットが大好きな、家庭的で暖かいものでした。
「今はお肉が手に入り難いから、ちょっと寂しいかもしれませんが.......リヴェット。きっとあなたが食べたかったと思って用意したメニューですよ」
「クラウディアって、私の事、何でも分かっちゃうの.....?」
リヴェットは少し恥ずかしそうな表情で訊きました。
「そうよ....これでもあなたより、ずっと長く生きているんですから」
クラウディアは澄まして言いました。リヴェットはその言葉が、何か大きな意味があるのではないかと思いました。
二人は席に着きました。リヴェットはクラウディアに倣って、ソーラス伝統のお祈りをしました。
「さあ....お腹空いているでしょう。一杯召し上がって下さい」
「うん.....頂きます」
4. 触れ合い
新鮮な野菜を使った料理は、とても家庭的で繊細な味.....まるで、ステラさんが厨房にいるのではと思う程、リヴェットの口に馴染むものでした。ウェレンスヴァニアを出発してからはずっと、サンドイッチばかり食べていて(勿論、レティシアが無理やり持ち込んだ缶詰には手を付けてはいませんでした)、暖かい食べ物を恋しく感じていた事も、クラウディアには御見通しでした。
クラウディアがワイングラスに済んだ赤い色の飲み物を注ぎました。リヴェットは思わず慌ててしました。
クラウディアは笑いながら言いました。
「大丈夫ですよ....これはアルコールではありませんから。甘くて美味しいですよ」
リヴェットは恐る恐るグラスを口に近づけてみました。
甘くておいしそうな香りが漂ってきました。口に含んでみると、それは確かにお酒ではなく、甘くて香りの良い葡萄のジュースのようでした。クラウディアは手に持ったグラスの中を覗きながら言いました。
「昔、この地方でも美味しいワインが沢山作られていました.....でも、職人の繊細な舌によって維持されてきた伝統は、全て失われてしまいました。それは、どうしてもロボット達では代わりになれなかったものの一つなんです.....それに、飲む人が居なくなってしまいましたから」
クラウディアはリヴェットを見て、苦笑しながら言いました。
「......私が飲む訳にもいきませんから」
暫く間を置いてから、二人は思わず笑ってしまいました。
食事が終わると、クラウディアが言いました。
「リヴェット。すっかり落ち着いたみたいね。良かった.....ここに来てから、ずっと緊張していたみたいでしたから」
「うん.....ごめんね、クラウディア」
「気にしなくて良いですよ。それより、私に何か訊きたい事がありそうな表情ですね」
「うん.....あの、クラウディアは、どうして私の事が何でも分かってしまうの? それに....長く生きているって.....クラウディアは、私と同い年にしか見えないよ.....」
「.....リヴェット。私は記憶を通して人を見ているんです。記憶とは、その人の性格や思考、行動の全てを決定し、時には夢や未来を構築する、とても重要な要素。人は時として、目ではなく、記憶を通して物を見る事があります。
昼間、あなたが話してくれた、生まれ育った環境、家族、そして冒険の話を聞いて思ったんです。あなたと私は、とてもよく似た境遇なのだと。だから、あなたが感じている事、思っている事は、私には何となく分かるんです」
「そう....なんだ.....」
リヴェットは、自分の心が見透かされてしまったように思い、とても恥ずかしくなりました。
「もう一つの質問の答えだけど、リヴェット.....ここはNEBO-SYSTEMによる融合で、第2階層に昇格しなければ来ることが出来なかったのを、覚えていますか?」
「え?......う、うん」
リヴェットはシューガルデンのクラックスを起動させた時の事を思い出しました。
置いてきたシュレットの事が頭をよぎり、心配になってきました。クラウディアは窓の外から覗くオールドホームを見て言いました。
「NEBOは現世と仮想次元によって隔てられた世界。時間の流れ方が違うんです。
かつては、リヴェット達が住むオールドホームと、全く同じ時間軸を共有する世界でした。でも....あの大災厄が起きた日から、全てが変わってしまいました。
オールドホームの時間軸を円の中心に例えれば、ここは円の限りなく遠い外縁。
この世界の時間軸で長い歳月が過ぎたとしても、向こうでは殆ど動く事が無いんです」
クラウディアはリヴェットの方に向き直り、溜息をついて言いました。
「....今日はここまでにしましょう。続きはまた今度お話しますね。
リヴェット。あなたに見せたいものがあります。ついてきて....」
二人が再びリビングに戻ってくると、妖精達が待っていました。
スピカが言いました。
「リヴェット様....ごめんなさい。実はあなたのアトリアを少し弄らせて頂きました」
「え?」
アトリアがじっと深刻な表情でリヴェットを見つめていました。リヴェットはとても不安になりました。
「アトリアちゃん....?」
「リヴェット.....」
「どうしたの?さあ、やってみて御覧なさい」
「はい」
アトリアがゆっくりリヴェットに近づいてきました。
アトリアの小さな手がリヴェットの頬に触れました。その時、柔らかくて暖かい感触がありました。
そう......アトリアは”触れる”事が出来るようになったのです。
「アトリアちゃん.....」
「リヴェット......私、リヴェットに触れられました.....」
アトリアは思わずリヴェットに抱き付きました。
リヴェットもアトリアの小さな体を、やさしく抱きしめました。
二人は目を瞑り、お互いの存在を確かめ合いました。
アトリアが背中の羽をパタパタと嬉しそうに羽ばたかせる様子が、リヴェットの腕の中から伝わってきました。
お互いの心が一つになり、更にその存在を肌で感じ合う事がどれだけ素晴らしい事か。
今、二人の心は喜びと感動で、共鳴し合っていました。
クラウディアが茶化しながら言いました。
「ほら....こんな所で見せつけてはダメですよ」
二人は赤面しながらゆっくり離れていきました。しかしその手は繋いだままでした。
暫くしてスピカが優しく微笑んで言いました。
「アトリア。気に入って貰えましたか?」
アトリアは今にも泣きそうな顔で言いました。
「....スピカさん、言葉に出来ません.....本当に、ありがとうございます」
アトリアとリヴェットは、深くお辞儀をしました。
「ふふっ.....これからはちょっとお手伝いをお願いするかもしれませんよ?」
「はい!私で宜しければ何でも」
「あの.....一体どうやって?」
「スピカの持つ能力とリソースを、アトリアにも複写したんです。お互いがNEBO-SYSTEMによって第2階層で融合すれば、色々な事が出来るんですよ.....」
クラウディアが得意そうに言いました。
「第2階層?」
「そう....仮想次元のようなものですよ」
クラウディアは目を瞑り、何かを思い出すかのように言いました。
「リヴェット。エンパス機関.....そしてNEBO-SYSTEMは、ソーラスが築き上げた最高峰、そして最後のテクノロジー。
飛べなかった翼で空を自由に羽ばたき、触れられない物に触れる......多くの夢を叶える事が出来る、素晴らしいものでした。
でも、それが滅亡を招くきっかけにもなったんです」
「....それって、どういう事なの?」
リヴェットは滅亡という言葉に、大きな衝撃を受けました。
クラウディアはくるっと回り、背後を向くとこう言いました。
「さあ、今日はもう休みましょう。また今度、ゆっくりお話しましょう......」
5. フィオールの継承
アトリアはリヴェットの羽を優しく撫でながら、くしで形を整えていました。
寝室に入ってからもずっと、二人は触れ合えるようになった喜びに夢中でした。
突然、アトリアはリヴェットの翼に抱き付いてきて、顔を埋めました。
「あ....アトリアちゃん? どうしたの?」
アトリアは無言でした。
「アトリアちゃんってば....レティみたいだよ」
リヴェットは苦笑しながら言いました。レティシアも羽を手入れしてくれる最中、いつもこうやって悪戯してきた事をリヴェットは思い出していました。
レティシア達は無事なのだろうか。アトリアとNEBO-SYSTEMで融合し、シャーレック号から逃げ切る事が出来たあの時から、リヴェットはずっとその事が気がかりでした。
「.....やわらかいです」
「アトリアちゃん.....」
アトリアの小さな羽が触れ、リヴェットの翼を揺らしていました。
突然扉からノックが響き、クラウディアが部屋に入ってきました。
アトリアが慌ててリヴェットの翼から離れました。
それを見たクラウディアはクスクス笑いながら言いました。
「ふふ....可愛らしい所を見てしまいましたよ」
二人は恥ずかしくなり、クラウディアから目を逸らそうとしました。
「邪魔しちゃってごめんなさい」
「いえ....」
リヴェットは恥ずかしさを紛らわそうと、羅針盤を両手で抱えて口元を隠しました。
アトリアはいつの間にか、リヴェットの翼の背後に隠れてしまいました。
クラウディアはベッドに腰掛けて言いました。
「ねえリヴェット.....あのフィオール、見せて貰っても良いですか?」
「あ.....うん、いいよ」
リヴェットは立ち上がり、傍に置いてあるケースからシスタ・フィオーレンを取り出しました。
フィオールは美しい光沢を放ち、まるでそこだけが別の世界に存在するのではないかと思う程の、存在感がありました。
リヴェットはクラウディアにフィオールを手渡しました。クラウディアは少し震えた手でそれを受け取り、肩の上に乗せると、無言のまま見つめていました。
「シスタ・フィオーレン......まさかこのような形でこの子と再会するなんて、あの時は夢にも思いませんでした」
クラウディアはそっと弓を弦に当てて、フィオールを演奏してみました。
しかしそれはお世辞にも、美しい演奏と呼べるものではありませんでした。
「懐かしい.....この子はあの時と全く変わっていませんね。
でも....私は変わってしまった。もうフィオールの弾き方を忘れてしまったみたい.....」
リヴェットは意を決して、ずっと抱いていた疑問をクラウディアに投げかけました。
「ねえクラウディア.....あなたが、12番目の所有者だよね? フィオールと一緒に添えられていた、あの映画の語り主.....」
クラウディアは目を瞑り、暫く考え込んでから答えました。
「ええ....その通りです。さっきもお話しましたが、ここでは時間の流れ方が向こうと違うんです。そして、この子自身も.....」
「クラウディア....やっぱり、これはクラウディアのだよ」
リヴェットは少し寂しそうに言いました。
クラウディアはクスクスと笑いました。
「....いいえ、もう私にこれを持つ資格はありません。さっきの酷い演奏、聴いたでしょ?
それに、私にはトランペットがあります。元々このフィオールは、上手い子に譲るつもりでしたし、その子と仲良くなれれば、それで良かったんです.....その夢だって今、叶いましたよ.....」
クラウディアは優しく微笑みました。
そしてフィオールと弦を丁寧に重ねると、リヴェットに手渡しました。
「リヴェット。あなたがこの子の13番目....そして、最後の所有者です。大事にしてあげて下さい」
クラウディアは振り返り、扉へ戻っていきました。
「その子は私達の運命を巻き取り、そして一つに結びつけているんです。
リヴェット。これからあなたが、その運命の行き先を決める事になるでしょう。
また明日ね....おやすみなさい」
クラウディアは黒い翼の生えた背中越しにそう言うと、パタンと扉が閉まり、静かに去っていきました。
6. 向き合い
リヴェット達がNEBOに来てから、1週間が過ぎようとしていました。
ガーシュタイン城でのクラウディア達との暮らしは、時が過ぎるのを忘れてしまいそうな程、楽しいものでした。
広大に広がるひまわり畑を眺めながら、クラウディアのトランペットの演奏に聴き入り、
そして今度はリヴェットがフィオールの演奏をクラウディア達に聴かせ、最後は二人で一緒に演奏しました。
夜になると、妖精達や城に仕えるロボット達も交えてパーティが開かれました。
ハンスはパタパタと飛び回りながら、リヴェット達に飲み物を配りました。
クラウディアはリヴェットにソーラスの伝統的な踊りを教え、一緒にステップを踏みました。
パーティの最後には、スピカが美しい歌声を披露してくれました。
楽しい唄と音楽に満ち溢れた、夢のような毎日が過ぎていきました。
それでもリヴェットは冒険の目的を、片時も忘れる事はありませんでした。
クラウディアは依然と、時期が来れば話すとリヴェット達に言いましたが、あたかもその話題を避けようとしているかのように、はぐらかされてしまいました。
昨晩、リヴェットとアトリアは話し合い、クラウディアに直接聞いてみようと決心しました。
その朝も、クラウディアはガーシュタイン城の南側の塔に立って、トランペットを吹いていました。
ロボットのハンスは相変わらず、クラウディアの周りをパタパタと飛び回っています。
「あら、二人ともおはよう。リヴェット.....今日もとても綺麗よ」
「ありがとう、クラウディアこそ....綺麗だよ....」
リヴェットはぎこちない口調でクラウディアに言いました。
「まあ嬉しい! ね、今日はどんな事をして遊びましょう? 」
「あ.....」
リヴェットはクラウディアのペースに乗せられる所でしたが、ここは堪えて、知りたい事を投げかける事にしました。
「クラウディア....お願いがあるの。私達は、全ての答えが知りたい。ソーラスのみんなは、一体どこへ行ってしまったの?どうして.....滅亡してしまったの?」
リヴェットは悲痛な表情でクラウディアに訊きました。
パタパタと飛び回っていたハンスが、ようやく落ち着いて、屋根の先端に止まりました。
クラウディアは悲しそうな表情をすると後ろ向き、群青色の空を見上げてながら言いました。
「.....ごめんなさい。本当は、あなたを悲しませたくなかったから.....それに、もし知ってしまったら、あなたが直ぐに帰ってしまうと思ったから、話したくは無かったんです」
クラウディアが振り返りました。赤い瞳が少し哀しく輝いていました。
「リヴェット、アトリア。とても辛い現実を目の当たりにする事になったとしても、それでも、あなた達は答えを知りたいですか?」
二人はクラウディアの瞳をしっかり見つめて、力強くうなづきました。
「....いいでしょう。すべての答えをお見せします。
このNEBOで一体何が起きたのか。そして、彼らが辿った悲劇的な末路を.....」
7. リコレクター
そこはガーシュタイン城の地下にあり、遥か昔は牢獄として使われた場所だとクラウディアは言いました。部屋の側面には映画のスクリーンがあり、中央に映写機が設置されていました。映写機はジジジ....と音を立てながら、スクリーンに真っ白な画面を映し出していました。
「アトリア。これからこの部屋にいる間はずっと、リヴェットの中に入っていて下さい。そしてリヴェットと心を1つにするんです。何があっても絶対に、外に出てきてはダメですよ」
クラウディアは真剣な眼差しで言いました。
「....はい」
アトリアは素直に応じ、リヴェットの中へとフッと消えていきました。
部屋にはクラウディアとリヴェットの二人だけになりました。
クラウディアはスクリーンの前に立つと、リヴェットにこっちへ来てと合図をしました。
リヴェットは駆け寄り、クラウディアの前に立ちました。二人の影がスクリーンに投影されました。
「リヴェット。これから、私のリコレクターの力を解放します」
「....リコレクター?」
「記憶使い.....そうも呼ばれていました。大災厄が起きる以前のソーラスでは、リコレクターと呼ばれる、記憶を自在に操る能力を持った人々がいました。最初はごく僅か....でも時代と共にリコレクターは増えていき、ソーラスの社会全体に影響を及ぼすようになったんです。
実は私もその一人なんですよ......リヴェット」
「クラウディア....」
クラウディアの赤い瞳が、次第に鋭い光を帯びていくのを感じました。
リヴェットは、ついさっきまで身近に感じていた目の前の少女が、急に恐ろしく感じました。
「リヴェット....恐れないで下さい。私を信じて....」
「....ごめんね。大丈夫だよ」
二人きりのソーラス人。友であり、家族でもある。その言葉が頭をよぎりました。リヴェットはこの先何が起きても、絶対にクラウディアを信じようと決めました。
「このフィルムには....世界が大災厄に飲み込まれていくまでの記憶が収められています。
私達は今から、その記憶の世界に飛び込みます。
それは私たちが第3階層と呼ぶ世界です。下層の世界を集約し、時間軸を自在に操る事が出来る仮想次元。
例えるならば、自分達のいる世界の時間軸をフィルムにして、映写機から好きな場面を同時にスクリーンに映し出すようなものです」
クラウディアは両手を差し出しました。リヴェットは戸惑いながらも、クラウディアの手を取り、二人は両手を固く繋ぎました。
「リヴェット。何があっても、決して私の手を離さないでね。
これから私がどんな姿になっても、決して恐れないで下さい。
この繋いだ手は、あなたがリコレクターの作り出した記憶の世界にいる事を示す、唯一の繋がりになります。
もしこれを離してしまうと、記憶の世界に飲み込まれてしまい、二度と元の世界に戻って来る事が出来なくなります」
「....うん」
リヴェットはとても怖くなり、体が震えました。
「大丈夫ですよリヴェット。私も決してこの手を離しませんから.....それでは、始めましょう....」
リヴェット達の周囲に、赤く輝く小さな星が2つ現れ、二人の周りに輪を描きながら周回し始め、次第に速度を上げていきました。二人の体がぼんやりとした赤いオーラが包みました。
クラウディアの瞳は更に赤く輝いていました。
「さあ行きましょう....記憶の世界へ!」