8. 進化の章
「リヴェット.....大丈夫?」
「....うん....ここは?」
全ての風景がぼんやりとした光に包まれ、視界の外側が黒い影に覆われているように暗くなっており、視野が狭く感じられました。
時折、黒いチェンジマークや縦に伸びる筋、何らかの意味のあるソーラス語の文字や数字がノイズとなって視界に現れてきます。
それはまるで、古いネガフィルムの世界に、自分達が入り込んでしまったかのような光景でした。
二人は広い草原のような場所に立っていました。空には横向きに輪が回り込んだ星.....NEBOの姿があり、ここがオールドホームである事が分かりました。
目の前にいるクラウディアの瞳は、赤く不気味に輝き続けていました。
黒い翼は威嚇するように左右に大きく広がり、その姿には怖気さえ感じさせられました。
それでもリヴェットはクラウディアの事を信じて、その瞳をしっかり見つめました。二人の手は、互いにしっかり握られていました。
「ここはリコレクター.....つまり私が擬似的に作り出した記憶の世界です。
記憶は時間が経つと劣化していきます。だから、古いネガフィルムと同じようにスクリーンが不安定になるんです。
少し急ぎましょう。もしスクリーンが崩壊すれば、私達はこの世界から出られなくなります」
クラウディアは真っ直ぐリヴェットを見つめたまま言いました。
「ここは進化の章です。私達ソーラス人の進化を辿っていきましょう」
クラウディアは黒い翼を羽ばたかせてみせました。
「......私達ソーラス人には翼がある。しかし翼があるのに満足に飛ぶ事も出来ない。それは何故。それは、どうしたら飛べるようになるのか。
私達の進化は、その探求が全ての起点でした。右手を御覧なさい」
リヴェットはクラウディアの言った方角に視線を向けました。
丘の上に翼が生えた人達.....ソーラス人達が大勢集まっていました。
ノイズだらけの音の中から彼らの喧騒と、徐々に大きくなってゆく低い轟音が聞こえてきました。
次の瞬間、丘の向こうから大きな飛行船が飛び上がってきました。
それはリヴェットが知るものよりも、遥かに古いものでした。
飛行船を追うようにして、幾つもの小さな飛行機が空へと飛び上がってきました。
やがて別の方角からも大きな飛行船と、後に続く飛行機の集団が現れ、気がつけば上空を覆い尽くしていました。
「最初は機械の力を使って、空を飛びました。
私達ソーラス人はこの世界で一番最初に航空技術を発達させ、世界中へ進出していきました」
―突然、まるで映画のシーンが切り替わるように、二人は一瞬で別の場面に移されました。
そこは高いビルの屋上でした。リヴェットの視線の先では、ここでも多くのソーラス人達が空を眺めていました。
雲にも届きそうな程の天高く伸びた鋭塔がいくつも並び、その塔のあらゆる所に取り付けられた風車が、ゆっくりと回っていました。
そこは.....在りし日のヴェクスターデンのように見えました。
クラウディアの後ろで、眩い閃光が走りました。遠くの鋭塔の間から、まるで街一つの大きさはありそうな巨大な航空機が3隻、同時に浮上していきました。
外観はルシーア号とよく似ており、エンジンから青白い光を放ちながら、遥か上空に浮かぶ青い星....NEBOを目指してゆっくりと飛翔していきました。
「私達は機械の力.....そしてエンパス機関によって、更に天高く飛び.....遂に憧れの地、NEBOをこの手に収めました。
しかし私達は、本当は機械の力に頼る事無く、自分自身の翼で、自由に大空を羽ばたく事を夢見てきました。
そして、物理世界の法則に縛られず、全てを可能にする世界....仮想次元が生まれました」
―場面が切り替わりました。ティールブルーに染まった波一つ立たない広大な水面の上に、二人はぽつんと立っていました。
空は美しい黄昏に染まり、上空に目を向けると、アクアブルーを帯び、リングの少し縦の角度で廻り込んだ星....オールドホームが見えました。本来ならば太陽の光によって見えなくなる筈の星々が、まるで夜闇のように輝き、空を埋め尽くしていました。
周りを取り囲むように鋼鉄の鋭塔や高い建物がいくつも並んでおり、黄昏の光を受けてオレンジ色に輝いていました。そこは大きな街の中のように見えました。
「ここは多層次元の章。リヴェット。あの空をご覧なさい」
リヴェットは遠く空をよく目を凝らしてみると、何か小さなものが幾つも飛んでいるのが見えました。それは人.....ソーラス人だったのです。
小さな羽を大きく広げて、自由に空を飛ぶ.....それはリヴェット自身にとっても夢のような光景でした。
「ソーラス人が.....空を飛んでいるよ」
「そう.....ここがエンパス機関によって生み出された仮想次元。彼らは現世の物理法則に縛られない、新しい世界を作りました。
私達はそれを第2階層と呼びます。飛べなかった翼で空を自由に羽ばたき、触れられない物に触れられる、夢のような世界。
最初は、コンピュータによって作り出された仮想空間のようなものでした。しかしエンパス機関の発達によって物理世界....第1階層と融合していき、共存する事が出来るようになり、その境界線は次第に薄れていきました。
リヴェット。私達が行っているNEBO-SYSTEMも、そうして実現出来たテクノロジーなんです」
リヴェットはソーラスの劇的な進化に、ただ驚くしかありませんでした。
「ソーラス人は遂に夢を叶える事が出来ました。しかし進化への欲求は留まる事無く、更に加速していきました。
世界の理を制したソーラス人達は、今度は時間と記憶の世界を、自在に操る術を身に付けました。そうして生まれたのが第3階層です」
―場面が切り替わりました。リヴェット達は暗闇の中でぽつんと立っており、周囲をいくつもの巨大なネガフィルムが、二人を取り囲むようにスクロールしながら廻っていました。1つ1つのフィルムに、幸せな家族の姿や、自然の風景、そして悲惨な戦争の光景まで、まるで映画のように様々な場面が映し出されていました。
「第3階層は、異なる時間軸を融合させる事が出来る仮想次元。
例えれば、自分達がいる世界のタイムラインをフィルムにして、映写機から好きな場面を同時にスクリーンに映し出すようなものです。
......リヴェット。今、私達がいるこの場所も、第3階層なんです。
ソーラス人達は時間軸を操る事によって、永遠の時間を手にし、そして記憶を操る事により、失われたもの....或いは人さえも、蘇らせる事が出来るようになったんです」
「.....亡くなった人達が、蘇るの?」
「記憶を元に”復元される”.....と言った方が正しいかもしれません。
だけど、そうして復元された記憶は、ちゃんと触れたり、話し掛ける事が出来るんです」
「凄い.....ねえクラウディア....クラウディアは....ううん、リコレクターは、どうしてこの世界を....第3階層を作り出す、凄い力を手にする事が出来たの?」
「お答えしましょう、リヴェット。では、記憶使いの章へ行きましょう。」
9. 記憶使いの章
―場面が切り替わると、目の前に飾り気のない真っ白な建物が現れました。そこは病院....或いは何かの研究施設ようでした。
武器を持った警備兵達が周囲を厳重に取り囲んでおり、その向こうに大勢の人だかりが見えました。
一方、敷地内に停泊していた飛行艇からは、10数名のソーラス人の子供達が、白衣を着た研究員に手を引かれて降りてくるのが見えました。
クラウディアが言いました。
「リコレクター....即ち記憶使いとは、第3階層の世界を自らの意思で生み出し、そして破壊する事が出来る能力者の事です。
それは私達ソーラス人がエンパス機関と長く触れ続けた事による影響.....或いは、新たな概念の世界へ適応する為の進化によって、備わった能力とも言われていますが、確かな事は誰にも分かりません。
リヴェット、見て御覧なさい。あの子供達が、この世界に誕生した最初のリコレクター達です。
最初は突然変異....ミュータントとして捉えられ、ある時は恐れられ、またある時は熱心な研究対象とされてきました。
リコレクター達の数は徐々に増えていき、やがてNEBOの人口の約5%を占めるようになっていました」
―場面が切り替わりました。そこは紅葉に染まる木々が生い茂る、小さな公園の中でした。二人のすぐ横で、大きな帽子を被った少女がベンチに座って、オルゴールを回していました。暫くすると、少女の周りの空間が突然変異し....先ほどまで明るい公園だった場所は、真っ暗な屋敷の長い廊下に変貌しました。
不気味な蝋燭がいくつも並び、窓の外にはNEBOよりも大きな月が覗いていました。
「記憶使いは、第3階層に自らの世界を作り出す為に、下層世界に媒介するものを用意します。それはメモリス・ベクター呼ばれます。例えば、私が今リヴェットに見せているこの世界は、部屋の中央に置かれた映写機がメモリス・ベクターの役割を果たしているんです」
突然、少女が回していたオルゴールが壊れて動かなくなりました。すると、再び元の昼間の公園が姿を現しました。
しかしベンチには少女の姿がありませんでした。
「メモリス・ベクターが失われると、リコレクターの作り出した世界が消失します。しかし同時に出口も失われる為、リコレクター自身も下層世界へ戻ることが出来なくなるんです」
「あの子は.....どうなっちゃったの?」
「記憶の世界に閉じ込められてしまったんです」
「そんな....」
リヴェットはとても悲しくなりました。
「メモリス・ベクターは、リコレクターにとって命と同じくらい大切な物。だから、私達は自分自身の使うメモリス・ベクターを、決して誰にも明かしてはいけないんです。
そうそう.....あの娘だけど、後に彼女は第3階層で"あるもの"と出会い、無事に帰って来る事が出来たんです。彼女の名前はオリヴィア・アールデン。リヴェット、この子が....これから語るお話の主人公になります」
10. ゴースト
―再び、リヴェット達はオリヴィアという女の子が作り出した記憶世界にやって来ました。
「リヴェット。最初はまだ、記憶世界の全てをソーラス人自らが制御する事が出来ました。
しかしある時、私達はその記憶世界が、独りでに変化し、改変が行われている事に気が付きました。
そう.....記憶が自らの意思を持ったのです。リヴェット....あれを見て」
クラウディアの視線の先を見ると、先ほどの女の子.....オリヴィアの姿がありました。彼女の視線の先には、
大きなマントと帽子で覆われ、肌が真っ黒な影となり、目だけが橙色の光を放つ人物の姿がありました。オリヴィアはその”影”と楽しそうにお喋りをしていました。
「記憶の世界だけにしか存在ない筈の事象が、自らの意思を持って、私達に干渉するようになりました。それは”ゴースト”と呼ばれます。
ゴーストは現実に存在しない筈の空想上の世界、あるいはその登場人物を装って突然目の前に現れ、私達がそこへ引き込まれると、
無意識の内に記憶の世界に飲み込まれてしまうんです。その頃、NEBOのあらゆる場所でそのような”神隠し”と呼ばれる事件が発生していたんです。
しかしオリヴィアが遭遇したのは、今までに現れたゴーストとは少し種が異なるものでした。
彼女はゴーストと一時的に融合した事によって、第3階層を超越した概念の世界を経て、この世界に戻って来る事が出来たんです。
彼女が一体そこでどのような体験をしたのか....それは今となっては誰にもわかりません。
でも、この体験が後に彼女の運命を決定付けたんです」
―場面が切り替わり、クラウディアの背後に、古風の立派なお屋敷が現れました。
暫くすると、時間を早回しにするように屋敷が変形していき、場所が遠く移動していく度に大きな建物に変貌し、やがて天高く伸びる超高層ビルとなりました。
建物から南の方角へ長く伸びる広場の中央には、噴水に彩られながら、星を象ったホログラムのオブジェがゆっくりと回転しており、そこにはこのような文字が映し出されていました。
”THERESA INDUSTRIES Inc.”
「飛行船の時代からこの第3階層まで、全てのテクノロジーの進化に大きく貢献してきた存在.....それがテリーサ社です。
彼らは何世紀にも渡り、追い求めて続けてきたスローガンがあります。それは”次世代への進化”」
リヴェットは、進化の章で登場した飛行船やエンパス機関の宇宙船、そして仮想世界のあらゆる場所に現れた、星を象った紋章を思い出していました。それは、これまで語られてきた進化の裏に、必ずこのテリーサ社が存在していた事を示唆していました。
「オリヴィアはゴーストとの出会いによって、ソーラス人の”次なる進化”をビジョンを授かりました。そして、彼女はそのビジョンを実現出来る最高の地位を手にする事になります」
―場面はテリーサ本社ビルの中層階に設けられた、飛行艇の停泊港に移りました。
黒い正装を身に纏ったソーラス人達が駆け寄って整列しました。眩い光沢を放つ白い飛行艇から、整った形の立派な白い翼を持ち、長い金髪をなびかせ、純白のドレスを身に纏った、とても美しい女性が降りてきました。それはまるで、おとぎ話に出て来るお姫様のようでした。
「彼女がテリーサ社最後のCEO.....そう、あのオリヴィアの6年後の姿です」
「凄く綺麗な人......」
リヴェットはその美貌にすっかり見惚れてしまいました。クラウディアがクスクスと笑いながら言いました。
「あらリヴェット。私はあなたの方がずっと綺麗だと思いますよ」
「.....え?」
リヴェットは真っ赤になってしまいました。クラウディアはそんなリヴェットの反応を面白がりながら、話を続けました。
「オリヴィアの抱く”次なる進化”のビジョンは、NEBO-SYSTEMを応用し、ゴーストと精神的に融合する事によって、ソーラス人は純粋な心と魂による意識体となり、全ての概念を超越した世界へ昇格する事が出来るというもの。彼女はそれを”第4階層”と呼びました。
これに多くの急進派の研究者達が賛同しました。何よりも、ゴースト達もそれを望んでいました。
勿論、それに反対する勢力もありました。特にゴーストを全人類の脅威と考えるシューガルデン中央政府は、オリヴィアを強く警戒しました。
―今度はオリヴィアが研究施設を視察する場面に移りました。
「オリヴィア達は、全ての人類を第4階層への進化に促す為、ゴースト達と協力して、あるリンク方法を実装しました。
人の記憶を読み取り、そこから新たなゴーストを生み出し、ゴーストとの精神的な意思疎通が実現した瞬間に融合を果たし、第4階層へと昇格するというもの。そして、その最初の実験が使われたのが、ソルナ・ティエナの西岸地区にあるクリスタル・シアターでした。
―場面が切り替わりました。そこはオペラ劇場のような場所で、客席には大勢の観衆が集っていました。天井や壁、床の一部がガラス窓のように透き通っており、まるでそこが空中に漂っているかのように見えました。周囲は鋼鉄の鋭塔や高層ビル群に囲まれ、その中には特徴的なアーチ型のモニュメントの姿....ソルナ・ティエナのゲートウェイアーチの姿がありました。
突然、人々が後ろを振り向いたと思うと、彼らの体がフッと影だけになって消えていく異様な光景が、前から後ろの席に向かって広がっていきました。
「.....クラウディア....これは一体何が起きたの?」
「ゴーストは、人の深層心理にある記憶を読み取り、そこから擬似的な囁きを作り出すんです。
それはその人にとって大切な人.....家族、親友、或いは恋人.....様々な人の声や姿となって囁き掛けるんです。
その声に反応して振り向いたり、返事をしたり、心が繋がった瞬間.....リンクが確立し、ゴーストと融合し、第4階層へと昇っていくんです」
やがて......劇場の客席には誰もいなくなりました。
「あ.....ああ.....」
リヴェットはショックのあまり、言葉を失ってしまいました。
「リヴェット。これが大災厄の正体。ソルナ・ティエナの亡霊です。このゴースト達は、人々の記憶を食べて成長し、増殖していきます」
―場面は切り替わり、ソルナ・ティエナのゲートウェイ・アーチを見渡す事が出来る、郊外の草原に切り替わりました。
巨大で歪な形をした航空機がいくつもソルナ・ティエナの上空を取り囲んでいました。
「テリーサ社の暴挙に業を煮やしたシューガルデン中央政府は、ゴーストが解き放たれたと同時に、ソルナ・ティエナへ軍隊を派遣しました。ソルナ・ティエナの西岸地区は、仮想次元を無効化させるフォースフィールドによって強制的に閉鎖されました。
これで亡霊を封じる事が出来ましたが、西岸地区にいた多くの市民は逃げ出す事が出来ず、やがてゴーストの餌食となっていきました。
オリヴィア達は、西岸地区を強制的に閉鎖してしまった為、ゴーストをコントロール出来ずに惨劇を引き起こしてしまったとして、中央政府を非難しました。
テリーサ社と中央政府の対立は、この事件をきっかけに激化していきました」
リヴェットは恐怖に震え、その場に立ち竦みました。
「リヴェット....辛いかもしれないけど、勇気を出して見届けて欲しいんです。私達ソーラス人の末路を。
いよいよ最後です。大災厄の章へ行きましょう」
11.Eternal Memory
「ソルナ・ティエナの西岸地区が閉鎖されてから5年間、ソーラス政府とテリーサ社の冷戦状態が続いていました。
しかしソルナ・ティエナの亡霊は依然とフォースフィールドによって封じられており、最大の危機は脱したかのように見えました。
でも5年後、遂にソーラス滅亡のトリガーが引かれました」
―場面が切り替わり、雄大な姿で天を貫くテリーサ本社ビルと、広大な施設群を遠くから眺める高台に移りました。
「シューガルデン中央政府は、オリヴィア達テリーサ社の目論見は、全人類の有史以来、最大の危機であると断言し、非人道的な奇襲作戦が、議会の満場一致で可決されました。テリーサ本社を、オリヴィアと急進派の幹部もろとも、完全に破壊する作戦が決行されました」
リヴェットは恐怖に震え、怯えながら哀願しました。
「いや....お願い、やめて.........」
この先、どのような光景が待ち受けているのかを察したリヴェットは、そこから直ぐにでも逃げ出したい気持ちで一杯でした。
遥か彼方の空.....衛星軌道上に、巨大な宇宙船の艦隊が見えました。
突然、光の柱が地上へと真っ直ぐと伸び、次の瞬間、激しい閃光と共にテリーサ社の巨大な本社ビルは瞬く間に粉砕され、
広大な敷地に隣接する建物群を吹き飛ばし、爆風と炎が全てを飲み込みました。後から凄まじい爆発音が、リヴェット達の場所まで届きました。群青色の空は真っ赤に染まり、夥しい数の瓦礫と火の粉がリヴェット達の立つ場所まで降り注ぎました。
リヴェットは力が抜け、よろよろとしゃがみ込んでしまいました。クラウディアは片手でリヴェットを抱きしめました。
「ひどいよ.....あんまりだよぉ.....」
「リヴェット.....落ち着いて。少し休みましょう」
「ここは嫌だよ.....」
「ええ、わかっています」
―場面が切り替わり、大きなネガフィルムに取り囲まれた空間へ戻ってきました。
二人は暫くの間、この静かな空間でしゃがみ込んで休みました。
取り乱していたリヴェットも少し気持ちを落ち着かせ、クラウディアに言いました。
「....クラウディア、ごめんね。もう大丈夫だよ」
「リヴェット....あなたに、もっと幸せな世界を見せてあげたかった....ごめんなさい。ここまでにしておきましょうか?」
「ううん.....最後まで見せて....」
「.....分かりました。では話を続けましょう。」
二人は立ち上がりました。クラウディアは再び話を続けました。
「オリヴィアはその時、破壊された本社にはいなかったんです」
「え? それじゃ....」
「中央政府の動きを予知していたゴースト達が、彼女をソルナ・ティエナに匿っていたんです。
オリヴィアは命を取り留めましたが、多くの仲間を見殺しにしたゴーストに、初めて疑いを抱いたんです。
一方、中央政府の暴挙で怒りに駆られたテリーサ社の生き残った社員や研究員達は、ゴーストを解き放つため、残存する私設軍と共にソルナ・ティエナを強襲しました。彼らの狙いはフォースフィールドの破壊。オリヴィアは、テリーサ本社への惨劇を許したゴースト達の狙いがそれだったと気がつき、必死に止めようとしました。
―場面が切り替わりました。そこは真っ暗闇の中にいくつものホログラムスクリーンが映し出された、ルシーア号のデッキのような場所でした。スクリーンは全て、警告を示すマークが点滅していました。
二人のすぐ傍で、オリヴィアが血を流して倒れていました。あの美しい白い翼や華麗な衣装が赤い血に染まり.....彼女は息絶えていました。
「オリヴィアさん....そんな..........」
リヴェットは大きなショックを受け、悲しみで涙が溢れてきました。
「これがオリヴィアの最期です。皮肉な話ですよね....次なる進化を最も夢見た彼女は....結局最期に、その世界へ行く事は叶わなかったんです。
彼女は怒りにかられた仲間達を必死に説得しようとしました。しかし最後は双方が凶弾に倒れ、そしてフォースフィールドも破壊されました」
周りを見渡すと、オリヴィアの他にも大勢の人達が血を流して倒れ、そして死んでいたのです
その内の一人の身分証明が落ちており、そこには”私立探偵オーソン・ウェイン”と書かれていました。
―場面はソルナ・ティエナの東海岸地区の中心街に移りました。残された居住地区に、ゴースト達が押し寄せていきました。
市民が次々とゴーストの餌食となり、消滅していきました。
「オリヴィア達テリーサ社によるコントロールから解放されたゴースト達は、もはや誰にも止める事は出来なくなりました」
―更に場面が切り替わり、二人はNEBOを見下ろす宇宙空間の只中へやってきました。
黒い影がソルナ・ティエナを中心に、NEBO全体に広がっていく光景が映し出されました。
「NEBOの主要都市は、1ヶ月でゴーストに食い尽されていきました。私達リコレクターは辛うじて自分達を守る事が出来ましたが、殆どのソーラス人達は守る術を持たず、ゴーストに連れ去られていきました」
リヴェットは絶望と恐怖によって言葉を完全に失い、悲しみに涙を流すしかありませんでした。
―場面はシューガルデンに移りました。そこはリヴェットも見覚えがあるテアートル・シューガルデンの大劇場の中でした。
「やがてゴースト達はクラックスを通り、オールドホームへ.....シューガルデンに押し寄せました」
ゴーストが劇場の観客を次々と連れ去って行く姿が映し出されました。
「慌ててシューガルデンのメインゲートを閉じた時には遅かったんです。
中央政府もゴーストの餌食となり、シューガルデンは陥落。ゴーストはオールドホームの南側の世界へ押し寄せていきました」
「やめて....もう、やめてよぉ」
リヴェットが泣きながら叫びました。
―場面は再び、真っ暗闇になりました。
リヴェットの悲痛なすすり泣きだけが響いていました。
再びクラウディアはリヴェットを抱きしめて慰めました。
暫くしてリヴェットは少し落ち着きましたが、ショックで言葉が出て来ません。
クラウディアは言いました。
「リヴェット。それでも大災厄は、完全に世界を滅ぼす事は無かったんです」
リヴェットは涙に溢れた目でクラウディアを見ました。
「オリヴィアは生前、自らの試みが最悪の結果を招いた場合に備えて、ゴーストを打ち倒す方法を、彼女が最も信頼していた3人の人物に伝えていました。先ず一人目が、オールドホームでそれを実践しました」
―場面はルーヴェンの街並みを見下ろすロクスクロス公社の発着場に移りました。
そこには数名のソーラス人の兵士達が経っており、中心に見覚えのある人物の姿がありました。
それはあのトラヴィスでした。
「ソーラス軍のトラヴィス中佐は、大災厄から全ての人類を守る為、ロクスクロス作戦を決行しました。
それは、彼ら自身の肉体と精神を高性能なロボットに移し変え、ゴーストが干渉出来ない機械化生命となり、ゴーストと戦うというものです。これは、彼が最後に”ソーラス人”だった時の記憶です」
トラヴィスには美しい白い翼が生えていました。
「公社の紋章がソーラスの紋章とそっくりだった理由は、もう分かりますよね.....公社は元々、ソーラス軍だったんです」
―場面はヴェクスターデンのダウンタウンに移りました。トラヴィス達が次々とゴーストを駆逐していく姿が映し出されていました
「作戦は大成功し、彼らはオールドホームに流れ込んだゴーストから、南側の世界を取り戻す事に成功します。
そして同じ頃、オリヴィアの願いを託されたもう一人が、動き出していました。
それが.....私なんです」
「え?」
―場面はガーシュタイン城に切り替わりました。
傍らに、5人のリコレクター達がいました。何れもまだ若い少年、少女達でした。
その中心に黒いマントと帽子に身を包んだ少女の姿がありました。
手にはトランペットを持っており、銀色の長い髪をなびかせ、赤い瞳が黄昏の中で輝いていました。
「あれがクラウディア.....なのね?」
「そうよ....。私達リコレクター達によってNEBO全体を第2階層に、そしてソルナ・ティエナを第3階層に飲み込ませ、ゴーストを完全に封じ込める作戦が開始されたんです」
突然、リヴェットの心の中にいたアトリアが叫びました。
リコレクター達の中に、アトリアがずっと探していた人物の姿があったのです。
「(フランベル様!)」
「(アトリアちゃん.....出て来ちゃ駄目だよ!)」
「(でも!フランベル様が!フランベル様!)」
クラウディアが怒鳴りました。
「アトリア!言うことを聞きなさい!」
アトリアはビックリしました。それは穏やかなクラウディアからは想像の出来ない、強い調子の言葉でした。
クラウディアは直ぐに穏やかな口調に戻って言いました。
「アトリア.....これは全て記憶が作り出した虚像の世界。もしあなたが飛び出してしまえば、第3階層の世界で永遠に彷徨う事になります。二度とリヴェットの元には戻れなくなります。お願い.....もう誰にも悲しい思いはさせたく無いんです」
「(ご.....ごめんなさい......)」
「アトリアちゃん.....」
リコレクター達の背中に、自らの小さな翼を補うように光輝く翼が現れると、彼らは一斉に空へと羽ばたいていき、そして四方に散らばっていきました。気が付くと、ガーシュタイン城には今ここに立っているリヴェット達だけが残されていました。
「リコレクター達によってNEBO全体が第2階層に押し上げられ。ゴーストはクラックスを通る事が出来なくなりました。
更に、第3階層となったソルナ・ティエナの中へ封じ込められ、ようやく大災厄は収まり、世界の滅亡は寸前で食い止められました。
ゴーストを打ち倒す3つの方法の最後は....結局行われる事はありませんでした。でも、それにもう意味は無かったんです。
何もかもが、遅すぎたんです。オールドホームの南側の世界、そしてNEBOの全てが餌食となり、
本来守るべきであったソーラス人という存在は、第4階層へ....NEBOの彼方へと旅立ってしまったんです。
―場面が変わり、再び沢山のネガフィルムに取り囲まれた空間に戻ってきました。
「トラヴィス達はゴーストから残された人々を守り続ける為に、ロクスクロス公社を作りました。
そしてチューニングにより、祖国を守る事が出来なかったという、忌まわしい記憶を消し去り、信念を決して失わないようにしたんです。
ロクスクロスはそうして、1世紀もの間、見えない敵と戦い続けました。
幾度となくチューニングを繰り返してきた事で、本来の目的さえ忘れ、ソーラス人を憎むようになったんです」
クラウディアはゆっくりと瞼を閉じました。
「.....NEBOは第3階層とも直結した事によって、本来の時間軸から直角に反れて、円を描くように時間軸が進行していきます。
そう....ここは歴史も進化も、全てが終息してしまった世界。
ただ、私達残されたソーラス人と.....そしてNEBOの記憶は永遠に刻まれるよう、”あるもの”を媒介して蓄積され続けられるようにしています。
それは、かつて存在したソーラス人達の進化の歴史、記憶も刻まれた、膨大なデータバンク。私達の世界のシンボルでもあり、オリヴィアが私に託した最期の願い。
それが、このNEBOを覆い尽くす、おびただしい数のひまわりたち.....私達はそれをこう呼びます」
クラウディアが瞼を開きました。赤い瞳が寂しく輝いていました。
「”Eternal Memory”と」
―場面は現在のNEBOの風景....広大なひまわり畑の只中へと移りました。
リヴェットの瞳は悲しみの涙で溢れていました。初めてNEBOに来てこの光景を目の当たりにした時も、夢の中に現れた時にも、辛い悲しみを心のどこかで感じ取っていました。その答えが.....リヴェットの心に今、一気に押し寄せてきていました。
クラウディアが言いました。
「リヴェット。これが......全ての答えです」
クラウディアの赤く輝く瞳が、悲しそうにリヴェットを見つめていました。
12. Erlija "B" Minor Swing
次の日、ガーシュタイン城の3Fベランダのパラソルの下で、リヴェット達はランチを取っていました。
昨日、クラウディアが見せた記憶世界から戻った後、リヴェットは疲れとショックによって体調を崩し、今朝までずっと寝込んでいたのです。リヴェットはまだ食欲が戻らず、大好きだったベーグルのサンドイッチにも全く手を付けていませんでした。
心地の良い風が、広大なひまわり畑に波を描きながら近づいてきて、やがてガーシュタイン城にたどり着き、リヴェット達の翼を揺らしました。
心配そうに見ていたスピカが言いました。
「リヴェット様。少しだけでも良いので、食べて下さい。このままでは倒れてしまいますよ」
「うん.....」
クラウディアは相変わらず澄ました顔で、紅茶をすすりながら言いました。
「あなたがちゃんと食べなければ、私が口移しで食べさせますからね」
「うん.....え?」
「冗談ですよ」
「あ....えへへ......」
リヴェットは少し笑いましたが、再び落ち込んだ顔に戻ってしまいました。
クラウディアはため息をつきました。
アトリアはずっとリヴェットの手を取り、心配そうに見つめていました。
リヴェットは悲しそうににひまわり畑を見渡しながら言いました。
「あの、ひまわり達が....ソーラスのみんなの記憶なんだね.....」
「そうです....彼らがこの世界に実体として存在していた名残なんです」
リヴェットはようやく落ち着きましたが、今でもまだ記憶世界で目の当たりにした光景が脳裏を過り、悲しみで涙が込み上げてきました。
「彼らは、私達が認識出来る次元を超えて行ってしまった。もう私達に、彼らの存在を知る術は無いのです。
私達の進化は、知性や物質の壁に阻まれ、そこで停滞した後、衰退して消え去っていくか......壁を乗り超えて高みの存在となるか。そのどちらか2つしか選択肢は無かったんです。彼女は前者を選ぼうとした.....でも、進化の裏には必ず大きな犠牲があります。急激な進化が齎す惨劇に気が付くのが、遅過ぎたんです......」
クラウディアはどこか淋しそうな、表面だけの笑みを浮かべて言いました。
遠い空には、青く輝く星が見えました。
それは、リヴェット達が暮らしていたオールドホーム。
空を見上げればこんなにもすぐ傍にあるのに、時間軸が大きく離れてしまった2つの世界。
自分がこの冒険でどんな結末を願っていたのか。どんな答えを期待していたのだろうか。
クラックスを潜る前にシュレットが言った言葉をリヴェットは思い出しました。
”とても辛い真実を目の当たりにする事になるかもしれない”
リヴェットにはその予感があったのです。そう、あの夢に出てきた光景を.....。
「ねえクラウディア....」
「なあに?」
「私ね.....ずっと前からこの風景を見た事があったの。夢の中でこのひまわり畑の中に立って、フィオールを演奏するの。
とても悲しくて、寂しくて.....胸が張り裂けそうなのに、その時は理由が全然分からなかった.....」
クラウディアも地平線の先まで広がるひまわり畑を見て言いました。
「リヴェット。あなたが見ていたのは、未来の記憶。今、この世界はオールドホームの時間軸から離れて存在しているんです。つまり、ここでの記憶は、オールドホームではどの時間軸からも、何らかの形を変えて見る事が出来るんです。
そう、リヴェットは今、ここで起きた出来事を既に記憶していたのでしょう。
予兆と言うと陳腐かもしれないけど、それが一番分かり易いでしょう」
それを聞いたリヴェットは、今こうして眺めているオールドホームが、一体いつの時代の姿なのかが気になりました。
過去か、未来なのか.....とても不思議な感覚でした。
突然、リヴェットの目の前にベーグルサンドが現れたと思うと、そのまま口に押し当てられました。
「ふあ?」
「リヴェット。ほら....美味しいですよ」
いつの間にかクラウディアが隣に来て、リヴェットにベーグルサンドを強引に食べさせようとしました。
「ふらうひあ.....」
目の前からおいしそうな香りが漂ってきました。観念して食べてみると、出来立ての温かさと香ばしさが、口の中一杯に広がりました。
「おいしい....」
クラウディアは呆れた顔で言いました。
「ふう.....やっと食べてくれましたね.....」
「ふふっ」
スピカも安心して微笑みました。
心配そうに見つめているアトリアに、クラウディアが言いました。
「アトリア。あの時は怒鳴ってしまってごめんなさい。
後であなた達に見せたいものがあります。リヴェット、フィオールを忘れないでね」
「うん」
―ランチを終えた後、二人はクラウディアとスピカに案内され、城壁の外に広がる雑木林にやってきました。
石畳の道をそれて、雑木林の中へ続く道を進んでいくと、やがて広大なひまわり畑が目の前に現れました。
そのひまわり畑の最も手前に、一際綺麗に咲き誇る5本のひまわりが、並んで咲いていました。
クラウディアはその内の最も右側にある、少し背の低いひまわりの前で無言のまま立ち止りました。
リヴェットにも、そしてアトリアにも、それが何を意味するのか分かっていました。
そう.....この5本のひまわりは、大災厄の章の最後に登場した、あのリコレクター達。
そして今、クラウディアが立ち止ったのが.....フランベルの記憶(Eternal Memory)である事を。
リヴェット達は再びショックを受け、深い悲しみに包まれました。
「私達は力を合わせて、ゴーストをソルナ・ティエナに封じ込める事に成功しました。
でも、ここへ帰ってきたのは、私ただ一人だけだったんです。フランベル.....彼女は、私の大切な親友でした」
最後にフランベルと別れた日から、途方も無い程の長い歳月が過ぎており、もう二度とフランベルに会う事は出来ない事はアトリア自身も分かっていました。
しかし、目の前に突き付けられた現実は、フランベルの最期を示すのに十分な程の悲しい事実を物語っていました。
アトリアはひまわりの前で、よろよろと倒れ込み、その場に泣き崩れました。
今まで泣いた事が無かったアトリアは、リヴェットの心を通じて、初めて泣きました。
涙をいっぱい零しながら、フランベルの名前を呼び続けました。
アトリアの深い悲しみがが、リヴェットの心に伝わってきました。
リヴェットも悲しみに共感し、涙を流しながらアトリアに駆け寄り、小さな身体を抱きしめました。
ひまわり畑に、二人の泣き声が響き続けました。
暫くすると、クラウディアがリヴェット達を背後からやさしく抱きしめて言いました。
「このひまわりは、フランベルがこの世界に存在していた記憶なんです」
「もう声は....届かないの?」
「....ええ」
「.....フランベルさん」
「あの子も....未来の記憶を見ることが出来ました。リヴェット。あなたの事も、よく話してくれていました。
あの子、あなたの奏でるフィオールの音色が、とても綺麗で好きだって言っていました」
「え?」
クラウディアは優しく微笑んで言いました。
「ねえ......聴かせてあげて下さい。きっと、過去のあの子の心に届きますよ」
「....うん」
リヴェットはフィオールを取り出し、フランベルのひまわりの前に立ちました。
ゆっくりと目を閉じ、そっと弓を弦に当てて、演奏を始めました。
美しい音色が、目の前のひまわりだけでなく、その先の地平線まで広がる壮大なひまわり畑にまで響き渡りました。
暫くすると、演奏の中にトランペットの旋律が綺麗なハーモニーとなって交わってきました。
クラウディアがリヴェットの旋律に合わせて奏でていたのです。
それだけではありません。
気が付くと後ろにガーシュタイン城に仕えるロボット達が集まってきて、ブラスアンサンブル、パーカッションでリズムを刻み始めました。
スピカがアトリアに小さなタンバリンを手渡すと、アトリアも演奏に加わっていきました。
どこか哀しく、しかしとても賑やかで楽しい旋律が、ガーシュタイン城へ、そしてひまわり畑にこだましていきます。
それに応えるかのように、そよ風を受けたひまわり達が左右に揺れ、花びらが群青色の空へと舞い上がっていきました。
―演奏が終わると、リヴェット達は目を瞑り、フランベルに祈りを捧げました。
「(.....さようなら、フランベル様...)」
アトリアは心の中でささやきました。
―ガーシュタイン城へ戻る途中、クラウディアが言いました。
「"Erlija B Minor Swing"」
「え?」
「.....あれが、リヴェットが夢の中で演奏していた曲だったんですね」
「名前は知らなかったの....."Erlija B Minor Swing"っていうんだね....」
リヴェットは嬉しそうに、そして記憶に刻むようにその名前を復唱しました。
「ねえリヴェット。"Erlija Minor Swing"は、星を渡る旅人が私達に伝えた音楽だと言われています。
全部で12曲あるそうですよ」
リヴェットは驚きました。
「いっぱいあるんだね.....クラウディアは、全部知っているの?」
「いいえ、私が知っているのはこれだけ。残りの11曲は既に失われてしまったんです。ねえリヴェット。今度冒険する時は、星を渡る旅人の足取りを辿って、失われた"Erlija Minor Swing"を探してみませんか?」
「うん」
リヴェットは笑顔で頷きました。
13. 決心
「リヴェット.....本当にソルナ・ティエナへ行くつもりですか?」
リヴェットはクラウディア達に、べクルックス観測所から持ち帰った、ヤンセン達の"Sista Fiolen"の演奏を収録したホログラム映像を見せていました。これまでの冒険の経緯、そしてシスタ・フィオーレンを手にした者が成すべき使命を、リヴェットはそれをクラウディア達に伝えました。
「.....ゴーストを打ち倒す3つ内の最後の方法を....オリヴィアはずっと前に彼に伝えていたんですね。
そのような研究が行われていた事は、噂で聞いた事があります。でも、本当に完成していたなんて.....」
「クラウディア.......」
スピカが悲しそうな表情で何かを言おうとしました。
「あなたの言いたいことは分かっていますよスピカ。過去の事は仕方がありません。
今、これからの事を考えましょう」
クラウディアはリヴェットの方に向き直って言いました。
「リヴェット。ソルナ・ティエナがどういう場所かは....もう、分かっていますよね?」
リヴェットは少し自信が無さそうな表情で頷きました。
「もしソルナ・ティエナの亡霊を眠らせる事が出来たとしても、ソーラスは二度と蘇る事はありません。NEBOの時間軸も....もう元には戻せないんです。それでも.....行くつもりですか?」
リヴェットはアトリアと顔を見合わせて頷くと、決心を固めた力強い瞳で、クラウディアを見つめて言いました。
「.....うん。みんなの想いを、しっかり届けたい.....」
....暫くの沈黙の後、クラウディアはスピカと向き合いました。
二人は心の中で何かを語り合っている様子でした。そして、ようやくクラウディアがリヴェットの方に向き直り、再びリヴェットの瞳をまっすぐに見つめると、観念したように言いました。
「.....分かりました。リヴェット。私達の負の遺産をEternal Memoryに残さない為にも.....彼らと決着を付けましょう。
でもリヴェット。ソルナ・ティエナに入るにはリコレクターの力が必要です」
クラウディアはリヴェットの手を取って言いました。
「私達も一緒に行きます。あなたが決めたこの子の...シスタ・フィオーレンの運命に、身を委ねる事にしましょう」
14. ソルナ・ティエナ
―リヴェット達を乗せた飛行艇はガーシュタイン城を後にし、広大なひまわり畑の上を風のように失踪していきました。
初めてNEBOに来た時、大きく反れていったポイントから、飛行艇は真っ直ぐソルナ・ティエナの市街地へと向かって進んでいきました。
ソルナ・ティエナのランドマーク、巨大なゲートウェイ・アーチが目前に迫ってきました。
沢山の風車が取り付けられ、美しい花々に覆われた緑色のアーチは、ここへ訪れる人々全てを招き入れるかのように、堂々と佇んでいました。
クラウディアはリヴェットに、羅針盤を手渡しました。
「リヴェット.....これを返しますね」
「あ.....ありがとう」
「ごめんなさいね。実はこっそり弄らせて貰いました」
「え?....あ!」
クラックスを超える前、役目を終えた羅針盤は動かなくなりましたが、再び新しい方角を指し示すようになっていました。
「リヴェット。羅針盤は私達の目的地、ソルナ・ティエナ西岸地区、クリスタル・シアターの大劇場までの進路を指し示しています」
「クラウディア、ありがとう」
「ソルナ・ティエナの亡霊を生み出したメモリス・ベクターは、あの劇場そのものなんです。
行く手にはゴーストたちが、私達を狙って待ち構えています。
リヴェット。気をつけて下さい。NEBOの彼方は、とても遠いようで、とても近い場所でもあるんです。
もし少しでも心が捕われると、あなたもすぐにそこへ昇ってしまいます。
ソルナ・ティエナにいるのはゴーストだけ。NEBOの彼方へと誘う亡霊。
ゲートウェイ・アーチを潜ったら、絶対に後ろを振り返っては駄目ですよ。
誰があなたに話しかけても.....絶対にですよ」
クラウディアは、傍らでずっとリヴェットにしがみついているアトリアを見て言いました。
「アトリア。あなたにはこれを」
クラウディアはアトリアに、小さな指揮棒のようなものを手渡しました。
アトリアがそれを一振りしてみせると、先端が緑色に輝きながら、光の粉をキラキラと散らしました。
「それは願い(LENGSEL)のタクト。魔法の杖のようなものです。その光でゴーストを追い払うんです。....だけど注意してね。それはあくまで追い払う事しか出来ません。ゴーストは空を浮遊して、どこからでも執念深く接近して来ます。だからアトリア。あなたはリヴェットの側を離れず、しっかり守ってあげて下さいね」
「はい!任せて下さい」
アトリアは力強く返事をしました。すると、急に目つきが鋭くなり、おとぎ話の騎士にでもなったかのように凛々しい表情で、素振りをしてみせました。頼もしく、そして可愛らしい姿にリヴェット達は思わず笑みがこぼれてしまいました。
「リヴェット。アトリアが、あなたにとって現世を繋げる唯一の証。いわばあなたのメモリス・ベクターのようなもの。
だから決して、アトリアから離れてはダメですよ」
「うん」
リヴェットは力強く頷きました。
飛行艇はゲートウェイ・アーチ手前の広場にゆっくりと降下していき、着陸しました。
クラウディアとスピカが先に降りると、二人は互いに見つめ合い、手を取り合うと.....スピカがゆっくりとクラウディアの中へ消えていきました。
すると、クラウディアの黒い翼を補うように、赤い輝く光の翼が現れました。
「クラウディア.....」
後から降りてきたリヴェットとアトリアは、その美しさに見惚れてしまいました。
クラウディアが振り返り、リヴェットに手を差し出しました。
「さあ、行きましょう」
―ゲート越しから望むソルナ・ティエナの西岸地区。それは天高く突き出した雄大で美しい建物が並ぶ、とても大きな都市でした。
ソーラスの古い歴史と、高度なテクノロジーの両方が共存した、まさにこのNEBOの中心と呼べる存在感を、長く歳月が過ぎた今でも損なうことなく堂々と佇んでいました。
しかしよく目を凝らして見ると、所々に破壊された傷ましい痕跡が見られました。
大災厄が起きる直前まで、この街が戦場となっていた事を思い出し、リヴェットは悲しくなりました。
ゲートウェイアーチを通り抜けた瞬間、突然辺りの空間が変異しました。
今まで昼間だった空は急に暗くなり、大禍時のような不気味な赤と藍色の空と、漆黒の闇が全てを包み込みました。
どれもが古いネガフィルムのような、ぼんやりとした色彩を帯びていました。
リヴェットは背筋が凍るような感覚をおぼえました。
街中の至る所から、囁くような声が聞こえました。誰もいない筈の街に、不気味な程の喧騒がありました。
クラウディアが言いました。
「リヴェット。ゴーストはリコレクターにしか見る事が出来ないんです。だから、これからあなたにも見えるようにします」
クラウディアは手に提げていたケースを蹴り上げると中から勢いよくトランペットを取り出しました。
クラウディアはトランペットを思い切り吹くと、眩い閃光と共に、星のような輝きを放つ大小様々な大きさの光の球体が一斉に飛び散り、街中に散らばっていきました。
街中のあらゆる場所に黒い人の影が現れ、気が付くと二人を取り囲むように迫っているのが見えました。
それはユーゴの詩集に描かれていた、あのソルナ・ティエナの光景とそっくりだったのです。
「さあ、急ぎましょう。大丈夫.....あの子達はまだ、様子を見ているだけです」
二人は手をしっかり握り、真っ直ぐクリスタル・シアターを目指して歩いていきました。
―西岸地区のダウンタウンを縦断する広い道路は、まるで時が止まったかのように、自動車や飛行艇で無造作に停められていました。既に誰もいない筈の繁華街の街灯が、辺りをぼんやりと照らしていました。
「リヴェット。あれも全てゴーストが見せている記憶の投影です」
リヴェットは恐怖のあまり、言葉が出ませんでした。
クラウディアが放った光の球体は、街中のあらゆる場所を浮遊していました。
それは不気味な空間となったソルナ・ティエナを照らす、希望の光のようにも見えました。
並木道の木々の背後からは、沢山の黒い影.....ゴースト達がゆっくりとこちらへ近づいて来るのが見えました。リヴェットはそちらを見ないように、夢中で前に向かって歩き続けました。クラウディアは合図するまで絶対に走ってはいけないと言い、リヴェットの手をしっかり握り、ペースを合わせるように言いましたが、リヴェットはすぐにでも駆け出したい気持ちでした。
アトリアはリヴェットのすぐ傍でタクトをかざしながら、ゴーストの襲撃に備えていました。
広い十字路に差し掛かった時、リヴェット達は前方と背後をゴーストに取り囲まれてしまいました。
前方に佇むゴーストは、リヴェット達と同じくらいの背丈の少女と思われる影で、何かを囁いていました。
それは少し訛りのあるソーラス語でしたが、今はアトリアと記憶を共有しており、リヴェットにもその言葉の意味が分かりました。
「クラウディア....何故あなただけが生き残っているの?」
「もうずっと一人は寂しいでしょ? 皆、待っているよ」
クラウディアが言いました。
「リヴェット。私が演奏を始めたら、西側へ3ブロック先にある大通りから迂回して、羅針盤の指し示す方角を目指して走ってください」
「え.....?」
リヴェットはとても不安な表情でクラウディアを見つめました。
「彼らは私の古い知り合いで.....ちょっと厄介なんです。行ってリヴェット!振り返ってはだめです!前を向いて走って!」
「クラウディアも一緒に行こうよ!」
「駄目よ....この子達は私だけを執念深く狙っているの。ゴースト達はまだ、あなたの存在を識別出来てはいない。でも、それも時間の問題。さあ早く!」
リヴェットはクラウディアの深刻な顔を見て決心しました。
「.....うん! アトリアちゃん」
「はい!」
アトリアはリヴェットの肩にしっかりとしがみつきました。
「クラウディア!先に行って待ってるからね!」
「ええ、必ず行きます」
二人は勇気を振り絞って十字路を西側に向かって駆け出しました。
クラウディアのトランペットの演奏が、ダウンタウンのビルの谷間に響きました。
それはジャズのアドリブのような荒々しい旋律でした。
3ブロック目の大きな十字路に差し掛かると、リヴェットは左折し、再び羅針盤の示す方角に向けて駆けていきました。
前方を見上げると、周囲の高層ビルの合間に、まるで空中に浮かぶような形で存在する、とても大きな楕円形の建造物が見えてきました。
周りから迫り来るゴーストから逃げるように、リヴェットは白い翼を大きく揺らしながら、必死に走り続けました。