10. 船出
「......え? 今日なの?」
「ええ。出発は今日ですわ」
それは突然の事でした。とても深刻そうな顔をしたレティシアに、直ぐに地下格納庫に来てと頼まれ、一緒に降りていくと、
そこにはアトリア、R.クラーク、そしてステラも集っていました。
事態を知らないリヴェットがどうしたのかなと心配そうに皆の表情をうかがっていると、
レティシアが重い口を開き、出発が今日になった事を告げたのです。
「でもどうして? まだ2週間も先だった筈だよ?」
「奴ら......公社が嗅ぎ付けましたの」
「え?」
「向かいのオディールさんのお屋敷に、珍客が現れましたの。
前身真っ黒いコートを着た、いかにも悪い奴だぞって感じですわ。アトリアちゃんが奴らの通信を傍受して、教えて下さいましたわ」
「この地域では珍しいファストライン通信でしたから、気になってつい入ってみたんです......」
アトリアが恥ずかしそうに言いました。
「それは公社の特殊部隊です。彼らの狙いはこの飛行船と、私達......そして何よりも、ソーラス人であるリヴェット様、貴方です」
R.クラークがリヴェットの方に向き、事態を悟ったかのように言いました。
「ステラさんの話によると。奴ら、このお屋敷を昨日の夜からずっと監視しているみたいですわ」
「そんな.....オディールさんは?」
「オディールさんは明日まで、公演の為に外出しております」
「もしオディールさんの公演を、あいつらが仕組んだものだとすれば、泥棒ごっこが出来るのは、今日が最後になりますわね。
そして、痺れを切らしてここにあいつらが入ってくるのは、もう時間の問題ですわ。つまり......」
「出発するなら今日しか無いと言う事ですね」
「アトリアちゃんの話によると、ここから周囲1kmの範囲に、公社の飛行艇が4機待機しているみたいですわ。
だから、もしこのままルシーア号が浮上すれば、恰好の餌食になるだけ。そこで、作戦を考えましたわ」
11. ウェレンスヴァニアからの脱出
フェディックは、オディール夫妻の家の2F寝室の窓から、ずっと別荘の様子を伺っていました。
トラヴィスからファストライン通信が入ると、窓から離れ、通信機を取り出しました。
「フェディック、動きはあったか?」
「いえ.....5時間前、家政婦が出入りして以来、何もありません」
「フェディック。2時間経って動きが無ければ、作戦Bに移れ」
「了解」
作戦B。それは、突撃を意味していました。
―突然、辺り一帯に轟音が鳴り響きました。フェディックは慌てて窓の外を見ると、
監視していた向かいの屋敷の裏手から、砂煙があがっているのが見えました。
そして、中から飛行船......メリエス号が顔を出し、徐々に浮上していきました。
「こちらフェディック。ターゲットが動き出した。直ちに出撃、これを追撃せよ」
近辺を取り囲むように待機していた公社の戦闘艇は、一斉に浮上し始めました。
メリエス号はホバリングしながら方向を微調整すると、徐々に加速していきました。
フェディックも直ぐに屋敷の裏手に回り、隠していた小型飛行艇に搭乗し、メリエス号を追いかけました。
普段は静穏な47区全体に、轟音が響き渡りました。
公社の戦闘艇がメリエス号の後方に付くと、まるでそれに気が付いたかのように右へ旋回しました。
突然、後方から煙幕のようなものを放出し始めました。メリエス号はお屋敷の敷地をぐるっと回るように飛行しました。
煙幕はお屋敷、そしてメリエス号を包み込みました。
「一体何をしている?そんな原始的な手で隠れられるとでも思ったのか?
全機に次ぐ。ターゲットを撃墜せよ」
「戦闘艇が一斉に射撃用レーダーを作動させた瞬間、メリエス号は旋回し、谷の南側へ向かって急加速していきました」
「ターゲットが逃げたぞ!追跡しろ!」
「了解」
メリエス号は非常に機動性の高い飛行船でした。元々、シュレットが公社の戦闘艇を振り切る為に設計したものだったのです。
メリエス号はぐんぐんスピードを上げ、渓谷にプロペラエンジンの音を響かせながら、南へ進んでいきます。
その後方をフェディック達の公社の戦闘艇がぴったりと続いていきす。
メリエス号のブリッジには、レティシアとステラの姿がありました。
「ステラさん、後ろから4機付いて来てますわ」
「あらあら.....私のお尻がそんなに魅力的なのかしら。レティシア様、しっかり捕まっていて下さいね!」
「え?ちょっと....あ」
メリエス号が一気に右へ旋回すると、レティシアはびっくりして手に持っていた地図を落としてしまいました。
「ねえちょっと、ステラさんって、どこで飛行船の操縦を覚えましたの?」
「いえ....少しかじった程度です。これも家政婦の仕事ですから....次は左に旋回しますよ!」
「あ、ちょっと待って!きゃっ」
ステラの(少し強引だが)見事な操縦によって、公社の戦闘艇はメリエス号に付いていくのが精一杯でした。
戦闘艇はとうとう機銃をメリエス号に向けて撃ち始めました。
「撃ってきましたわ。民家に落ちたら大事なのに......何があっても私達を行かせないつもりですわね」
「公社はそういう連中です。あ、お嬢様、12区に入りましたよ」
レティシアは強引に通信機のマイクを引っ張り、大声で叫びました。
「アトリアちゃん!奴らを12区まで引き付けましたわ!!発進ですわ!」
「了解.....いきます!」
真っ暗闇だったルシーア号のブリッジの中が突然明るくなり、目の前に円形のスクリーンがいくつも投影されました。
機体が揺れ始め、浮上による重力がシートに座っていたリヴェットにつたわっていきます。
リヴェットは驚きと不安の表情を浮かべながら、アトリアを見守っていました。
「班長!後方......47区上空に巨大な機体をレーダーが捉えています!」
「何だと!?目視は!?」
「駄目です。煙幕に隠れていて見えません。どんどん高度を上げています....」
暫くすると、煙幕の中からルシーア号が姿を現しました。とても雄大な翼、白い光沢を放つ美しい機体。
その光景を見た公社の隊員全員が驚き、言葉を失っていました。
「.....なんだあれは」
「こんな機体、見た事が無いぜ」
「クソ!! 2番機はこのまま追跡を続けろ。他は俺に続け!」
フェディック機は急旋回し、一直線にルシーア号に向かって急加速していきました。それに2機が続きました。
「奴が本体だ!何としてでもここで落とせ!」
ルシーア号は渓谷の上を目指し、上昇していきました。
――時を遡り、今から4時間前。ルシーア号の中で全員が作戦会議を行っていました。
作戦は、メリエス号を囮にして、ルシーア号が渓谷を抜ける時間を稼ぐというもの。
大型のルシーア号は、渓谷の上まで浮上し、最大戦速で離脱するまでに、かなりの時間を要します。
そこで、メリエス号が囮になって公社の戦闘艇をギリギリまで引き付けて時間を稼ぐというものでした。
公社がルシーア号の存在をまだ知らない事が、この作戦の勝算でした。
「合流地点はここ.....南南西に120km、旧市街の空港ですわ。恐らく、リヴェット達の方が先に着きますわね」
「ねえレティ.....危険だよ。もしレティが逃げ切れなかったら.....」
「リヴェット、大丈夫ですわ。このメリエス号はかつて、何度も公社の戦闘艇をぶっちぎったのですわ。
今回だってきっと、逃げ切れますわ――」
「高度1500メートル、渓谷を抜けました」
アトリアの声が機内に響きました。アトリアはブリッジ中央の円筒の中で、前身をアクアブルーの閃光に包まれていました。
リヴェットはその美しい光景に見とれていましたが、直ぐにレティシアの事を思い出し、メリエス号を映しているスクリーンを探しました。
メリエス号はウェレンスヴァニア最南端、4区の上空にいました。
リヴェットは通信機でレティシアを呼びました。
「レティ!こっちは渓谷の上に出たよ!レティも早く離脱して!」
「うふふ、作戦成功ですわね!....あ」
その瞬間、メリエス号は戦闘艇の砲撃に被弾し、後方のエンジンが爆発し、外れていきました。
「ああっ!」
リヴェットは真っ青になり、必死でレティシアを呼びかけました。
「レティ!?大丈夫!?」
「けほっけほっ.....ヘマをしましたわねステラさん」
「申し訳ございません、お嬢様」
二人は無事で、リヴェットは少しだけ安心しました。しかし、このままではメリエス号は墜落するしかありません。
「レティ!メリエス号が....落ちていくよ....どうしよう。
これじゃ、もう飛べない.....レティと、合流出来ないよ.....」
暫く間を置いてから、レティから返答がありました。
さっきまでとは違う、いつもの穏やかなレティの声でした。
「ねえリヴェット。よく聞いて下さいね。
船に積んだ食料だけど、お菓子ばかり食べていては駄目ですわよ?
好き嫌いはせず。ちゃんと私が積んだお魚も食べること。
調理方法は、キッチンにメモを残しておきましたわ。
水は、船内のジェネレーターが作って下さいます。
それを沸かせば、いつでもおいしい紅茶が頂けますわ。
分からない事があれば、あのポンコツに訊いてね」
「.....そんな.....そんな、いやだよレティ。レティも一緒じゃないと」
「ごめんなさい、リヴェット。こうなる事は、本当はわかっていたんです。
メリエス号にはもう、かつてのパワーは無かった。でも、賭けてみるしかなかったの.....」
「レティ.....」
「リヴェット。最初は戸惑うかもしれませんわ。でも大丈夫。どんな窮地にも、困難に遭遇しても、
行き先だけは決して、見失わないでね。その羅針盤が示す先を、強く思い描いてね。
リヴェット。あなたなら、絶対にソーラスに辿り着けますわ。
だって、あなたの故郷なのですもの。きっと向かい入れてくれますわ。
クラーク、アトリアちゃん.....私の代わりに、リヴェットをしっかり守って下さいね!」
「レティシア様....」
「あら、初めて名前を呼んでくれましたわね。嬉しい」
「駄目だよ! レティも一緒に行こう!」
リヴェットは泣きながら必死にレティにうったえかけました。レティシアもまた、目に涙を浮かべていました。
しかしリヴェットを心配させまいと、明るい声で答えました。
「リヴェット.....いい旅をね!またねっ!」
メリエス号は東側の渓谷の裏側へと消えていき.....やがて、煙が上がりました。
「そんな....やだよぉ!レティ!!ステラさん!!」
通信機からは、もはやノイズしか聞こえませんでした。
リヴェットはあまりのショックで、その場にしゃがみ込んでしまいました。
二人が無事かどうか、ここから確認する術はありません。
突然、アトリアの声が響きました。
「リヴェット様、後方から3機接近しています!もう直ぐ射程に入ります!」
リヴェットは、はっと我に返りました。
このままここで打ちひしがれていても、レティシア達を助けに行こうとしても、この機はきっと落とされてしまう。
そんな事をすれば、レティシア、おじい様....みんなの願いが、全て失われてしまう。
「レティ.....ステラさん......ごめんなさい!」
リヴェットは涙を拭い、大きな声で叫びました。
「アトリアちゃん、行こう!」
「はいっ!」
ルシーア号のエンパサイズ・エンジンは、眩いほどの青白い閃光を放ちました。
そのエネルギー衝撃派は凄まじく、公社の戦闘艇が弾き飛ばされる程の波動でした。
機体は一気に加速していき.....ルシーア号は轟音と共に、
あっという間にウェレンスヴェニアの遥か南の彼方の小さな閃光となり、やがて消えていきました。
12. 青き星を目指して
レティシアはいつもリヴェットに、口癖のように言っていました。
祖父シュレットの意思を継いで、一緒にソーラスへ行こうと。
「リヴェットのような天使ちゃんが沢山いるんでしょう。きっと、とてもかわいいですわ」
「....もう、レティってば」
ソーラスへの冒険は、レティシアの夢でもありました。
しかしレティシアはその夢を、リヴェットに託しました。いつも傍にいて自分を守ってくれていた....唯一の家族と、突然離れ離れになった哀しさ。
そして、これから訪れるであろう、外の世界に待ち受ける困難に、
一人で立ち向かわなければいけない恐怖で、リヴェットは心が押しつぶされそうになっていました。
そんな時、ふと顔を上げると、アトリアの姿がありました。
「....アトリアちゃん?」
アトリアが哀しそうな表情で、リヴェットの手を取ろうとしていました。
それを見たリヴェットは、初めてアトリアと出会った日、約束した事を思い出しました
「.....駄目ね、こんな所で挫けてちゃ。一緒にソーラスへ行って、フランベルさんを探すって約束したのに.....しっかりしなくっちゃ。
ごめんねアトリアちゃん。もう大丈夫.....」
リヴェットはゆっくり立ち上がりました。R.クラークが心配そうに言いました。
「リヴェット様.....私達が不甲斐ないばかりに....申し訳ございません」
「ううん、誰も悪くないよ。レティはきっと、そのつもりだったから...」
リヴェットはブリッジ前方の窓の外を眺めました。
日没の陽の傍らには、とても大きな.....青く輝く星が見えました。
それはリヴェットが夢で見たあの星よりも、少し小さいものでしたが、リングが付いており、とてもよく似た姿をしていました。
「大きな星......おじい様が言っていた.....南の空には、青く美しい星が見えるって」
「NEBO....ソーラス人達はあの星をそう呼んでおりました。
我々の世界は、2つの惑星の連星から成り立っております。
深い渓谷に囲まれたウェレンスヴァニアからは、あの空を見る事は出来ません。
それだけではありません。ルーヴェンも、カーネリアも.....どこもあの空を見る事は出来ません。
全て、公社によって意図的に覆い隠されているのです」
「どうして....?」
「その真意は、私にも分かりません。しかし、ソーラスにきっとその答えがあるでしょう。
ソーラス人はかつて、あの星に入植していたと言われております。もしかしたら、まだそこに彼らがいるかもしれません」
「NEBO.....あれが、アトリアちゃんが言っていた、ソーラス人の最後の楽園......」
リヴェットは涙を拭いました。そしてNEBOを見つめながら、遠く離れ離れになってしまったレティシアに向けて言いました。
「レティ.....ありがとう。私、絶対にソーラスに辿り着いて見せるからね」
第1章:ウェレンスヴァニア編 (終)