13. 水没した都

 ルシーア号は羅針盤の針が指し示した南西の方角へ向けて航路を進めていました。 大きな海峡を渡り、ソーラスを構成する3つの島の内、中央に位置する”オルカ島”の上空に差し掛かると 眼下には針葉樹林がびっしりと広がり、遥か東の方角には美しいオルカ山脈の峰の雪が、陽の光を受けて輝いていました。

 やがて遥か前方に、大きな湖が見えてきました。ルシーア号が前進するにつれて湖は次第に大きく広がり、 やがて眼下一面が青々と輝く水面に覆われました。湖は雄大なオルカの山々を映し出し、そして青々と輝いていました。

 水面から幾つもの灰色の突起物が、草花に覆われながら顔を突き出していました。 よく見ると、それは水没した建物の一部だったのです。湖面には、透き通った水面の中から、かつての都市の姿を見渡す事が出来ました。

「アトリアちゃん、ここは?」

リヴェットが訊きました。

「現在、オルカ上空です....しかしこれは.....」

R.クラークが何かを考えながら言いました。

「どうやら、水没してしまったようですね。一体何があったのでしょう」

 リヴェットはシュレットの手帳を取り出し、読み上げました。

”OLKA”

”オルカ湖はかつて、100km上流に存在していた湖だ。現在その場所には湖は無く、決壊したダムの痕跡だけが残されている。 主を失い、制御できなくなったダムが決壊した為、湖が都市部に出来てしまったと思われる”

 リヴェットは再び水没した都市を見渡しました。今、自分が見ている場所が、ソーラス第2の都市オルカである事は確かでした。

 ルシーア号が湖の対岸まで進むと、羅針盤が突然逆の方角を指し示しました。

「アトリアちゃん。羅針盤の針が逆向きに.....」

「え? ごめんなさい!」

 アトリアは急いでルシーア号を旋回させ、再び湖の方に向けて航路を取りました。暫くして、羅針盤はまた直ぐに逆の方角を指し示したのです。 リヴェットは、それが意味する事実を直ぐに察しました。羅針盤は、この水没した都市の中を指しているのだと.....。


 アトリアはルシーア号を廃虚の塔の横に停泊させました。3人は水面から少し顔を出している建物の屋上へと昇り、湖面を見渡しました。リヴェットの背中の翼が、湖面の風に揺らぎながら震えていました。リヴェットは羅針盤を開き、その指し示す方角を見て、不安そうな表情を浮かべました。

 アトリアが傍に来て言いました。

「リヴェット様。少し眩しいので、目を瞑って下さい」

 リヴェットが不思議そうに思いながら目を瞑ると、アトリアはリヴェットの目の前に移動し、リヴェットに手をかざすと、同じ様にゆっくりと目を閉じていきました。暫くすると2人の体は眩い閃光に包まれ、青く透き通った球体に包まれました。

「アトリアちゃん、これは?」

「アクアスフィアです。これでリヴェット様も水の中で自在に移動する事が出来ます」

 リヴェットは、自分とアトリアを包み込む、シアンに輝くスフィアを不思議そうに見て言いました。

「.....アトリアちゃん、ありがとう」

「ですが、アクアスフィアは....」

R.クラークは悟っていたかのように言いました。

「ええ、分かっています。アクアスフィアの有効範囲は一人迄です。今回は私はお留守番致しましょう。 ですがご安心下さい。アトリアを通じて、私との連絡は常時可能です。何かあればお申し付け下さい」

「クラークさん、ありがとう」

 リヴェット達が立っている建物は高台にあり、傍らには階段が真っ直ぐと湖面深くへと続いていました。 リヴェットとアトリアはお互いの表情を見て頷くと、階段をゆっくり下りていき、湖面の中へと進んでいきました。 アクアスフィアは柔らかいシアンの輝きを保ち、二人をしっかりと守っています。 水の中にいながら呼吸する事も、喋る事も出来ました。 リヴェットは飛び上がってみました。すると、リヴェットの体はスフィアと共に水中に浮き上がっていきました。 それはまるで、水の中を飛んでいるかのような感覚でした。

「アトリアちゃん。私達、まるで飛んでいるみたい」

「はい、リヴェット様」


 リヴェットは、アトリアが自分の事を”リヴェット様”と呼ぶ事に、どこか違和感を感じていました。

「アトリアちゃん.....様は、つけなくていいよ?」

「そんな.....それではリヴェット様に失礼では.....あ.....ごめんなさい」

 二人はクスクスと笑いました。

「えと.....リヴェット」

 アトリアは少し照れくさそうに言いました。

「リヴェットがよければ、これからはそう呼ばせて貰いますね」

「うん」

 二人は少しの間、水の中で遊びながら、湖底を目指していきました。 湖が深くなるにつれて、湖底に沈んだオルカの街並がどこまでも広がっているのを見渡す事が出来ました。 リヴェットは初めて目にする青々と染まる水の世界の光景に、心を躍らせていました。 羅針盤はその先の暗闇の中を、真っ直ぐに指し示していました。


14. べクルックス観測所

 羅針盤が指し示した場所は、水没した高層建築物に囲まれた、小高い丘の上に存在していました。 入り口の立て看板には、辛うじて文字を読み取る事が出来ました。

「べクルックス観測所、と書かれています」

 アトリアが言いました。

 その建物には不可解な点がありました。不思議な”球体”に包まれていたのです。 それは、アトリアがリヴェットを包み込んでいる、 このアクアスフィアと同じように、柔らかいシアンの輝きを放っていました。

「アトリアちゃん、あれってもしかして.....」

「恐らく、私のアクアスフィアと全く同じ性質のものです。 当時のソーラスでは珍しくないものでしたが.....それがまだ稼動しているなんて、信じられません」

「行ってみよう」

 二人は観測所を包み込むアクアスフィアの中に入りました。それ自体が水を避けている為、地上のように重力が発生し、リヴェットはすとんと地面に落ちてしまいました。

「きゃっ」

 リヴェットは思わず倒れてしまいました。

「リヴェット!」

「大丈夫.....平気」

 リヴェットはゆっくり立ち上がり、観測所を眺めました。 観測所はアクアスフィアに守られていたおかげで、 長い歳月の間、水による腐食から守られていました。 二人は羅針盤の針の指し示す方向に従い、建物の内部に入っていきました。そこはアクルックス観測所の内部と同じ様に、まるで天球儀のような不思議な形状のオブジェが数多く飾られていました。 内部は太陽の光を取り入れるように、大きな吹き抜けの構造となっています。 その吹き抜けの一番下のホールに、まるで二人を待っていたかのように、クラックスがあったのです。


15. 第2のクラックス

 二人は早速、クラックスを調べました。観測所のアクアスフィアが生きていたので、もしかしたらクラックスの動力も生きていると期待していましたが、残念ながらそのクラックスは動いてはいませんでした。 アクルックス観測所のクラックスと同じ様に、傍らに石碑が置いてあり、記号が刻まれていました。

「お任せ下さい」

 アトリアは石碑とクラックスの記号をメモリーに記憶し、そしてリヴェットの分かる言葉に置き換えて聞かせました。

HH-031-115

ON-018-059

 アトリアは2つの観測所のクラックスに刻まれた暗号を、自らと同じ様にホログラムに投影しました。

「アトリアちゃん、ありがとう」

リヴェットは暗号をシュレットの手帳に写しました。

「あれ?....どちらも2列目が同じだね」

「はい」

「もしクラークさんが言ったとおり、これが転移装置なら、きっとこれが行先になるのかな。 もしそうなら、2つのクラックスは、きっと同じ場所へ通じていると思う.....」

 アトリアが何かに気がつきました。

「リヴェット。"O"はソーラスの言葉で、願いを意味する言葉の頭文字です。そして"H"は、自身の居場所を意味する言葉。 きっと1列目がこのクラックス、そして2列目が行先のクラックスを現しているのだと思います。ですが.....」

「うん....そうだとすると、2行目のHとNは、何を意味しているのかな......」

 二人はすっかり考え込んでしまいました。

 暫くしてから、リヴェットが言いました。

「ねえアトリアちゃん。先ずは、羅針盤の示す先に行ってみよう?」

「はい....」

 二人はクラックスのコード解析は後にし、先を急ぐことにしました。


16. 星と弓の紋章

 二人は ”カール・ヤンセン” という名札の付いた、かつての研究者のものと思われる部屋にやって来ました。 部屋は何もかもが綺麗に保存され、まるで時が完全に止まってしまっているかのように見えました。羅針盤が指し示していた先には、紋章が描かれた金庫が置かれていました。

 リヴェットは羅針盤をその紋章に掲げると、紋章がぼんやりと輝き、突然カチッという音が響きました。金庫が開いたのです。 二人は目を見合わせました。そして、恐る恐る重い蓋を開けると、中にレザーのケースと、フィルムが置かれていました。 リヴェットはレザーのケースから、ノートのようなものと、何かの機械のようなものを取り出しました。 リヴェットは不思議そうにその機械を見つめました。

「それはホログラム投影機です」

 アトリアが言いました。

「ですが、電池が失われています。交換しないといけません」

 リヴェットは少し残念そうに、ケースにそっとしまいました。 今度はノートのようなものを開いてみると、それが音楽の楽譜である事が一目で分かりました。リヴェットは一頁ずつ楽譜を確認しました。 それは幾つものパートに分かれたオーケストラのスコアでした。

「この曲は、私一人では演奏出来ないよ....」

 リヴェットは苦笑して言いました。 傍らで覗き込んでいたアトリアが、何かに気がついて言いました。

「リヴェット。この作品の名前....あのシスタ・フィオーレンと同じ名前みたいです」

「え?」

 リヴェットは楽譜の表紙を確認しました。 そこにはソーラス語の言葉と、シスタ・フィオーレンに刻まれた物と同じ紋章が描かれていました。

「この曲はもしかして」

「きっと、あのフィオールが関係していると思います。リヴェット、きっとこのフィルムを見れば、何か分かるかもしれません」

 アトリアが金庫の中にある映画のフィルムを指差しました。

「うん....そうだね」

 リヴェットは金庫からフィルムを手に取り、それを楽譜と一緒にレザーケースにしまいました。 再び蓋を閉めると、金庫に向かって頭を下げて言いました。

「ごめんなさい....この子達も持っていきます」

 アトリアも一緒に頭を下げました。

 先ほどまでぼんやりと輝いていた紋章は、まるでその役目を終えたかのように、輝きを失っていました。 リヴェットその金庫に描かれた紋章に、見覚えがあった事に気が付きました。 リング惑星に、弓のフレームが付いた紋章。アトリアが着ている服にも、その紋章が描かれていました。 しかしもっと以前から、リヴェットはそれを見た事があります。 何故なら、ロクスクロス公社の紋章にも同じものが使われていたからです。

「ねえアトリアちゃん。この紋章は、何を表しているの?」

「これはNEBOの紋章で、ソーラスの国章としても使われておりました。 NEBOは、ソーラス人にとって、遥か昔からその風土、歴史、文化の象徴として親しまれておりました」

「アトリアちゃん....この紋章、公社も同じ物を使っているの。どうしてだろう」

「....きっとパクったのです」

 アトリアがジトッとした目で怒りながら言いました。 リヴェットは苦笑しながらアトリアをなだめました。しかし、リヴェットはその後も、紋章の事がどうしても気がかりで仕方がありませんでした。

「リヴェット。きっと羅針盤が新しい行先を示しているかもしれません」

「うん」

 リヴェットは羅針盤を確認すると、針が再び大きく震えて動き出し、南東の方角を指し示しました。 アトリアが言いました。

「ここから南東の方角....ソルガルト島ですね」

「そこには何があるの?」

「シューガルデン。ソーラスの首都です」


17. カール・ヤンセン

 ルシーア号へ戻ったリヴェット達は早速、カール・ヤンセンの金庫に保管されていたフィルムを見る事にしました。 既に映写室となっているレティシアの部屋に3人が集り、アトリアがソーラス語をの音声を翻訳し、二人に聞かせました。

―映像は、一人の老人の姿を映し出しました。

「私はカール・ヤンセン。この研究チームの責任者だ。 このべクルックス観測所では ソルナティエナの亡霊に対して、音楽という手段で対抗する研究を行っていた。 だが今日、研究はとうとう打ち切られ、ここも見捨てなければならない。 無駄骨とはなったが、我々の努力と、そして生きてきた証として、記録を残しておこうと思う。

 先ずはどこからお話しようか.....そう、あの詩人の青年との出会いからお話しよう。

 あれは20年前の話だ。私は酒場で聴いたシスタ・フィオーレンの音色に大変魅せられた。 ユーゴ・ルイバーグという名の吟遊詩人が奏でる調べに心底感動した。 私はそのユーゴという青年と幾度か話を聞き、その永遠の命を持つフィオールに興味を抱いた。

 何故朽ちないのか。その原理は分からないが、だがそれを我々の世界とは別の高次元、時間軸を進むものだと仮定した。 もしそうだとすれば、テリーサ社の狂った科学者達が行った過ちを、清算する手段になり得る力があるに違いない。 私達の研究チームは一丸となって、彼とシスタ・フィオーレンの為に、ある曲を書いた。 それはレクイエムだ。あのソルナ・ティエナの亡霊を駆除する為のだ。

 私はそのレクイエムの演奏に協力してもらおうと、再びユーゴを探し、彼の元を訪れた。 しかしその頃、ユーゴは既にシスタ・フィオーレンを失い、演奏興行も辞めてしまっていた。 彼は大変酒に酔っていた。私は彼を保護し、それまでの出来事を全て彼から聞いた。 酔いが覚めると、彼は自暴自棄になって失ってしまった数多く”もの”を大変悔やみ、泣き続けたのだ。

 決して、彼を責めてはいけない。人は誰もが己に悩み、そして過ちを犯してしまうものだ。

 彼にはやり直す為のきっかけが必要だった。私は新しいフィオールを手渡した。それはシスタ・フィオーレンのような特別なものではなく、どこにでもあるごく普通のフィオールだ。 しかしそれが、彼にとって再起のきっかけとなった。

 以来、ユーゴも我々の研究に積極的に協力し、遂にレクイエムが完成させた。 いつかシスタ・フィオーレンが見つかった時に、共にこれをソルナティエナで演奏しようと二人で誓った。 その楽譜はレザーのケースに入れ、この観測所で最も厳重な金庫へ、大切に保管した。 しかしその矢先、ユーゴは重い病に倒れてしまった。彼はそのまま目を覚ます事なく、旅立って行ってしまったのだ。

 長い歳月が経ち、私も老いてしまった。 もはや先も長くは無い。 最後の希望を込めて、我々はフィオールのパートを欠いた演奏を、あのホログラム投影機に記録した。

 最後に、お伝えしておきたい。 もし勇気ある者が、シスタ・フィオーレンを手にし、投影機と共にこの曲をソルナティエナで演奏した時。 全ての悪夢に終止符を打つ事が出来るだろう」

―映像はそこで終わりました。

「リヴェット様。たった今、交換が終わりました」

 R.クラークがホログラム投影機を再生させました。 リヴェット達の目の前に、ヤンセン達が「Sista Fiolen」という名の曲を演奏する立体映像が現れました。 それはとても力強く、そして情熱的な調べでした。

第2章:SOLROS編 (終)


<<
3/3




Copyright © 2014 Rigel Theatre