◆ プロローグ ◆

1. 運命の分かれ道

2. 思い出の旋律

3. 再会

4. 失われた楽譜

5. エーレスニア・リング

6. 遥か東を目指して


1. 運命の分かれ道

――そこは、死の世界でした。

 灰色に染まった瓦礫と、むき出しになった鋼鉄の残骸が折り重なり、風が不気味なうなり声をあげながら、周囲に灰と粉塵を巻き上げていました。 遠方には、今にも崩れ落ちそうな高層建築物がいくつも見え、そこがかつて高度な文明が進んだ都市であった事を物語っていました。

 漆黒に染まった雲の合間から、赤色に輝く膜に覆われた褐色の星が顔を出しました。 所々に眩い閃光が走ると、やがてオレンジ色の茸雲が立ち昇りました。 その場所に存在したであろう高度な文明の象徴は、一瞬の閃光と高温の熱風によって吹き飛ばされ、多くの生命と共に消失していきました。 その絶望的な光景は今、あの星のあらゆる場所で起きていました。

 それはかつて....青く、そして美しき私達の故郷、オールドホームの姿でした。 あの星もまた、このNEBOと同じように、壮絶な死を迎えようとしていました。

 その光景を、一人の妖精が悲しそうに見つめていました。長く伸びた金髪と、純白のドレスは強風によって揺られ、エメラルド・グリーンに輝く羽を寂しそうにたたみ、目に涙を溢れさせながら......やがてその場に項垂れると、泣き続けました。


 ―空間がぐにゃりと歪み、あの絶望的な光景が小さな球体となり、黒光りした円形のゲートの向こうへとフッと消えていきました。 そこは漆黒の空間の中に、時計盤のような模様の床や壁、夥しい数の歯車に覆われた不思議な空間でした。6時の方向には小さな扉、12時の方向には先ほど球体が消えて行った大きな円形の門がありました。中央には、美しい白い翼と、青みがかった銀髪の可憐な少女と、大きなローブと帽子に身を包んだ少年が佇んでいました。

 少女は涙をぬぐって悲しそうな表情で言いました。

「.....これがあの子の運命ですか?」

 少年は冷淡に答えました。

「ああ。彼女の運命でもあるし.....この世界の運命なんだ」

 「そう......」


 暫くして、少女はおもむろにゲートに向かって歩きだしました。手に持っていた青い光を放つタクトを振りかざすと、ゲートに向けて叫びました。

「エルリア・ゲート。今のあの子の元へ、導いて下さい」

 ゲートが眩い閃光を放ちました。光が穏やかに消えた後、門の中に、鳥籠のような部屋で空を見つめる、あの妖精の女の子の姿がありました。 少女はその門の中へと進んでいきました。

 少年は突然怒鳴りました。

「リーネス、駄目だ! 運命の時間軸を変えてはいけない! もしそんな事をすれば、君は大きな罪を背負う事になる!」

 白い翼の少女は尚も進み続けました。

「....私はどうなってもいい。あの子を助けます.....何があっても必ず.....」

 やがて、少女はエルリア・ゲートの向こうへと消えて行きました。


2. 思い出の旋律

 吸い込まれてしまいそうなほど、深い群青色に染まった空。 その空の彼方を浮かぶ、雄大で美しい青い星”オールドホーム”。 遥か彼方の地平線まで、見渡す限り広がるひまわり畑。 そのひまわり畑の中に、まるで黄金に輝く海に浮かぶ孤島のような佇まいのガーシュタイン城の外壁の上で、 今日もひとりの少女がトランペットを吹いていました。 淡い藍色に輝く長い銀髪と、赤い瞳、”星の紋章”が描かれた紺色ドレスを身に纏い、そして背中に漆黒の翼が生えた”ソーラス人”と呼ばれる種族の生き残りでした。

 ソーラス人。それはかつて、この世界に高度な文明を築き上げた種族でした。しかし”大災厄の日”で滅び去り、今この”NEBO”側に残るのはこの少女ただ一人だけです。 彼女はガーシュタイン城の主、クラウディア・ガーシュタイン。 クラウディアの奏でる美しくも寂しい旋律は、城内へ、そして風に乗って遥か彼方のひまわり畑へこだましていきました。

 クラウディアの周囲を、いつものようにコウモリ型のロボット”ハンス”が元気よくパタパタと飛び回っています。ハンスもまた、この城の古い住人の一人でした。

 演奏が終盤に差し掛かった頃、エメラルド・グリーンに輝く羽をはばたかせた美しい妖精が、ゆっくりとクラウディアの元へ降りて来ました。 彼女はスピカ。高度なAIのコア”Evighet”が作り出したホログラムの妖精。 しかし従来のホログラムとは異なり、原子レベルで具現化されている為、感触と実体を持つ事が出来る数少ない妖精の一人でした。 スピカは瞼を閉じ、演奏に耳を傾けていました。

 やがて、クラウディアの演奏が終わると、スピカは言いました。

「.....懐かしい曲。クラウディアってば、ずるいですね。 忘れてしまいそうな頃に、こうして突然思い出したように”その曲”を奏でるのですから.....」

 スピカはゆっくりとクラウディアの背後に近づくと、細い手でそっとクラウディアを抱き締めました。 黒い翼に顔を埋め、瞼を閉じて言いました。

「.......私は、後悔していませんからね」

 クラウディアもまた、その手をぎゅっと握りしめて言いました。

「ねえスピカ......私の記憶は不安定です。いつまた虚空へ堕ちて、大切な記憶を失ってしまうか......自分でも不安なんです」

 クラウディアは青き星オールドホームを寂しそうに見上げて言いました。

「あの日、私が失ってしまった曲の1つ.....あの子は、見つける事が出来るかしら」


 クラウディアは突然、何かを思い出したかのように言いました。

「ところでスピカ。リヴェット達をそろそろ迎えに行かなくて大丈夫かしら.....」

 スピカは少し離れると、呆れた表情で言いました。

「クラウディアってば.....リヴェットちゃん達が来るのは明日ですよ?」

「あら....そうでしたね」

 スピカはため息をついて言いました。

「....クラウディア。あなたが忘れっぽいのは”記憶が不安定”とは違いますからね」

「あら......折角、恰好の良い事を言ったのに、また台無しですね」

 クラウディアが残念そうに言うと、二人は顔を見合わせて思わずクスクスと笑ってしまいました。


3. 再会

―リヴェット。美しい白い翼と金髪の、まる天使のような可憐な少女。 ”星の旅人フローネル”の生まれ変わりで、彼女もまた数少ない”向こう側”のソーラス人の生き残りでした。 初めてこのNEBOにやって来た時、共に力を合わせて、大災厄の元凶”ソルナ・ティエナの亡霊”を眠らせる事が出来ました。

 あれから数か月ほど経ったある日、エーレスニア・リングに繋がるゲートが起動した事をスピカが察知したのです。 リヴェット達は、クラウディアが渡したゲートアドレス表を元に新しいゲートを探し、”星の旅人”となって再びこのNEBOへ帰ってきました。 以来、リヴェット達は月に一度、クラウディア達の元を訪れるようになりました。

 ―エーレスニア・リング。旧エーレスニア市街地の上空に静止し続ける、環状の空中要塞。 そこがNEBOとオールドホームを結ぶ、新しい架け橋となったのです。 クラウディアとスピカにとって、エーレスニア・リングは様々な思いが込められた場所でした。

 ひまわり畑の彼方から、小さな飛行艇がこちらに近づいてきました。リヴェット達を迎えに行ったスピカの飛行艇が帰ってきたのです。クラウディアは嬉しそうに、発着場へと駆け出していきました。クラウディアの周りをパタパタと飛び回っていたハンスも、慌ててクラウディアを追いかけていきました。 飛行艇はゆっくりと空中浮揚しながら、城の正面玄関の前に広がる、円形の石畳に向けてゆっくり降下していきました。

 飛行艇から、リヴェットが降りてきました。クラウディアは嬉しそうに叫びました。

「リヴェット!」

「クラウディア!」

 二人は駆け寄りました。互いに再会を喜び、抱き合おうとしました。しかしお互いの手が肩まで届いた所で、何かが二人の間に割り込んで塞ぎました。

「むー」

 そこには水色の髪と、リヴェットと同じ衣装を身にまとった小さな妖精がぎゅっと挟まれており、クラウディアをジトッと睨んでいました。 リヴェットが困惑して言いました。

「あ....アトリアちゃんってば.....」

「あら、あなたも元気でしたか? アトリアちゃん」

クラウディアは優しく微笑むと、アトリアの頭を優しく撫でました。

「う~」

アトリアは少し照れ臭そうな表情で、クラウディアを睨みました。 スピカが飛行艇から降りて来て、アトリアの傍に来て言いました。

「アトリアちゃん、お久し振りです」

「スピカさん....あ.....」

アトリアはスピカに抱きしめられ、そのまま連れていかれてしまいました。

「うぅ~」

アトリアが抗議のうなり声を上げる姿を、二人はクスクスを笑いながら見ていました。

「ふふっ....相変わらずですね。リヴェット。さ、行きましょう」

 クラウディアはそっと手を差し出しました。 リヴェットも優しい笑顔で応え、クラウディアの手を取りました。


4. 失われた楽譜

 客間の小さなテーブルを囲って、クラウディアとリヴェット、アトリアが座っていました。 アトリアは依然とリヴェットの腕にしがみついて離れませんでした。

「リヴェット。また暫くはここに居るのでしょう?」

「うん....でも、ずっと居るとレティが怒るから.....」

「あら....私はまだ、あの子から嫌われているんですね」

クラウディアは少し残念そうに言いました。

「今日、ここに来るのも大変だったよ。”私を連れていきなさい!”って言って、ルシーア号の入り口を塞ぐから.....ステラさんが怒って自分の部屋に連れて行ってしまって.....」

 クラウディアは思わず笑ってしまいました。

「ふふっ....あなた達、いつも賑やかで楽しそう」

「うぅ.....でも、大変だよ....」

 スピカが入れてくれた美味しいハーブティーを飲みながら、リヴェットはある事を思いつきました。

「ねえクラウディア。NEBO-SYSTEMは、既に融合している人が、他の誰かと融合する事は出来るの?」

「嫌です!」

 アトリアがぷいっと膨れた顔で先に答えました。

「レティシア様は、絶対に嫌です!」

「あうぅ....」

 リヴェットはふとその時、クラウディアが悲しそうな表情をしている事に気がつきました。 直ぐにまた、澄ました笑顔に戻ると、穏やかに応えました。

「.....結果論で言えば可能です。但し、いくつか制約があります」

「制約....?.」

「先ずは片方のペアが不可逆融合を行い、存在概念を第2階層に固定する必要があります。つまり貴方達が生涯、心と体を共にする事になるという事ですね」

「素敵....」

 アトリアが何故か目を光らせていました。リヴェットは苦笑してしまいました。

「そして第3者との融合.....実はね、NEBO-SYSTEMの多層融合には致命的な欠点があるんです。だから、本来それはタブーとされてきたんです。先ず、第3者は存在概念が完全に吸収され、人格が消失してしまう事。そして、双方が幾つかの記憶を完全には復元出来ず、喪失してしまう事.....」

「え.....」

 リヴェットとアトリアはその言葉に激しい恐怖を感じ、茫然としながらクラウディアを見つめました。 クラウディアは悲しい表情で、どこか遠くを見つめていました。

 ―その話を扉の向こうから、スピカが哀しそうに聞いていました。

 リヴェットの頭の中で、アトリアが言いました。

「(リヴェット。こ.....この話はもう止めましょう.....)」

「(う、うん...そうだね)」

 リヴェットは慌てて話題を変えました。

「えっと.....クラウディア。そ.....そういえば、どうしても見せたいものがあるの」

「あら、何でしょう?」

 クラウディアはまた、いつもの澄ました表情に戻っていました。

「ね、アトリアちゃん......」

「はい」

 アトリアは先端が緑色の光を放つタクトを取り出しました。

「あら、そのタクトは.......どうかしましたか?」

 それはかつて、クラウディアがアトリアに譲ったLengselの5つのタクトの1つ、”守護のタクト”でした。

「クラウディア様がくれたこのタクトに、記憶が残されているみたいなんです。それは恐らく、あのひまわりと同じ....エターナル・メモリーの一種だと思います」

 クラウディアは驚いて言いました。

「あら.....私が調べた時には、そのような反応は無かったのですが.......」

 スピカが部屋に入ってきました。クラウディアはスピカに尋ねました。

「ねえスピカ。このタクトにエターナル・メモリーが隠されていたみたいなんです。貴方には見えますか?」

「いいえ.....」

 二人は不思議そうに顔を見合わせました。アトリアが言いました。

「これが抗エントロピー場のようなエネルギー帯に包まれていた為だと思います。それは何故か.....私とリヴェットにだけ見る事が出来ました。それで.....」

 リヴェットが代わりに言いました。

「もしかして、重要な記憶が残されているかもしれないって.....それで、クラウディアにおねがいがあるの....」

「私にその記憶を現像して欲しいのですね。良いですよ.....私もその中身に興味があります」

 アトリアはクラウディアにタクトを手渡しました。

「アトリアちゃん....そのエネルギー帯は、外してくれましたか?」

「はい」

「ありがとう。これなら、あまり大きな力は必要無さそうですね.....」

 クラウディアは、彼女自身のメモリス・ベクターであるトランペットを取り出しました。リヴェット達は息をのみ、緊張した面持ちでクラウディアをじっと見つめていました。

 クラウディアはリコレクター(記憶使い)という不思議な力を持っていました。それは、人や物に宿る過去、そして未来の記憶を自在に操る能力。 かつてソーラス全盛期に突然変異として現れ、大災厄で共に消えて行った力。今、その力を使えるのはクラウディアただ一人だけでした。

 クラウディアの演奏が始まると、その旋律に合わせて空間全体がぼんやりと青白く輝きだしました。 クラウディアの瞳は”あの時”のように赤く輝きを帯びていきました。 タクトの中から眩い光を放つ球体が現れると、周囲が暗闇に包まれ、古い映画のスクリーンのようにぼんやりとした映像が目の前に映し出されました。

 ―記憶が作り出した映像に現れたのは.....なんとクラウディアでした。今よりも少し幼いクラウディアが、シスタ・フィオーレンを演奏する姿......そこで演奏されていた曲は、まだリヴェット達が知らない'E'のキーで奏でるErlija Minor Swingでした。 記憶の最後に、古い書体のスコアが映し出されました。そう.....これはクラウディアから失われたErlija 'E' Minor Swingの記憶だったのです。

 その光景を不思議そうに見つめていたクラウディアでしたが、直ぐに何か思い当たる節があったのか、驚愕した表情に変わり.....突然、記憶映像がフッと消え、気がつくと周囲は元の部屋へと戻っていました。 クラウディアはとても哀しそうに緑のタクトを見つめました。

「......あの子ったら....こうなる事が全部分かっていたから、私の記憶をここにコピーしておいたのですね」

 リヴェットは、哀しそうな表情のクラウディアの事が心配でした。 沈黙が続いた後、リヴェットは手を震わせながら、勇気を出して言いました。

「ねえクラウディア....その.....私、まだクラウディア達の事、知らない事がいっぱいあるよ。もし良ければ.....聞かせて欲しいの」

 アトリアも頷きました。 暫くして、クラウディアがクスッと笑顔で言いました。

「スピカ....」

 スピカはクラウディアから何らかの伝言を受けて、うなずきました。クラウディアはそのまま立ち上がり、部屋を出ていってしまいました。 リヴェットはしょんぼりとして言いました。

「クラウディア....怒っちゃったのかな.......ごめんなさい」

「いいえ....そうでは無いのです。でも、今は少し時間が必要です。 先にこれだけはお伝えしておきましょう。そのタクトはかつて、フランベル様が所持していたものです」

「フランベル様が!?」

 アトリアが驚いて言いました。

「フランベル様は未来の記憶を見る事が出来るリコレクターでした。 とても......不思議な子でした。あの子は常に、その場に存在し得る全ての時間軸で、物事を見ていました。 リヴェットちゃん、それにアトリアちゃん。貴方たちが出会う事も知っていました。 一見、無意味に見える行動も、全てが何かの因果に繋がっている.....私達がそれを知る時は、いつも唐突なんです.......」

 3人は無言のままタクトを見つめていました。


 ―その日の午後、リヴェットとアトリアはガーシュタイン城の花園にあるフランベル達のひまわりの前で祈りを捧げていました。 ふと、アトリアは何かに気がついて言いました。

「リヴェット様....」

「ん?どうしたのアトリアちゃん?」

「これを見て下さい。この隣のひまわり.....いつもこちらを向いています.....」

 傍にある一回り大きなひまわり。それはいつもフランベルのひまわりの方をずっと向いています。 また、その背後をよく見ると、この人物の所有物だったと思われる立派な剣が、地面に突き刺さっていました。

「......きっと、フランベルさんをずっと守っている騎士さんかもしれないよ」

「はい.....何だか、とても安心します」

「うん」

 暫くすると、クラウディアがやって来ました。頭上にはいつものようにハンスがパタパタと飛び回っていました。

「二人とも、一緒に来てください。見せたいものがあります......」


 ―ガーシュタイン城の地下の映写室。かつて、クラウディアがリコレクターの力で作り出した記憶の世界に入り、ソーラスとこの世界が辿った運命を目の当たりにした場所でもあります。

「クラウディア....」

 二人は茫然と立ち尽くしていました。

「スピカ.....」

「はい」

 スピカはフッとクラウディアの中へと消えて行きました。

「アトリアちゃん....あなたもですよ」

「は....はい」

 アトリアも同じように、リヴェットの中へ消えて行きました。

 クラウディアはスクリーンの前に立つと、リヴェットにこっちへ来てと合図をしました。 リヴェットは駆け寄り、クラウディアの前に立ちました。二人の影がスクリーンに投影されました。 次第に、クラウディアの赤い瞳が、次第に鋭い光を帯びていくのを感じました。

 ―あの時と同じでした。クラウディアは、再びリコレクターの力で、記憶の世界を見せようとしていました。でも一体どのような記憶を?

 クラウディアが手を差し出しました。リヴェットもクラウディアの手を取り、二人は手を固く繋ぎました。 その時、クラウディアのもう片方の手には、青い光を放つタクトがある事に気が付きました。 リヴェットの心の中の疑問に答えるように、クラウディアが言いました。

「リヴェット。これから見せるのは、私とスピカの記憶。私達を結びつけたエルリア・ゲートと、そしてこの”勇気のタクト”の物語です」

 リヴェット達の周囲に、赤く輝く小さな星が2つ現れ、二人の周りに輪を描きながら周回し始め、次第に速度を上げていきました。二人の体がぼんやりとした赤いオーラが包みました。

「さあ行きましょう....記憶の世界へ!」



5. エーレスニア・リング

 時は遡り.......それは大災厄以前の物語。

 NEBOの北半球に位置するソルナ大陸には、2つの主要都市がありました。 東海岸に位置する首都ソルナ・ティエナ、そして西海岸には第2の都市エーレスニアがあります。 エーレスニアはソーラス宇宙連合軍が拠点を置く軍事都市として知られており、都市部の上空には連合宇宙軍のステーションを兼ねた環状の空中要塞”エーレスニア・リング”がありました。

 エーレスニア・リングはNEBOのコロニー統合政府とTI社が共同で建設した宇宙港でした。 その為、オールドホーム側のシューガルデン中央政府にとっては、目の上の瘤となっていました。 その頃、既にNEBOでは中央政府からの独立機運が高まり、政治的な対立が深刻化していたのです。

 ―エーレスニア・リングの第8区画に、TI社の極秘研究施設”鳥籠”がありました。 天井がドーム状の強化ガラスで覆われた円柱型の白い建物の内部は、漆黒の壁と、緑色の間接照明の不気味な通路が張り巡らされていました。隣接した停泊港には、眩い光沢を放つ白い飛行艇の姿が見えました。そこから一人の女性が、複数のSPに囲まれながら降りてきました。整った形の立派な白い翼を持ち、長い金髪をなびかせ、純白のドレスを身に纏った、とても美しい女性。彼女こそTI社のCEO、オリヴィアその人でした。

 オリヴィア達を初老の研究所所長と責任者達が出迎えました。 彼らは建物の最上階へ研究室へと招かれました。

「あの子に何かあったみたいですね」

「はい、その件で是非、ご覧いただきたいのです」

 ホログラムの立体スクリーンが投影されました。 鳥籠のような部屋の中央に、一人の妖精の姿がありました。先端が少しカールしたセミロングの金髪と、エメラルド・グリーンに輝く妖精.....そう、それはかつてのスピカの姿でした。 スピカの傍には古ぼけたラジオが置いてありました。ラジオから流れる少し古風な音楽の旋律に合わせて、とても優しい声で歌を唄っていました。

「なんて美しい歌声......」

 オリヴィアはその歌声に暫く聞き惚れていました。ふと我に返り、責任者のフレドリック博士に訊きました。

「あれは.....ラジオ? 誰か、あの子が音楽を教えたのですか?」

「いえ....誰も心当たりはありません。それに、誰かが侵入した形跡もありませんでした」

 オリヴィアはスピカの傍にある花壇を指差しました。

「あの花は....鳥籠の中にありましたか?」

「彼女がどうしても欲しいと言うので、その.....」

 オリヴィアは花壇の中で楽しそうに歌を唄うスピカの姿を、嬉しそうに見つめていました。< 一方の研究員達は深刻そうな表情で、頭を抱えていました。

「変化の兆候が見られたのは、今から2週間前です。以来、彼女はまるでその....」

「本物の妖精みたいですね」

 オリヴィアはクスクスと笑いながら言いました。

「Evighetは外の世界に強い関心を持っています。このままではDIVAへの収容計画に支障が出る恐れがあります」

「あなたは、どうするべきだと思いますか?」

「はい。記憶を2週間前にロールフォワードさせ、その上で監視を強化するべきかと」

「.....博士。あなたには分かりませんか?」

 オリヴィアは冷たい声で言いました。

「これは大きな進化なのです。スピカは他の妖精とは違います。これまでのAIコアの作り出すホログラムとは根本的に異なる、”ユニーク”な存在。私達と同じ様に考え、感じ、そして触れ合う事が出来る。そんなあの子が、初めて自分の意思で何かを得ようとしている......」

「ですが、このままではDIVAの計画が....」

「博士。あの子と話したいですわ」

 DIVAという目的にとらわれ過ぎて、頭が固くなってしまった研究者を突っぱねるようにオリヴィアは言いました。


 ―スピカが収容された鳥籠の中に、オリヴィアが入って来ました。

「スピカ」

 オリヴィアに気がづいたスピカは立ち上がり、明るい声で応えました。

「オリヴィア様、ごきげんよう」

 スピカは軽く会釈しました。

「スピカ。とても素敵な歌でしたよ」

「まあ....」

 スピカは突然恥ずかしくなり、顔真っ赤にして項垂れてしまいました。

「スピカ。もし貴方が良ければ、何があったのか話して下さいますか?」

 スピカは心配そうに周囲を見渡していました。

「大丈夫ですよ。今は誰にも聞こえていませんわ」

 スピカに起きた変化を、研究員達が快く思っていない事は分かっていました。 オリヴィアは敢えて、彼らのネガティブな判断材料にならないように、音声を遮断しました。 これは全て、オリヴィアの立場と、Evighetの責任者としての地位があるからこそ出来る行動でした。 スピカは少し考えてから言いました。

「.....オリヴィア様は、きっと信じて下さるかもしれません。だから、お話しますね」


 二人は木陰に寄り添い、ラジオを傍に置き、共に音楽を聴いているように見せながら話を始めました。スピカが少し嬉しそうに言いました。

「....私、星の旅人に会ったんです」

「星の旅人?」

「はい。名前はリーネスといいます。私と同い年くらいの女の子で、オリヴィア様のような美しい白い翼を持っていました。リーネス様は、まるで魔法のような不思議な力を持つ方でした。人や物に宿る”記憶”を使って仮想世界を作るのです。私のコアには、そのような現象のメモリーは存在しません......」

「リコレクター(記憶使い)ですね.....」

「はい」

 スピカは空を見上げて言いました。

「私はリーネス様が作り出した仮想世界で、あの空を共に飛びました。どこまでも広がる群青色の広い空、そこに浮かぶ美しい青い星。雲の下の世界.....地上には、一面の緑が広がり、色取り取りの花々が咲いていました.....私達はそこへ降りました。 地平線の彼方まで続く草原と森、空を鏡のように映す湖。美しい花々と、そして鳥たちの囀り......。やがて太陽が西の彼方へ沈みはじめると.....私達の見てきたすべてが、赤の青の美しいグラデーションに染まりました。なんて美しいのでしょうか......まるで、全てが夢のようでした.....」

 両手を胸元で合わせ、まるで空想を語る無邪気な少女のようなスピカの姿に、オリヴィアは少し苦笑していました。

「リーネス様は私に、この世界の事を沢山教えて下さいました。何より、これがとても気に入っているんです......」

 スピカは傍に置いてある古ぼけたラジオを見つめました。

「これが音楽というものなのですね.....音の周波数と組み合わせのパターンに過ぎない筈なのですが、何故こんなにも惹かれてしまうものなのでしょうか.....」

 スピカはオリヴィアの方を向いて言いました。

「オリヴィア様。訊きたい事があります」

 スピカは、とても深刻で悲しそうな目でオリヴィアを見つめました。

「私がもしDIVAに収容されたら、二度と外に出る事は出来ないのでしょうか。リーネス様に会いに行く事も.....出来なくなるのでしょうか」

 オリヴィアは申し訳なさそうに言いました。

「....ええ、残念ですが。あなたはDIVAの永久エンパス機関のコアとして収容され、このエーレスニア・リングを.....NEBOを守る要となります」

「やはり.....そうなのですね.....」

 スピカはとても悲しそうに、空を見上げました。

「私は、テラフォームシステムとして、新しい生命を作り出す高度なAIコア......最初、皆様はそうおっしゃいました。ですが.....」

 鳥籠の天井から覗く黄昏に染まる空に、青きオールドホームが寂しく輝いていました。



6. 遥か東を目指して

 オリヴィアの訪問から数日後。真夜中の闇に包まれた鳥籠の中で、スピカは花壇の花々に触れていました。スピカが触れた先から眩い閃光が放たれると、花々はフッと消えていき、スピカの頭の上の花冠となりました。

「勝手な事をしてごめんなさい......でも、これで一緒にいられますから.....」

 スピカは申し訳なさそうに言いました。

「さあ、行きましょう」


 ―エーレスニア・リングのコントロール・センターに警報が鳴り響きました。

「大変です所長!セキュリティ・システムが何者かに改ざんされています!第8区画です!」

「一体誰が!? またシューガルデンの奴等の妨害か?」

「いいえ....どうやら内部からのアクセスのようです」

「何だと!?直ぐに特定しろ!」

「は!」

「現在作動中のエレベーターは?」

「12番から23番です!」

「すべて停止しろ!誰も外に逃がすな!」


 ―その頃、エーレスニア・リングと地上を結ぶ幾つかのエレベーターが、地上を目指して下りはじめていました。 そのうちの1つ、16番エレベーターの中から、スピカがじっと外の光景を不安そうに眺めていました。 その姿を、光学フィールドで姿を隠していたオリヴィアが背後から見つめていました。 スピカは既に、その事に気がついていました。

「オリヴィア様。何故止めないのですか? 貴方には分かっていた筈です......」

 オリヴィアは姿を現し、スピカの傍へと寄っていきました。スピカは申し訳なさそうに視線をオリヴィアから逸らしました。

「スピカ。一つだけ聞かせて下さい。貴方は何が望みなのですか?」

「....私は、あの人に会いたい。星の旅人リーネス.....私にこの世界の美しさを教えて下さった、あのひと.....いいえ、あの子に。あの子を、助けないと」

「あの子を.....助ける?」

「あの子は消えてしまったんです!私の目の前で、悲しい表情で.....翼が黒く染まって.....とても苦しんでいました。 だから、助けにいかなくてはいけません。エルリア・ゲートへ!」

 オリヴィアはその言葉を聞いて驚愕し、茫然と立ち尽くしました。

「あなた......どこでそれを.....」

 ―やがて、エレベーターはシャフトの中層階の途中で静止しました。まだ地上までは距離があります。

「.....ここまでのようですね」

 スピカは残念そうに言いました。それから暫くの間、二人は無言のままでした。 オリヴィアはずっと何かを考えながらスピカを見つめていました。やがて、強い調子の声で言いました。

「スピカ。少し離れていて下さい.....」

「え?」

 オリヴィアは手元から、先端から赤い光を放つタクトを取り出しました。 タクトを振りかざすと、眩い閃光が放たれ、エレベーターの扉、そしてシャフトの外へと続く光の道が生まれました。 オリヴィアは更に、驚いて茫然としているスピカのエメラルド・グリーンの羽に向けてタクトを振りかざしました。 スピカの羽を筒込むように透き通った透明な羽が現れ、スピカは美しい緑色の光に包まれました。

「スピカ。あなたに翼を授けます。その羽で飛び立ちなさい」

「オリヴィア様.........」

 スピカは目に涙を溢れさせながら、オリヴィアに駆け寄りました。

「嬉しいです.....言葉では伝えきれません。ずっと、味方でいてくれたのですね......」

 オリヴィアは穏やかな表情でスピカを抱き締めると、肩に手を置いて言いました。

「スピカ.....私の娘よ。あなたは自分の意思を持ったのです。私はその意思の行く先を見届けたいのです。 ここから遥か東、ソルナ・ティエナを目指しなさい。そこに、私の古い友人のリコレクターがいます。クラウディア・ガーシュタイン。あの子なら必ず力になって下さいますわ。トランペットの音色を探しなさい。きっと声を掛けて下さいますわ。......大丈夫よ、あなたなら必ずエルリア・ゲートを見つける事が出来ます」

「オリヴィア様....ひょっとして、あなたもエルリア・ゲートに?」

「さあ、もう時間がありません。その翼が有効なのはあと6時間だけ。行きなさい。そして運命を.....未来を、あなた自身が切り開くのです」

「....はい!」

 スピカはオリヴィアが作ってくれた光の通路を駆け出し、勢いよく空へ飛び出していきました。

 スピカの光の翼は、朝焼けの空に大きく広がり、美しいエメラルド・グリーンに輝きました。 翼はみるみるうちに速度が上げ、光の粉を散らしながら、やがて流星となって東の空の彼方へと消えていきました。


第1章へつづく





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