21. 進化への盲信
クラウディア達はベルナルデ・アパートに戻ってきていました。
クラウディアは相変わらず、隙あらば抱き着こうとするので、スピカはクラウディアの動きを警戒しながら、ラジオから流れる音楽に耳を傾けていました。
スピカの周りにはニナ達をはじめとしたアパートに暮らす妖精達が集まって来て、寄り添うようにして一緒に音楽を聴いていました。
その愛らしい光景を、クラウディアは羨望の眼差しで見つめて言いました。
「......ねえスピカ。」
「駄目です」
「あら、まだ何も言ってないですよ?」
「その変な目つきを見れば分かります。また、”羽触って良いですか”....と、言いながら抱き付いたり、”ベッドで一緒に寝ましょう”とか言い出すのでしょう。駄目ですからねー」
「うぅ~」
クラウディアはしょんぼりとしながら、ベッドに倒れ込みました。
「つまんないです......」
ホログラムスクリーンで配信されるニュースでは連日のようにシューガルデン皇女誘拐事件が取り上げられていました。
スピカはそれを見て心配そうに言いました。
「一体、誰が何の為にフランベル様の誘拐を......」
「リリ」
「え?」
「元シューガルデン皇国騎士団のリリ。シューガルデンはこの事件を出来る限り穏便に処理したいみたいですね。」
クラウディアはベッドにうずくまりながら言いました。
「何か......知られてはいけない事があるのでしょうか。」
クラウディアはムクッと起き上がり、ホログラムパネルを操作すると、新しいスクリーンが現れました。そこにはクリーム色の長い髪の毛の、まだあどけなさの残る少女の姿が映し出されました。
少女は腰に長い剣を携え、シューガルデン皇国の赤い太陽のマークが印された衣装を纏っていました。
「リリはコーテンセボリ機関で生まれた子供の一人なんです。」
「コーテンセボリ機関?」
「選りすぐられた有能な遺伝子を組み合わせて、人工的にエリート人材を作り出す研究機関です。」
「そんな.....人を故意に作り出す実験は条約で禁止されています。」
「ええ....だからこれは極秘なんです。彼らはロボット、妖精だけでなく、ソーラス人さえも作っているんですよ......それも、随分昔からね。
リリは9歳まで英才教育を受け、シューガルデン特別士官学校に入学。14歳の若さでシューガルデン皇国騎士団に入り、将来最も有望で期待された人材だったんですよ。
でも、それらを全てを捨て去って、皇女を連れて逃げたという事ですね。」
「一体どうしてそのような事を.......」
スピカは心配そうに言いました。
クラウディアは頬を赤らめて、にやにやとしながら言いました。
「あらあら.....スピカってばとぼけてしまって。貴方にだってわかっているでしょう? 愛ですよ愛......素敵ですね。」
「もう.....クラウディアったら、またそんな事を。」
スピカは赤面して怒りました。
「愛故に.....きっと全ては、愛する姫様を助ける為。」
「フランベル様を助ける為?」
「フランベル皇女は人工的にリコレクター能力を付与するの最初の被験者となった....それも、未来の記憶を見る力。
前にも言いましたが、フランベルはソーラス人の進化の生贄に捧げられた子。
強大な力を持ち、予知能力さえ持つリコレクターとなったあの子は、人格も言動も得体が知れない存在となり、周囲からも孤立していきました。
そんなフランベル皇女を唯一支えていたのが、皇女の護衛として、付きっきりで傍に仕えていたリリなんです。
リリはフランベル皇女にとって一番身近で、そして唯一心から信頼できる友人、家族......いえ、恋人同然だった事でしょう。
勿論、親も友達も居ない境遇のリリにとっても、フランベルの存在は心の拠り所だったのも想像できます。
「なんだか.....とても可哀想ですね.....」
「ええ。でも今はあの子を警戒しないといけませんよ。」
「え?」
「ここ数日前、ティエナ・ゲートウェイアーチで私達の他にECHOへアクセスした形跡があったんです。
その時に探していた記憶は.....スピカ、あなただったんです。」
「他のリコレクターが私を探しているという事ですか?」
「ええ。そしてそのリコレクターがこの子。」
クラウディアはホログラムに映し出された少女リリを指差しました。スピカは急に不安になりました。
「リリはDespair.....絶望、怒りを司るリコレクション。それはお伽噺に登場する”魔法”のように、凄まじい破壊力を齎します。
恐らく、あのエミリオとは比べ物にならない程の強大な力。まともにやり合うとこちらが不利ですね......」
「でもクラウディア、それはあくまで記憶に過ぎないのでは?」
「スピカ。私達はその記憶を、時と空間を超えて具現化させるんです。」
「そんな.....」
不安で心が締め付けられるスピカの傍にクラウディアがやって来て、そっと頬をなでて言いました。
「大丈夫ですよスピカ。あなたは私が守ります。何があっても必ず......私を信じて。」
22. 少女騎士リリ
照明が落とされて真っ暗闇となったベルナルデ・アパートに、怪しい黒い影が忍び寄っていました。
フード付きの大きな黒いマントで全身を包み込んだ小柄な人影は、北側からコンコースへ侵入すると、螺旋階段を取り囲むエレベーターの1つに乗り、23Fで降りると真っ直ぐにクラウディア達の部屋へと向かいました。
音を立てずに扉を開くと、寂しそうに窓の外を眺めているスピカへゆっくりと背後から迫りました。
しかしそれが偽物......記憶の投影だった事に気がつくと、思わず声を出してしまいました。
「これは.....タイムシフト。数分前の記憶の投影....まさか!?」
突然、照明が付き部屋が明るくなりました。
「え!?」
背後を振り返ると、そこにはクラウディアとスピカが立っていました。
「こんばんわ......あら、思った通り、可愛い子ですね。」
クラウディアはクスクスと意地悪っぽく笑いながら言いました。
「.....黒い翼!?」
少女はクラウディアの背中の翼を見て、恐ろしい物に遭遇したかのように戦きましたが、すぐに我に返ると剣を構えて言いました。
「貴方、リコレクターね......」
剣を持った少女はクラウディアを睨みつけました。
「やっぱり貴方だったんですね。元シューガルデン皇国騎士団のリリ。確かフランベル皇女を連れ去って逃亡中と聞いていますが、一体こんな所に何の用でしょう?」
「....貴方に言う必要は無いわ」
リリは諦めたようにマントを脱ぎ捨て、正体を現しました。
美しい白い翼が広がり、クリーム色の長い髪をさらりとなびかせました。
クラウディアの背後にいるスピカを見つけると、リリは再び睨んで言いました。
「そこにいたわね。おとなしく妖精をこちらに渡しなさい。でないと......」
リリは剣先を再びクラウディアに向けました。
「あら怖いですね。一体スピカをどうする気なのかしら。」
「貴方に関係無いわ。」
「あの、何故私を?」
「説明している時間は無いの。大人しく従わないなら、力づくでも連れていくわ!」
リリは赤い光の帯に包まれた左手をゆっくり頭上にかざし、ALTIMAを展開しようとしました。
しかしその瞬間、部屋にトランペットの甲高い音色が荒々しく響き、同時にリリの周囲に現れていた光の帯がフッと消滅しました。
リリは慌てました。
「え.....ALTIMAが展開できない!まさか!?うぐっ」
トランペットの音色が再び響きました。脳裏を突き刺すような鋭い音にリリは思わず耳を塞ぎました。
「くっ....あんたが噂のファントム・ザ・ホーンだったのね.......そっちがその気なら、こっちも容赦しないわ!」
リリはクラウディアに飛び掛かり剣を振り下ろしましたが、剣はまるで古いホログラム映像のようにクラウディアの身体をすり抜けていきました。
「これもタイムシフトなの!?」
「ふふっ.....させませんよ。」
クラウディアの声が響きました。
「小癪な!」
リリは何度もALTIMAを展開しようとしましたが、クラウディアの奏でるトランペットの音色がそれを阻みました。
―リリはクラウディアの実体をしらみ潰しに探し続け、螺旋階段の踊り場でようやくクラウディア自身のフォースフィールドを捉えました。
フォースフィールドが眩い光のエンパスエネルギーを放ちながら剣を抑えていました。
「やっと見つけたわよ、ファントム・ザ・ホーン。」
「お見事。でもリリ.....私の干渉を跳ね除けてALTIMAを自力で展開出来る力が残っていますか?」
「くっ.....」
リリは悔しそうに剣を引くと、後ずさりしていきました。
「リリ。もう観念なさい。」
「.......まだよ! まだ終わってはいないわ!」
リリは剣を勢いよく床に突き刺しました。
―その瞬間、全ての音が途切れました。空間全体がぼんやりとした輪郭と、淡い色合いの光に包まれ、所々に黒いノイズのようなものが走り出しました。
床や壁が次第にぐにゃりと曲がり、螺旋階段の周りを取り囲むように円筒状に変化していきます。
スピカは何が起きたのか分からないままよろめき、その場に倒れてしまいました。
クラウディアは鋭い視線でリリを睨んで言いました。
「.....リリ。あなたが今何をしたのか.....ちゃんと分かっていますか?」
「こっちも引き下がるわけにはいかないの.....」
リリは摺に登ると、両手を広げて瞼を閉じ、遥か闇の底へと続く螺旋階段の間の吹き抜へ、飲み込まれるように落ちて行きました。
23. 螺旋階段
「スピカ、大丈夫ですか?」
「ええ.....」
スピカはクラウディアに支えられながらゆっくりを起き上がり、辺りを見渡しました。
依然と空間は円筒状に歪んでおり、全ての物が淡い色合いの光に包まれていました。
「スピカ、歩けますか?」
クラウディアが手を差し出して言いました。
スピカはクラウディアの手を取り、少しよろめきながら立ち上がりました。
「スピカ......私の傍から離れては駄目ですよ。」
「はい.....」
クラウディアの瞳が赤く鮮明に輝いており、今ここが既にALTIMAの中であるのだとスピカには分かりました。
二人は手を繋ぎながらゆっくりと前に進み、手摺から吹き抜けを見下ろしました。
円筒状に歪んだ亜空間に沿って、螺旋階段が上下にどこまでも延々と伸びていました。
突然、身形の良い美しい装いのソーラス人が、クラウディア達の傍をかすめて行きました。
よく見ると、螺旋階段の至る所に古めかしい装いのソーラス人の姿が見えました。それはまるで、かつて華やかな社交場であった過去へタイムスリップしたかのようでした。
それらは全てゴースト....記憶の作りだした虚像であり、まるで古いネガフィルムのようにノイズが走り、不安定な実像として映し出されていました。
「一体......何が起きたのでしょうか?」
「フラッシュバックです。過去と現実の記憶を乱雑に繋ぎ合わせるリコレクション。
現実の世界を強制的にALTIMAに直結させる荒業。フラッシュバックによるALTIMAは乱雑に膨張し続け、全ての物を記憶の迷宮に閉じ込めてしまいます。
このアパートは特に因果の強い記憶、トラウマが刻まれている場所。迷宮は無限大に成長し続けていき、当然リリ自身にも脱出は困難になります。」
スピカは茫然としながら螺旋階段を見渡しました。階層毎に全く時系列が異なる記憶が、複雑に繋ぎ合わされている事に気がつきました。
「それでもALTIMAである事に変わりはありません。ここならあの子の得意な"幻獣使い"の力を発揮できる......まったく、自暴自棄もいいところですね。」
クラウディアは呆れてため息をつきました。
「あの子達は大丈夫でしょうか?」
スピカは住人の妖精達の事がとても心配になりました。
「大丈夫です。こうなる事も予期して、東棟に避難させておきました。
さて問題はこれからですね......この記憶の迷宮を当ても無く徘徊するのは危険です。ここは切り札を使いましょう。」
クラウディアは懐から小さな指揮棒のようなものを取り出しました。
それは先端が青い光で輝いているタクトでした。クラウディアがそのタクトを器用に振ると、まるで流れ星のように青く輝く星屑をまき散らしました。
―スピカは驚愕して言葉を失いました。そのタクトには見覚えがありました。
それはあの時...鳥籠で出会ったリーネスが持っていたタクトとそっくりだったのです。
「クラウディア....それは....」
スピカはその先の言葉をためらいました。今はそれを追及するべき時ではないとスピカは思いました。
「タクトよ。あの子の元へ導いて下さい」
先端の青白く輝く光源から球体が分離し、小さな妖精のような羽が生えました。光の妖精はフラフラと不器用に飛びながら、螺旋階段に沿ってゆっくり降下していきました。
「さあ、行きましょうスピカ。私の手を決して離さないで下さい」
「はい....」
24. メディア王ジーグフェルド
延々と続く螺旋階段を支える柱に掲示された階数表示は、もはや意味を成してはいませんでした。
23階から2階程下へ降りると7Fとなり、そのすぐ下の階は28階......同じ階数でも時系列が異なる為、行き来するゴーストの装いは全く異なりました。
タクトから放たれた光の妖精は螺旋階段をずっと降っていくものかと思うと、突然方向転換して上へ昇っていきました。
妖精を追って引き返してみると、既にそこには全く別の階が現れ、そして暫く昇り続けると向きを変えて来た道を戻って降りて行きます。
反転する度に全く別の階、別の時系列が広がっていました。それはまさしく時間と空間が交差する記憶の迷宮でした。
螺旋階段の周囲を取り囲む亜空間には、かつてこのホテルで起きた出来事の虚像が、フラッシュバックして蘇りました。
著名人を招いての華やかなプレミアパーティ、オペラ公演、スキャンダルの現場、人気ミュージシャンの暗殺事件......。
ゴースト流出事件によって急激に経営不振となり、頭を抱えて苦悩するオーナーの姿も映し出されていました。
幸福の絶頂と、その後に訪れる絶望。このホテルに刻まれた記憶の光と影が、次々とクラウディア達の周囲で交差していきました。
これらの記憶の中には、彼らの生々しい人間模様も赤裸々に映し出されていました。
かつて女神とも評された麗しき女優達。その裏で多くの権力者との間で行われた異常な性行為の数々。
スピカは思わず赤面して目を背けました。
しかしクラウディアが何やら嬉しそうに眺めているのに気づくと、怒って無理やり手を引っ張って行きました。
「あ~ん、良い所ですのに.....スピカちゃんの意地悪~」
「はいはい、先を急ぎましょうね。まったく....」
階数表示が3の空間に到達した瞬間、まるで古代のモノクロ映画のように視界全ての色彩が失われました。
亜空間の先には、いかにも権力者の風格を持つ男のゴーストが現れました。
「メディア王ジーグフェルド。20年前、このNEBO全土のマスメディア、ショービジネス界を牛耳っていた権力者です」
―場面が切り替わり、スイートルームの寝室で死の床につくジーグフェルドの姿が映し出されました。
「彼が残した謎の遺言”星の欠片”.....当時、多くの記者がその言葉の意味を解こうと奔走しましたが、結局誰一人として答えに辿り着く事は出来ませんでした」
―再び場面が切り替わり、目の前に仮想次元のプラネタリウムが現れました。
擬似的に作られた宇宙空間を、幼き少年が若く美しい女性と共に、大きな翼を広げて飛ぶ姿が映し出されました。
女性は少年を優しく撫でると、掌の上で輝く小さな星を手渡しました。
「星の欠片...」
その言葉は古いソーラス語の字幕として現れました。少年は羨望の眼差しでそれを受け取りました。
クラウディアが寂しそうに言いました。
「星の欠片......それは彼にとって、母親からの最初で最後の贈り物であり、唯一の思い出だったんです。
この時既に両親は離婚。彼は後継者として父方に引き取られ、生涯二度と母親に会う事はありませんでした」
―今度はジーグフェルドの成長を早回しするかのように、記憶が晩年へと遷移していきました。
「彼はベルナール・メディア・カンパニーの社長、そしてNEBOの上院議員となり、強欲なまま全ての物を手に入れます。
しかしリコレクターの娯楽興行に手を出し、それが”ORS174.オーディールの惨劇”、そしてこの地区のゴースト流出事件を引き起こします。」
―最後に再び、死の床の姿が映し出されました。
「金、名声、そして愛する女達......全てを手に入れ、全てを失った男。
でも本当に欲していたものは何だったのか.....それがあの言葉の真相です。
最後まで郷愁と、時の流れに対する虚無感に打ちひしがれていた事でしょう。」
クラウディアはため息をついて言いました。
「でもまさか.....その失われた筈の記憶がこのホテルに刻まれていたなんてね......」
―モノクロの記憶映像がフッと消えて、目の前に浮遊する小さなスフィアの中へ収まっていきました。周囲の空間は元の色合いへと戻っていきました。
「フラッシュバックとは本来、人が死ぬ時に見るという走馬燈の事を言います。
記憶というのはどれも哀しいものです。どんなに優雅なもの、華やかなもの、雄大なものも......全てに終焉がやって来ます。
時と共に無へ収縮していく因果を私達は"INTET"と呼びます.......」
クラウディアがスフィアにそっと手を添えると、それはフッと消えて小さな星屑となり、クラウディアの頭上のリンカーの周りに集まると、やがて消えていきました。
「さあ、先を急ぎましょう。」
25. 視線
螺旋階段を降りて行く途中、スピカは背筋がぞっとするような視線を感じました。
それはずっと誰かに見られているような感覚。スピカは周囲の亜空間や、螺旋階段を行き交うゴーストを見渡しました。
螺旋階段の遥か上の方を見上げ......そこに見覚えのある姿を見つけると、スピカはしまったと思い、直ぐに視線を逸らしました。
それは以前、この螺旋階段に現れた黒い影の少女......意思を持ったゴーストでした。
ゴーストは赤く光る瞳で、こちらをじっと見下ろしていたのです。
(「あれは意思を持った記憶の亡霊。危険なゴーストです。決して意思疎通を図ろうとしては駄目です」)
スピカの心の中に、クラウディアの言葉が響きました。
二人が螺旋階段を降りていく度に、その影は覗き込みながら追いかけて来ているのが分かりました。
スピカは青ざめた表情で、そっとクラウディアに言いました。
「あの....クラウディア.....」
「ええ、わかっています。スピカ、あの子を意識しては駄目ですよ。あなたの恐怖心が、あの子を引き寄せてしまいますから......」
そう言うと、クラウディアはスピカの体をそっと寄せて抱きしめました。
何が何だかわからず、スピカは赤面して混乱していましたが......不思議と不安や恐怖が消えて、心が安らいでいくのを感じました。
それは、リーネスに寄り添っていた時の感覚とよく似ていました。
スピカの意識がクラウディアに満たされていくと、黒い影の少女はまるで視界を失ったかのように
辺りをキョロキョロを見渡し、やがてその姿は消えていきました。
26. 怒りの剣
二人を導いている光の妖精は、螺旋階段を離れて11階のフロアへ移動していきました。
クラウディア達も妖精を追いかけて行き、ゴーストが忽然と消え、亜空間の闇に包まれた11階のフロアへ進んでいきました。
暫く進むと、視界の全てが漆黒の闇に覆われてしまいました。
暗闇の中で、目前を不器用に飛ぶ妖精とクラウディアの瞳だけが不気味に輝いていました。
おおよそ数百メートルほど歩いた地点で、少しずつ視界が明るくなっていきました。
目の前にアーチ門が現れました。それはまるで古代の城門のように、石をレンガ状に積み上げられた城壁に囲まれ、左右には円筒形の塔が設置されていました。
クラウディア達は誘い込まれるように門の中へと進んでいきました。
―中に入ると、突然雰囲気が変わりました。眼下を覆い尽くす赤い絨毯、豪華なシャンデリア、全てに彫刻が施された立派な柱、鮮やかな色彩のステンドグラスに彩られた、巨大なホールが現れました。そこはおとぎ話の宮殿のような、幻想的で雄大な美しさに満ち溢れていました。
「やっぱりね.....」
「どうかしたのですか?」
「これはシューガルデン王宮です。恐らくここから先はあの子の記憶。あの子には悪いですが、事件の真相を見せて貰いましょう......」
―立派な装飾が施された広い螺旋階段を昇っていくと、その周囲を取り囲む亜空間に映し出されるゴーストのほぼ全てに、フランベルの姿がありました。
鳥籠に囚われた小鳥を庭に放す姿。
星空の元で嬉しそうに笑顔を振りまく姿。
実験に駆り出され、哀しそうな表情で連れられていく姿。
リリのフランベルに対する強い想いが否応なしにも感じられました。
「リリが騎士団に入隊し、初めて就いたのがフランベル皇女の付きっ切りの護衛。
勿論それは騎士団として最も不名誉な任務ですが、これが二人の運命を大きく動かします。」
―次の階層では、リリの身体に寄り添って、気持ちよさそうに眠るフランベルの姿が映し出されていました。
「ほぼ同い年、同じ孤独な境遇だった二人の関係は、次第に姫と騎士という関係を超えて、より親密になっていきます。
リリにとってもフランベル皇女にとっても、お互いが心の拠り所だったようですね。」
―次の階層では、色褪せて不安定になった記憶映像が映し出されていました。
それは暗い礼拝堂。尼達が手に蝋燭を持って並んでいました。控室ではフランベルが膝をついて泣いていました。
「.....末姫フランベルは、シューガルデンの有力な政治家の息子ライゼスと政略結婚させられる事になったんです。
シューガルデン皇家にはまだ、あのような原始的な風習が残っているのですね」
「フランベル様....」
泣き続けるフランベルを見てスピカは心がとても苦しくなりました。
「さあ来るのだ!」
「いやだよ!」
フランベルは頑なに拒否し続けました。とうとう専属のリコレクターがフランベルを強引に操りました。
フランベルはまるで操られたかのように抵抗を止め、スッと立ち上がりました。
スピカはあまりにも悲痛な光景に、悲しさと怒りが込み上げてきました。
―次の階層では、ライゼスの映像が映し出されていました。人の目の届かない暗い路地で、ライゼスは誰かと話していました。それは黒い外套を身に纏い、丸渕の眼鏡をかけた身形の良い初老の男でした。
「....約束の物を渡して貰うぞ」
ライゼスがそう言うと、黒い外套の男は小さな箱を取り出しました。ホログラムパネルを映し出し、厳重なセキュリティロックを解除すると蓋がゆっくりを開きました。
中には小さな球体が納められていました。球体は水晶球のように透き通っており、その中はまるで満天の夜空のようにいくつもの星々が輝いていました。ライゼスは思わず見惚れていまいました。
「これは....なんという美しさだ......」
黒い外套の男はすぐに蓋を締め、箱をライゼスに渡しました。ライゼスはそれを懐へ隠しました。
「これで僕は....1つの世界の神になったわけだ。悪い気分じゃない」
「忘れるな。君は我々の指示通りに皇家を動かすのだ。あの娘は我々に引き渡して貰おう」
「ああ....構わないよ。あんな壊れたガキになんて端から興味無い。マッドサイエンティストの玩具にすればいい。
僕が欲しかったのは皇家の地位と、そして.....こいつさ」
ライゼスは得意そうに懐を指差しました。
「あの子はいつ始末するんだ? できれば早い方がいい」
「君が決める事ではない」
「あの子が死ななければ、僕は自由の身になれない。早くしてくれよ」
黒い外套の男は無言のままライゼスを通り過ぎて去って行きました。しかし去り際に何かを思い出したかのように言いました。
「....もしこの会話を、かつての私の娣子が聞いていたら、君の命は無いかもしれぬな」
「ひどい....フランベル様になんて事を.....」
スピカは拳を強く握り、怒りに震えていました。何故人はこんなにも冷酷になれるのか、スピカは理解ができませんでした。クラウディアは黒い外套の男を睨むようにジッと見ていました。
「レット卿......リクスダーゲンの首領ですね。彼らが何を企んでいたかは分かりませんが、それは失敗したようです。あれを見て」
―そこには”タイムシフト”を使い、その記憶を再生していたリリの姿がありました。リリは目を真っ赤にし、鬼の形相で体を震わせていました。
「神よ....お許しください.....」
リリは剣を強く握りしめました。
―式の当日。参列者達の目前で事件は起こりました。
ライゼスが式場に現れると、あの暗い路地の記憶を再生したゴーストが大衆の目の前で映し出されました。
ゴーストを操っていたのはリリでした。
「こ....これは.....貴様!やめろ!」
ライゼスが真っ青になってリリを止めようとした瞬間、漆黒のALTIMAの中へ飲み込まれました。
目の前には、涙を流して睨みつけるリリの姿がありました。
リリは剣を振り上げると、遥か天空から炎に包まれた不死鳥が現れました。
「ま....待て.....話せばわかる!」
不死鳥はライゼス達に向かって突進していきました。ライゼス達は辛うじて避けましたが、背後からリリの剣が貫きました。
「あんた達なんかに....これ以上、姫様の運命を弄ばせないわ」
―リリは冷たい瞳で命乞いするライゼスを睨みつけると、ALTIMAから去っていきました。リリの造り出したALTIMAは主を失い、漆黒の虚空へと吸い込まれるように崩れていきました。
「待ってくれ.....ここから出してくれ.....」
ライゼスは必死に叫びましたが、やがて虚空へと落ちていきました。
―リリは礼拝堂にいるフランベルの元へ駆けつけました。フランベルを操っていたリコレクター達は恐怖におののき、逃げ去って行きました。
リリはフランベルに駆け寄りました。二人は抱き合い、そしてキスしました。
「姫様!一緒に行きましょう!」
「....うん!」
フランベルはリリの手を取りました。二人は固く手を結び、共に礼拝堂を飛び出しました。
―螺旋階段を昇っていく度に、飛行艇や宇宙船を乗り継いでNEBOに渡っていく二人の姿が時系列に映し出されていきました。
「......二人の逃亡を手助けしたのは星の旅人フローネルを崇拝するエルリア教団です。彼らの総本山はノーテリエにあり、オールドホームを追われた多くのリコレクター達を匿っていると噂されています」
―NEBOへと向かう宇宙船の中で、二人は抱き合いながら、目前に迫る青き星"NEBO"を見つめていました。
フランベルはずっと泣いていました。
「リリちゃん....ごめんね....リリちゃん」
自分のせいで追われる身となってしまったリリに、フランベルは謝り続けていました。
リリもまた罪の意識で押しつぶされそうでした。しかしここでフランベルに弱さを見せるわけにはいかないと、心を強く持とうとしていました。
「姫様.....エルリア・ゲートを目指しましょう。」
「エルリア・ゲート?」
「はい......時空を超え、願いと想いのままに好きな場所へ導いてくれる扉。行き先は......この世界でなければどこでも良いのです。
フローネルが向かった約束の地エルリアでも、どこか知らない別の世界でもいい......私達を受け入れてくれる世界なら......」
―そこで、二人の過去を映す記憶が途切れました。
「あの子はずっと思い詰めています。今にも壊れてしまいそう....」
「もし私がリリさん達の元に行けば......二人とも救われるのでしょうか.....」
クラウディアは目を瞑り、説教するように言いました。
「同情したい気持ちはわかりますが....だめよスピカ。
あの子達があなたを求めている理由は、恐らくあなたの持つエターナルコア”Evighet”の無限のエンパス・エネルギーです。
エルリア・ゲートのコアとして、あなたは再び閉じ込められる事になります。リーネスが折角あなたを救い出したのに、そんな事をしては駄目ですよ」
「....はい」
スピカは自暴自棄になってしまった事を心の中でリーネスに謝りました。
「優しさだけでは人は救えない。それに.....あの子がエルリアの地に着いたとしても、今度はその罪によって苦しみ続ける事になります。
あの子の心を支配するゴースト....トーテムから救い出さなければなりません。」
「....トーテム? それはもしかして......」
クラウディアはさらに上の階層に映し出されている記憶の映像を指差しました。それらはすべてリリと同じ歳くらいの銀髪と灼眼の魔女、そして彼女が操る不死鳥の映像でした。
「あれは...リリさん達の記憶ではありません......」
「ええ。シューガルデンの神話に伝わる、かのガイデリア帝国を滅亡に追いやった復讐の魔女エリスと、その使い魔”フィネックス”です。
あの子はトーテムに記憶と精神が支配されつつあります。トーテムの独立性を高め過ぎたばかりに、自らの絶望と恐怖を飲み込み、意思を持ったゴーストとなりつつあります。あの子をトーテムから解放してあげなくてはいけません。」
「一体どうするのですか?」
「あの子を救い出す事が出来る唯一の存在が......今ここへと向かっています。とても強く、そして優しいリコレクターが....私には分かるんです。
でも、今はリリの強い絶望と恐怖が行く手を阻んでいます。それを誰かが受け止め、力を弱めなければなりません。」
「それはつまり......」
「ええ....リリと直接やり合うしかありませんね。」
27. ライジング・フィネックス
光の妖精を追って螺旋階段を昇り続けると、突然周囲の記憶映像や螺旋階段が消滅し、視界が暗闇に覆われました。
二人は互いに手を取りながら、ゆっくりと闇の底へと降下していきました。
闇の底には水面が広がっていました。そこへ降り立つと、足元から別の空間が一気に広がっていきました。
辺りを見渡すと、シューガルデン王宮と酷似した黒い建物のシルエットが、不気味なほど赤い黄昏の空に浮かび上がっています。
その遥か彼方には、真っ赤に輝く大きな月がおどろおどろしく輝いていました。
地上は全てヨード・へーリングのように鏡のような水面で覆われており、その上を火の粉がひらひらと舞い踊っていました。
クラウディアはスピカに言いました。
「スピカ......悪いのですが、ここで待っていて下さい。この子と一緒にいれば、あなたは記憶の世界に飲み込まれる事はありません。」
光の妖精はスピカの周りをパタパタを羽ばたきながら周回し始めました。光の粉がスピカを優しく包み込みました。
クラウディアはスピカの手を名残惜しそうにゆっくりと放しました。
スピカは突然、心細く不安な気持ちに駆られました。
「もうすぐ、ある人がここへやって来ます。その子が来たら、一緒に私達の元へ来てください。それまでは、何があっても近づいてはいけませんよ。」
「クラウディア.....」
「大丈夫です。私を信じて。」
そう言うと、クラウディアは向き直って闇の中へと進んでいき、姿が見えなくなりました。
―クラウディアが向かった先には荒廃した礼拝堂がありました。
礼拝堂の手前の広場で、リリが剣を構えて睨んでいました。
「よく来たわね......まさかあなたの方からここを見つけ出すなんてね......。
事情は知られていると思うから、説明の必要は無いわね。妖精は絶対に連れて行く。あなたを殺してでも!」
「あらあら、まるで心が悲鳴を上げているみたいですよ、リリ.....」
「ふん....強がっているのも今の内よホーン・ザ・シャドウ。ここは私のALTIMAよ。」
リリは剣先をクラウディアに向け、不敵な笑みを浮かべました。
「教えてあげるわ。私のトーテムネームはエリス。シューガルデンの神話に伝わる、ガイデリア帝国を滅亡に追いやった復讐の魔女。
空想世界の記憶を融合し、それを現実の恐怖や悪夢としてこの場に召喚する。それが私のリコレクション”幻獣使い”。
当然、トーテムの記憶が実在しない以上.....あの男のように記憶を覗いて操ろうとしても無駄よ。」
リリは勝ち誇ったように言い放つと、剣を天高く掲げました。
剣先から赤い光が立ち昇ると、辺り一帯がリチウムを燃やしたような赤い炎の帯に覆われました。
眩い閃光が走り、リリの背後には真っ赤な太陽が現れました。
太陽から噴出されたプロミネンスから巨大な火の鳥が現れ、悲痛な鳴き声を上げながら、赤い空を縦横無尽に飛び回りました。
「不死鳥フィネックスと死の太陽。シューガルデンの神話と歴史を象徴する闇のシンボル。
この記憶を操れるのはこの世界で私だけ。これを見て生きて帰れた者は誰もいないわ.....。」
「あら、それは光栄ですね......何だかそそる言い回しですね。」
「うるさい! さあフィネックス! ファントム・ザ・ホーンをメモリスヴェクターごと焼き尽くしてしまいなさい!」
リリが剣を振ると、フィネックスが赤い炎の翼を大きく広げ、クラウディア目掛けて勢いよく降下してきました。
クラウディアは腕を前に掲げると、周囲に複数のスフィアが現れ、クラウディアの身体をくるくると周回し始めました。
その内の1つ、紫色のスフィアに触れると、後方に時計盤の黒いシルエットが描かれた闇の空間が現れました。
時計盤の向こうには何らかの記憶が映し出されていましたが、ぼやけていて何も見えませんでした。
「......一体何の真似?」
クラウディアは不敵な笑みを浮かべたまま、何も答えませんでした。
「まあいいわ。もうあなたに逃げ道は無い。」
既にフィネックスは数十メートル先まで迫っていました。
クラウディアは赤いスフィアに触れました。スフィアはクラウディアの身体を取り囲み、背中の黒い翼を覆うようにして赤く輝く光の羽が現れました。
クラウディアは突進してくるフィネックスを直前で避けて、勢いよく赤い空へ舞い上がっていきました。
リリは激怒しました。
「また人を馬鹿にしたような真似を!フィネックス!逃がしては駄目よ!」
フィネックスはすぐに向きを変え、飛び去っていくクラウディアを追いかけて行きました。
「フィネックス!取り囲んでしまいなさい!」
リリの叫び声と同時にフィネックスは炎の帯を触手のように伸ばすと、クラウディアの周囲を取り囲みましたが、クラウディアはそれを器用に抜けていきました。
「逃げてばかりなの!みっともない!」
リリはクラウディアの行く手に向かって剣を大きく振りかざしました。
炎の柱が一直線に伸びてクラウディアの行く手を阻みました。
「チェックメイトよ!」
リリは剣先をクラウディアに向けました。フィネックスが巻き起こす炎の嵐が融合し、それら1つ1つが小さな火の鳥となりました。
後方からはフィネックスが、前方からは火の鳥達が、一斉にクラウディアへ向けて突進していきました。
クラウディアは両手を広げ、黒い時計盤状のフォースフィールドを展開しました。
「馬鹿ね。そんな玩具で防げるわけがないわ。」
しかしフォースフィールドに衝突した火の鳥は消滅し、フィネックスは大きく仰け反り、失速していきました。
「え....どうして.....?」
クラウディアの瞳は赤く輝き、黒い翼を大きく広げながら、まるであざ笑うかのように不気味な笑みを浮かべてリリを見つめていました。
「この悪魔め!」
リリは剣をクラウディアに向けて大きく振りかざしました。
リリ自身のエンパス・エネルギーを得たフィネックスは再び体制を直し、上空へと舞い上がっていきました。
「これで終わりにするわ!」
フィネックスの身体が眩く輝き出しました。巨大な光の流星となり、炎の嵐を引き起こしながら、クラウディアに目掛けて一直線に突進していきました。
フォースフィールドに激突すると同時に、凄まじい閃光が辺りを包み込みました。
―赤い空を炎と閃光が駆け巡り、その後に爆発音が何度も響き渡りました。スピカはクラウディア達の戦いを心配そうに見つめていました。
掌の上で、光の妖精が羽を畳んで休んでいました。
スピカは光の妖精を見て呟きました。
「クラウディア......」
スピカは今この時必死に戦っているクラウディアの力になれない無力感で、とても哀しい気持ちになりました。
落ち込んでいるスピカの傍に、突然光の柱が現れました。
スピカは驚き、慌ててその光の柱へ駆け寄っていきました。
―既に勝敗は決していました。
クラウディアを取り囲む漆黒の時計板のシルエットに触れる度、フィネックスの力は弱まり、段々と小さくなっていきました。
「何故.....どうして.....」
リリは剣を落とし、力が抜けていき、その場に膝をついてかがみました。
「......リリ。勝負ありましたね。」
「何故....この私のフィネックスが....」
「神話に登場する幻獣の力、破壊を齎す強大な魔法の力......昔から人はそういう象徴的なものに憧れや恐怖、様々な想いを寄せてきました。
リコレクター戦でも精神的な力として大変有利に働きます。
ですが、かつてそうしたリコレクターの戦いを興行とし、全てを失った者達の記憶があります。」
「....まさか!?」
リリはクラウディアの背後に広がる空間.....黒い時計盤のシルエットを見つめました。
先ほどまで何も見えなかった時計盤の向こうに、今は鮮明に映像が映し出されていました。
それは、ベルナルデ・アパートと.....そしてメディア王ジーグフェルドの記憶でした。
幸せと栄光、衰退と破滅。時間の残酷な流れと、虚無への収縮の力が、黒い帯となって広がっていきました。
「そう、これはザ・ベルナルデ・ソルナティエナに関わってきた数多の人々が辿った記憶。
あなたの司る記憶の根源は、絶望と怒り=Despair。それは虚無と時流=Intetによって喪失し、収縮されていきます。
リリ......語り継がれなくなった神話の世界は尚の事、収縮が早いのです。」
リリは項垂れ、悔しさに涙しました。
「ここまで...なの......。」
リリの涙で溢れた瞳の先には、自らの落とした剣が落ちていました。リリはグリップを逆さに掴もうとしました。
「おやめなさい! あの子を見捨てる気ですか!」
クラウディアが怒鳴りました。リリの脳裏にフランベルの笑顔が過りました。
「いや....できない! できないよぉ!」
リリは号泣しました。自分を信じて付いてきてくれたフランベルを残して、ここで倒れる....そんな情けない自分を許せませんでした。
「リリちゃん!!」
その時、遠くから女の子の叫び声が響きました。
リリが見つめた先には、美しい金髪の巻き髪に赤い大きなリボンを結んだ可憐な少女......フランベルが、白い翼を震わせながら立っていました。
28. 居場所
「ふう.....ようやく来ましたね.....」
クラウディアはホッとため息をつきました。
フランベルはスピカと手と繋ぎ、今にも泣き出しそうな表情でリリを見つめていました。
二人の周りをコウモリ型のロボットがパタパタと不器用に飛び回っています。
ハンスはクラウディアを見つけると、真っ直ぐに飛んでいきました。
「ハンス。案内ご苦労様です。」
「姫様.....どうしてここへ.......?」
リリは固まったまま、悲痛な声で言いました。
フランベルはリリに駆け寄ると、勢いよく抱きしめました。
「リリちゃん.....もう無理をしないで。私が来たから、もう大丈夫だよ。」
「姫様....姫様.....」
リリはフランベルの胸元で、子供のように泣きわめきました。
フランベルはリリの頭を優しくなでで慰めました。
「よしよし....」
「姫様.....私は戦いに敗れました......もう私達の居場所は何処にも......」
「リリちゃん.....もういいんだよ。リリちゃんは頑張ったし、それにスピカちゃんをまた閉じ込めるなんてできないよ.....私にも、リリちゃんにだって。
リリちゃんは優しいから、本当は誰も傷つけたくないのに、ずっと無理をしてた......でも、もう嘘はついちゃ駄目。」
「姫様.....ごめんなさい.....」
「私ね、これからはずっとリリちゃんと一緒。もう離れないよ......。私達が一緒なら、そこが私達の居場所だよ。」
リリはスッと力が抜けていきました。クラウディアがトランペットを取り出し、静かに演奏し始めました。
哀しい旋律の音色と共に踊る光の帯がリリとフランベルを取り囲みました。やがて、その光の帯に流されるように、リリから黒い影が抜けていきました。
それはリリのトーテム.....エリスの姿をした影でした。エリスの影は安心したような表情で光の帯に包まれていき、やがて赤い空へと昇って消滅していきました。
「クラウディア.....」
スピカはクラウディアの傍に駆け寄っていきました。
クラウディアはゆっくりと手を差し出し、スピカは安堵した表情でクラウディアの手を取りました。
「....あれは一体何でしょうか。」
「意思を持った記憶の亡霊。あまりにも強過ぎるリリの力が、抑え込んでいた絶望の記憶に因果し、トーテムに強大な力と依存性を持たせてしまったんです。トーテム.....即ち、魔女エリスはゴーストとなってリリの心を支配していきました。
それはたとえゴースト自身の意思に反していても、リリの絶望と恐怖心が否応なしに心を支配していきます。
リリにも......そしてエリスにも、それを止める事は出来なかったんです。
INTETで絶望と恐怖を収縮させる事は出来ても、それに打ち勝つ事が出来るのは、リリとフランベル......二人の想い合う心なんです。」
29. オリヴィアの狙い
―そこは真っ暗闇の中に、ホログラムスクリーンが幾つも並んだ空間でした。
ホログラムスクリーンの中央には透明なスフィアがぼんやりと浮かんでおり、その中でオリヴィアが腰掛け、意識のみでホログラムパネルを操作していました。
後方にはいくつも並んだ光の柱のような転送装置がありました。その内の1つが眩く輝くと、円筒の中から帽子とマントで身を包んだ少年...ウェルズが現れました。
「あらエド....早かったのですね。あの子はどうでしたか?」
オリヴィアは背中越しに、ウェルズに訊きました。
「貴方の言った通り、あの子は妖精をちゃんと守ったよ。」
「.....そう......よかった。」
オリヴィアは手を止めて、嬉しそうに微笑みました。
「あの子の記憶は閉ざされてる。でも力はちゃんと受け継がれているよ。もう僕らをとうに超えているだろうね。」
「ええ....では、そろそろですね。あの子達を”嘆きの塔”へ送り出しましょう。」
「うん.....ちゃんとその準備も出来ているよ。」
オリヴィアの傍らには、記憶を収めたスフィアが1つ置いてありました。
その中には、黒い雲と廃墟に覆われた不気味な世界で、一人すすり泣く美しい妖精の姿がありました。
オリヴィアはそれを見て心配そうに言いました。
「もう時間がありませんね.....急がないと」
30. 謝罪
リリは精神的に疲れ果てて、クラウディアの自室のベッドで静かに寝ていました。
傍らにはフランベルと、付き添いでやって来たエルリア教の尼エルザがいました。
「大丈夫です.....少し休めば回復するでしょう。」
エルザが言いました。
「良かった....リリちゃん、もう大丈夫だからね。」
ハンスがパタパタと不器用に飛んできました。フランベルが手を差し出すとハンスはゆっくり降下して掌の上にとまりました。
フランベルはハンスを腕の中で抱きかかえました。
「この子が案内してくれたんだよ。ありがとう。」
フランベルは嬉しそうに言いました。
「クラウディアちゃんがこの子を導いてくれたんだよね.....スピカちゃんもずっと気に掛けてくれて......ありがとう。」
フランベルはスピカを抱き付きました。
スピカは少し恥ずかしくなりましたが、腕の中にいる無邪気で可憐な少女をそっと抱きしめました。
「あの.....フランベル様。」
「なあにスピカちゃん?」
「フランベル様は......これからどうするのですか?」
「うん....えーっと.....えへへ。」
フランベルは笑顔で誤魔化そうとしました。するとエルザが代わりに答えました。
「お二人はこのまま、私達エルリア教が保護いたします。私達はずっとそのつもりでした。ノーテリエで皆様が帰りを待っております!」
エルザは少し恥ずかしそうに言いました。
「エルザちゃん....ありがとう!」
フランベルはエルザにも抱き付きました。
スピカとエルザは見合わせてクスクスと笑いました。
「エルザ.....全ては私が招いた事。私が責任を負わねばならない事.....」
「あ....リリちゃん!」
フランベルはリリの元に駆け寄りました。
「私が不甲斐ないばかりに.....ごめんなさい....」
リリは泣いていました。
「あ~んリリちゃん!もう泣かないで.....よしよし。」
―出かけていたクラウディアが帰って来てました。
クラウディアは手に持っていた紙袋をテーブルに置くと、呆れながら言いました。
「泣いてばかりでは駄目ですよ。ちゃんと前に進まないと。」
フランベルはリリに囁きました。
「.....皆で一緒に謝るから、ね?」
「わ....私は......」
リリは恥ずかしくて布団の中に隠れてしまいました。
「ほら駄目だよ、ちゃんと謝るの~」
「ううぅ......」
リリは渋々と起き上がると、フランベルの隣にフラフラしながら立ちました。
エルザもフランベルの行動を察知して隣に並びました。
「クラウディアちゃん!スピカちゃん!ごめんなさい。」
3人は揃って頭を深く下げました。
クラウディアとスピカは茫然としながら見合わせて、苦笑してしまいました。
「御相子ですよ。私も結果的にあなたを利用してしまったのですから......ごめんなさい。あなたの力、とても素敵でしたよ。リリちゃん。」
ニヤニヤと悪戯っぽく笑いながらちゃん付けで呼ぶクラウディアを見て、リリははっと我に返りました。
「.....あ、あんたなんかにそう呼ばれたくないわ!」
「リリちゃん!」
フランベルが怒りました。
「あうぅ....」
―クラウディアはテーブルに置いてあるステラベルズのロゴが描かれた大きな紙袋を抱えて来ると、
中から紙包みのサンドイッチを取り出し、全員に配り始めました。
「はいどうぞ」
フランベルは紙包みを受け取りました。ほんのり暖かく、トーストしたパンの香ばしい香りが広がっていきました。
中には出来立てのサンドイッチが入っていました。
「わあ!おいしそう!ありがとう!」
フランベルはとても嬉しそうに目を輝かせました。
「あ.....ありがとうございます」
エルザは恥ずかしそうに震えながら紙包みを受け取りました。
「エルザちゃん、ステラベルズのサンドイッチが大好物なんだよ。よくお庭で隠れて食べてるんだよ。」
フランベルが悪戯っぽく言いました。
「こ.....こら!余計な事は言わないでください......」
「スピカ。これはあなたの分です。」
「クラウディア.....一体いつの間にこれを?」
スピカは釈然としない表情で受け取りました。
「ふふっ....それは秘密です。」
最後に、クラウディアはベッドの傍に来てリリに一番大きいサンドイッチを手渡しました。
「はい、あなたのです。お腹が空いてるでしょう?」
リリは茫然としながらサンドイッチを受け取りました。
「あ.....ありがと....」
リリはたちまち目を輝かせると、勢いよくかぶりつきました。
クラウディア達はびっくりしながらも、互いに見合わせてクスクスと笑いました。
31. 隠された記憶
ベルナルデ・アパート最上階、かつて展望レストランとして使われた区画には、要人送迎用の小さなクラックスが設置されていました。
クラックスは微かに動力を保っていましたが、残存エンパス・エネルギーは僅かで、あと1回のジャンプが限界でした。
スピカはECRのホログラムパネルを操作し、ゲートを開きました。
クラックスが眩く輝き出したかと思うと、 光は少しずつ落ち着き、中央にある円形のゲートの内側に青白い光の膜が現れました。
「スピカちゃん、クラウディアちゃん、ありがとう。またね。」
フランベルは名残惜しそうに言いました。
「フランベル様も...どうかお気を付けて。」
「うん!.....スピカちゃん達も、きっとこれから大変だと思う。でもね......二人なら絶対に乗り越えられるよ。絶対に.....」
フランベルは意味深な事を言い残すと、パタパタと小鳥のように駆けていきました。リリ達の隣に並ぶと、振り返って叫びました。
「二人も頑張ってね! ばいばい!」
フランベルはリリとエルザの間に入って手を繋ぎ、3人は一緒にゲートへ飛び込みました。
ゲートは眩い閃光を放ち、やがて3人の姿は光の中へ消えていきました。
リリとフランベルを救ったのは、曲がりなりにもクラウディアの優しさである事をスピカには分かっていました。
スピカはクラウディアの事を心から尊敬し掛けていました....しかし―
「ねえスピカ。」
「はい」
「羨ましいですよね.....あの二人。お互いに想い合って....そして結ばれて......」
「はい?」
「ねえ、私達も......」
抱き付こうとするクラウディアの口に、スピカは先ほど手渡されたサンドイッチを無理やり押し付けて食べさせました。
「.....ふが!ふがふが!」
「折角あなたの事を心から信頼しかけていたのに....あなたという人は!」
「くらふひあひゃんがひひめまふ!」
「ちゃんと飲み込んでから喋って下さい!」
「はうぅ......」
不貞腐れて去っていくスピカをクラウディアが追いかけていきました。
―ほどなくして、エンパス・エネルギーを失ったクラックスは動力を失い、やがて完全に静止しました。
そのクラックスには古いソーラス語でこう書かれていました。
”星の欠片”
―ノーテリエに戻ったリリは、何かを思い出したように懐から小さな球体を取り出しました。球体はぼんやりと白く輝き、中を覗くと美しい星空が見えました。
「私はもう逃げない。貴方が何を企んでいようと......必ず私が阻止して見せるわ」
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