1. ソルナ・ティエナ

―深い群青色に染まった空の下に、巨大なアーチ状のオブジェが佇んでいました。 周囲の高層ビル群を凌駕する高さがあり、街を飲み込んでしまう程の威圧感がありました。 アーチの合間からのぞく空の彼方には、アクアブルーに輝くとても大きな惑星・オールドホームの姿が見えました。

 帯びたたしい数の鋼鉄の支柱によって支えられた区画が、まるで積み木のように複雑に折り重なり、 その上に槍のような形状の大小さまざまな高層ビルが林立し、其々の区画が高架橋で結ばれていました。 上空では、各高度毎に定められた方角へ規則正しく並んで進む飛行船群が、網の目のようなラインを描いていました。

 ―ここはソルナ・ティエナ。この"NEBO"で最初にソーラス人達が降り立った場所であり、この星の中枢都市でもあります。

 市内を縦断する広いプロムナードの道端から、NEBOの群青色の空に溶け込む巨大なアーチを、スピカはじっと見つめていました。 美しいブロンドの髪と、黄緑色に輝く羽が穏やかな風に揺られ......その美しい姿に道行くソーラス人達の誰もが振り返り、物珍しそうにその姿に視線を向けていました。

 ソーラス人は背中に小さな翼が生えており、ある者は自然のままに露出させ、またある者はアクセサリーや専用の衣装で着飾っています。 ソーラス人達の喧噪の中に紛れ込む様に、小さくて透明な羽をパタパタと羽ばたかせ、光の粉を残しながら飛び回るのが、スピカと同じAI.コアの人工妖精達でした。 ソルナ・ティエナは都市部全域をイオン・ジェネレーターによってエンパス・エネルギーが満たされており そのエネルギーの恩恵によって人工妖精達は生命と活力が与えられています。 また、ソルナ・ティエナをはじめとする主要都市の交通網やインフラを維持するのは、専ら妖精達と、彼らが操る無数のロボット達の役割でした。 ソーラス人達が築き上げてきた高度な文明社会の基盤は、彼らによって支えられています。

 プロムナードの周囲には様々な商業施設がひしめいており、ホログラムの立体掲示板には、様々な広告映像が映し出されていました。 ソーラス人にとって大切な翼をケアする商品、新型の飛行艇、家事用の人工妖精やロボット。 翼を綺麗にたたんで仰向けに寝る為の寝具の広告には、スピカも思わず笑みがこぼれてしまいました。 今までずっと見る機会が無かった、彼らの生活感溢れる光景に、スピカは好奇心で心が躍りました。 しかしその一方で、ソルナ・ティエナは4年前に起きた事件......ウエスト・ファウンデーション地区の亡霊襲来事件の傷痕が残り、 いまだフォースフィールドによって同地区は封鎖され、その周囲を連合軍が監視していました。

 スピカはふと、後方のスクリーンに映し出されていたニュース映像に目を引かれました。

「―続いてのニュースです。シューガルデンで発生した王女誘拐事件で、実行犯がNEBOへ逃亡したとの情報を連邦捜査局が発表しました。 これに先立ち中央政府はNEBOの周回軌道へ第4宇宙艦隊の派遣を決定しました。 しかしこの動きに対し、NEBO自治政府は断固として入港を拒否し......」

 お互いずっとこの空で向かい合い、同じ種族でもあるNEBOとオールド・ホームが何故、ここまで険悪になってしまったのだろうか。スピカは悲しそうにニュース映像を見つめていました。 彼らは人工妖精達の創造主であり、スピカは彼らに敬愛の念を抱いていました。 特にオリヴィア会長は、スピカにとって心の支えでもあり、母親とも言うべき存在でした。 しかし一方で、人工妖精への差別、イデオロギーの為の道具として利用し、使い捨てていく彼らの姿には大きな疑問を抱いていたのです。


2. トランペットの音色

 ソルナティエナのイースト・ファウンデーション地区に聳えるCTS(セントラル・ティエナ・スクエア)には、 ESS(イーヴィヒ・スフィア・システム)と呼ばれるバーチャル・グローブへのアクセスポイントがあります。 ESSは、オールドホームやNEBOのあらゆる場所に浮遊する粒子センサーがスキャンした情報を元に作成されるリアルタイムのバーチャル・グローブで、 AIコアがこれにリンクすると、千里眼、或いは順風耳のような能力で市街地全域を見通す事が出来るようになるのです。

 スピカはESSの制御センターに設置されたECR(エンパス・コントロール・ルーム)の中に入ると、手馴れた仕草でホログラム・パネルを操作し、ESSのインタフェースに自身のAIコアを接続しました。 スピカの視界に、NEBOの惑星全体像が映し出されました。視点は徐々にソルナ・ティエナの位置へとズームしていき、市内全域を見渡せる位置で静止しました。

 スピカは更に意識を集中させ、今度はESSから発せられる"音"を拾い始めました。 トランペットは大変旧式の楽器であり、今やその原始的な管楽器を所持、演奏する事が可能な者はごく僅かでした。 スピカは野外コンサートやストリートミュージシャン達から奏でられている無関係な音を除外していき、”トランペットの音色”を探していきました。

 ―それは、通常のAIコアでは時間を要する困難な処理でしたが、スピカは僅か数秒で全ての地域をトレースしました。 トランペットの音色を捉えたのは、市街地より北側の郊外リンケステン地区の公園、東海岸のカロリンスカ岬にある教会、 そして先ほどまで居たプロムナードの3か所でした。 其々捉えた音を重ね合わせると、それは不思議な事に全てが同じ旋律でした。それは心を震わせるような、哀しくも美しい調べ.....。 スピカは更に、3つのエリアの視点を拡大させ、今度は音色の”主”を探しました。 しかし旋律はまるで空気そのものかのように分散して響いており、その近くにトランペットを手にした人物の姿を見つける事は出来ませんでした。

 スピカは調査を諦め、失望した表情でコントロールルームから出てきました。

「君は、もしやファントム・ザ・ホーンを探しているのかね?」

 ESS管理者の制服を着た初老の男性が、スピカの元に近づいて来て言いました。

「ファントム・ザ・ホーン?」

「ああ、トランペット吹きの亡霊だよ。君はトランペットの音色を熱心に探していたようだからね」

「ご存じなのですか?」

「実際に会った事は無いがね...この街では有名だよ。昼過ぎから晩にかけて、どこからともなくあの音色が聞こえてくるんだ。 だがその音色の主を探そうとしても、どうしても見つける事が出来ない。」

「おっしゃる通りです.....ESSから音色を捉える事は出来るのですが、奏者がどこにもいないのです.....」

「やはりね。ファントム・ザ・ホーンの正体はリコレクターか、或いは記憶が生み出したゴーストとも云われている。ESSでは残念ながら彼らの作り出す虚像を捉える事は出来ない。 だが、もし彼に会いたいのならば、直接その場所を尋ねてみるのがいいだろう。こちらが見えなくても、向こうには見えている筈だからね」

 ―CTSビルの屋上へ登ると、そこには複雑に入り組んだ鋼鉄の骨組みがあり、先端にはいくつもの巨大な風車が取り付けられていました。 風車はゆっくり回転しながら、イオン・ジェネレーターから発せられるエネルギー粒子を市内へ循環させていました。 スピカは空を見上げて、エンパス・ラインの脈動を探しました。 上空に張り巡らされたエンパス・ラインの片端を見つけ出すと、、スピカの身体は次第に閃光となって輝き、勢いよく空へ舞い上がり、流星となって上空に張り巡らされたエンパス・ラインを辿っていきました。 エンパス・ラインには、他にも多くの妖精達が、流星となって縦横無尽に駆け巡っていました。 エンパス・ラインは仮想空間・第2階層の道筋。これは人工妖精にとって、最も効率の良い移動手段でもありました。 ただし、設置と維持には多大な費用とエンパス・エネルギーを浪費する為、これらが整備されているのはソルナ・ティエナのような主要都市に限られました。

 ―ソルナ・ティエナ郊外のリンケステン地区は高台になっており、急な勾配がいくつも連なり、 長い坂道の周りには、古風な三角屋根とレンガ造りの古風な建物がいくつも並んでいました。 スピカはリンケステン地区の上空に到着すると、エンパス・ラインから離れ、高台の南側に広がる公園へ降りていきました。


3. 黒い翼の少女

晩秋を迎えて、赤茶色に変色した枯葉を散らす広葉樹に覆われた公園の展望台から、微かにトランペットの音色が聞こえてきました。 スピカは旋律が聞こえる方へ誘われるように向かって行きました。トンネルのようにひしめく広葉樹の森の先には、ソルナ・ティエナの中心街全域が見渡せる展望台がありました。 しかし不思議な事に、森を抜けた瞬間、トランペットの音色はピタッと止んでしまいました。 スピカは辺りを見渡しましたが、そこには人の姿は無く、誰かが居た形跡もありません。

 突然、スピカの背後から小さな女の子が声を掛けてきました。

「まあ!綺麗な妖精さん!ねえ、貴方はどこからきたのですか?」

 スピカは驚いて後ろを振り向くと、そこには10歳くらいの銀色の髪の可憐な少女が、赤い瞳を輝かせて、とても嬉しそうにスピカを見つめていました。 青いリボンとフリルのついたドレスにはNEBOの紋章が記されており、背中には小さな漆黒の翼が生えていました。 黒い翼のソーラス人はこれまでの記憶に無く、スピカはつい物珍しそうに見つめてしまいました。 少女の傍には、小さなコウモリ型のロボットがパタパタと飛び廻っていました。まるでその少女の無邪気な心を投影しているかのように、二人の周囲を飛び廻っていました。

「ねえ、あなたのお名前は?」

「私は人工妖精、AI.スピカといいます。あの....貴方はファントム・ザ・ホーンを....いえ、この辺りでトランペットを演奏している方をご存じありますか?」

 少女は少し首をひねると、ニヤニヤと笑みを浮かべて答えました。

「うふふ....教えてあげてもいいですけど.....その代わり条件がありますよ」

「条件....それはどのような?」

「隙ありです!」

 少女が叫びました。

「え?」

 少女は両手を広げながら抱きつこうとしてきたので、スピカは驚いて横に避けました。 少女はドタッとその場に勢いよく転びました。

「いたい....いたいです.....」

「ご、ごめんなさい....」

 ドレスのスリットからスカートがだらしなくひろがり、真っ白な下着があらわになった少女にスピカは慌てて駆け寄り、ドレスを整えて、優しく支えて起こしてあげました。 起き上がった少女は、またしても目を輝かせて言いました。

「....うふふ。逃げようたって、そうはいきませんよ」

 少女はむくっと立ち上がったかと思うと、再び満面の笑顔で襲い掛かってきました。 スピカは大慌てで、その場から光の球体となって上空のエンパス・ラインへと逃げていきました。 少女は悲痛な声で叫びました。

「あーん、逃げないで、私の妖精さん!」


 ―「危なかったです.....子供には警戒しないといけませんね.....」

 スピカは疲れた表情でため息をつきながら、次の候補地、カロリンスカ岬を目指していました。

 カロリンスカ岬はソルナ・ティエナの東海岸の外れにあり、岬の南側からダウンタウンを一望し、 天高く突き出た高層ビルや、街のシンボルでもあるアーチ状のオブジェが西に傾いた陽の光を受け、群青色の空の下で輝いていました。 スピカは岬の海岸沿いの小道を歩いていると、脇の林の中に佇む古惚けた教会の中から、再びあのトランペットの音色が聞こえてきました。 スピカは今度こそ逃さないとばかりに、辺りを見渡して慎重に教会へ近づいていき、重い扉をゆっくりと開きました。

 扉が開いた瞬間、トランペットの音色はまたしてもフッと消えてしまいました。 教会内部は薄暗く、ひやっとした空気に満ちていました。奥のステンドグラスから差し込む光だけが、赤い絨毯を鮮やかに照らしていました。 趣のある装飾が施された祭壇に近づいていきましたが、やはりそこには誰もいません。

「あの.....すみません....どなたか?」

 返事はありませんでした。祭壇の蝋燭の火だけが、ゆらゆらと揺れ続けていました。

 突然、スピカは背中の羽を何かに触られた感覚をおぼえ、背筋がぞっとして思わず悲鳴を上げてしましました。

「きゃっ」

 スピカは慌てて後ろを振り返りました。そこには少女が.....リンケステンの公園で出会ったあの黒い翼の少女が、得意気な表情でニヤニヤと笑いながら立っていました。

「ふふふ...さっき私を起こしてくれて気付いたのですが、あなたって.....触れるんですね!素敵!」

 少女はまたしても両手を広げて襲い掛かってきました。

「こ.....こら!やめなさい!」

 少女の手が体に触れると同時に、スピカは思わず少女の柔らかいほっぺをぎゅっとつねりました。

「いたい...いたいれふ.....」

「ど....どうして? なぜ貴方がここに?」

 この子は私を追って来たのだろうか。だとしたら一体どうやって? スピカの高度なエターナルコア=Evighetはその可能性を模索しましたが、この辺鄙な場所に移動用のゲートは存在せず、どうしても説明がつきません。 スピカは目の前で起きている事が理解できず、混乱してしまいました。 スピカがゆっくり手を離すと、少女はほっぺを抑え、拗ねた表情で言いました。

「うぅ....何も言わずに逃げるなんてひどいです。でも、今度こそ逃がしませんよ」

 少女はニヤリと笑い、まるでゾンビのような仕草で両腕を突き出し、スピカにじりじりと迫りました。

「わ.....私は遊んでいる時間は無いのです。お願いです、もう付きまとわないでください......」

「私、あなたが気に入りました。今日は連れて帰りますよ」

「な!?....もう、知りません!」

 スピカは怒りながら再び光の球体となって、エンパスラインへと逃げていきました。

「....あら、また逃げました。きっと、恥ずかしがり屋さんなのですね。貴方もそう思わないハンス?」

 少女は寂しそうに、背後を飛び回っているコウモリ型のロボットに言いました。


 ―群青色だった空はすっかり黄昏に染まり、辺りは夕闇に包まれていきました。 スピカは正面に巨大なアーチを望むプロムナードへ戻って来ていました。 ファントム・ザ・ホーンの唯一の手掛かりとなるトランペットの音色。 しかしここはソルナ・ティエナの中心街。多くのソーラス人が行き交い、様々な喧騒に溢れており、見つけ出すのは困難でした。 スピカは噴水の縁にしゃがみこみ、哀しそうに空を眺めていました。

「....貴方は一体どこに行ってしまったのですか.....リーネス......」

 落ち込んでいるスピカの隣に誰かがスッと腰掛けました。スピカは観念したように項垂れ、ため息をついて言いました。

「また....貴方なんですね。一体どうして.....追いかけて来るのですか.....」

 黒い翼の少女はぐるっと向きを変え、噴水にばしゃばしゃと脚を入れると、澄ました表情で言いました。

「ねえ、困っているんでしょう。力になりますよ。もっと素直になりましょう?」

「あ、あなたが厚かまし過ぎるんですっ」

 スピカは怒って言いました。しかし少女の表情を変わらず、ずっと遠くを見つめていました。

「....ねえスピカ。あなたは私が追いかけて来ていると言いましたね。それは違います。 私はずっと同じ場所にいて、待っていたんですよ」

「え?」

「2つは私が作り出した記憶の亡霊。そして、今ここにいるのが実像。貴方は私を探していたのでしょう?」

 少女は再び向きを変えると、ゆっくりと立ち上がりました。 その手にはトランペットがありました。 少女は瞼を閉じて、ぐっと息をのみ込み、演奏を始めました。 スピカがずっと追い掛け続けていた、あの美しくも哀しい旋律が静かに響いていきました。 その旋律は、エーレスニアリングの鳥籠に居た時、スピカが好んで聴いていたラジオの音楽番組で頻繁に掛けられていたナンバーでした。 突然の出来事にスピカは言葉を失い、驚いた表情でトランペットを演奏する黒い翼の少女見つめていました。

 ―演奏が終わると、少女は瞼を開き、スピカの方に向き直って言いました。

「はじめまして。私はクラウディア・ガーシュタインです。」

 少女は再びスピカの隣にひょいと座りました。

「何とか・オブ・ホーンなんてヘンテコな名前で呼ぶ人もいますが、あの通り名は嫌いですよ。」

 スピカは感動した面持ちでクラウディアを見つめていました......が、今までの経緯を思い出すと、ジトッと睨んで言いました。

「.....私が探していると知っていたのなら、何故あのようなイタズラを?」

「ふふ......ごめんなさい。あまりにも珍しい子だったから、どうしてもちょっかいを出したくなってしまったんです」

「もう、知りません」

 スピカはふて腐れて、ぷいとそっぽを向きました。 するとクラウディアは突然甘ったるい声でスピカに泣きついてきました。

「あーん、スピカちゃんってば、許して下さい」

「ちゃん...なんて呼ばないでくださいっ!」


4. 追跡者

「ねえスピカ。これはお詫びです。機嫌直して下さいね?」

 クラウディアは怒って拗ねているスピカの頭上に浮遊するリンカーに、銀色の羽飾りを取り付けていました。 それはクラウディアのリンカーに飾られたものとよく似たもので、接続した途端に穏やかな光を放ちました。 先程からクラウディアの黒い翼が体に接触し、スピカはくすぐったく感じていました。

「変な事をしないでください......」

 スピカは不機嫌そうに言いながらも、この不思議な羽飾りの不思議な輝きに見惚れていました。

「....さて、そろそろ来る頃ですね」

 クラウディアはスッと立ち上がると、右手を差し出して言いました。

「スピカ.....私の手を握って下さい。」

「....今度は一体何を?」

 この悪戯少女がまた何か企んでいるのではないかと思い、スピカ疑わしい表情でクラウディアを見つめてました。 しかし、先ほどまでの無邪気だった少女の目つきが突然鋭くなり、真剣な表情で何かを警戒している事に気づいたスピカは、慌てて手を掴みました。


 ―スピカがクラウディアの手を取った瞬間、辺りの空間が一変しました。すべての物がぼんやりとした輪郭と、淡い色合いの光に包まれ、所々に黒いノイズのようなものが走り、それはまるで古い映画の世界に飛び込んだかのような光景でした。中心街の喧騒は完全に消失し、時折影のような人影が、遠くの木陰を横切るのが見えました。

「......クラウディア、これは一体?」

「詳しい話は後です。一緒に来て。あと......絶対にこの手を離しては駄目ですよ」


 ―辺りには二人が石畳の道を歩く音と、ハンスの羽ばたく音だけが響いていました。 クラウディアはスピカの手を引きながら、プロムナードを行き交うソーラス人を全く避けようともせずに進んでいきました。 ぶつかってしまうかと思うと、まるで旧式の映像投影型のホログラムに触れるかのように空を切り、そのまま通り抜けていきました。

「私達は今、リコレクションによって擬似的に作り出した上位階層世界にいます。私達はこれをALTIMAと呼びます。 ここは向こうの世界を映し出す虚像。実際は次元が異なる世界にいるので、お互いに触れあったり、認知する事は出来ないんです」

 目の前で起きている事全てが理解を超えた現象.....スピカは初めて目の当たりした記憶使い.....リコレクターの力に、ただ茫然とするばかりでした。

 プロムナードを挟む形で施設された広い道路を横切ると、向かい側に赤いレンガ造りの建物があり、そのすぐ手前には周囲の高層ビルを結ぶ高架歩道に直結するエスカレーターがありました。エスカレーターを登り、プロムナードを横断する高架歩道を渡る途中でクラウディアが立ち止まり、先程まで二人がが居た噴水広場を見下ろしました。

 クラウディアが左腕をスッと振り上げると、少しずつネガフィルムのような空間が色彩を帯びて行き、周囲の喧騒も戻ってきました。 それはまるで、止まった時間が戻ったような光景でした。

「ごめんなさい。あなたをわざわざ遠回りさせたのは、彼らの正体を探っていたからなんです」

「彼ら....?」

 スピカはクラウディアの視線を追って噴水広場を見下ろすと、先程まで二人が座っていた場所を、黒いマントで身を包んだ集団が取り囲んでいました。 彼らは何かを必死に探しているようでした。

「あれは.....?」

「リクスダーゲンの秘密情報部。貴方を狙って、ずっと後をつけていたようです。そして今まさに、私達の姿を見失って慌てている所ですね」

 クラウディアはクスクスと笑いながら言いました。

「私ったら.....気が付かなかったなんて.......」

 スピカは自身が高度なAIを持つ人工妖精でありながら、追っ手に気が付かなかった事に失望しました。

「ソルナ・ティエナはどこに居ても監視されています。上空のエンパス・ラインも、あなたが私を探す為に使ったESSも、すべてが彼らの目となります。」

 クラウディアはスピカのリンカーに取り付けた羽飾りを指差しました。

「これ......ESSに対して貴方の姿を隠してくれるんです。」

「.....ひょっとして、クラウディアが見つからなかったのは、この為だったのですね」

「ふふ....それだけでは無いですよ。」

 クラウディアは得意気にクスクスと笑いました。

「....ねえスピカ。この近くに私の隠れ家があるんです。少し窮屈かもしれませんが.....今日はそこで休みましょう」



5. 幽霊通り

 パールベリ・アベニュー17番街はフォースフィールドが張られたウェスト・ファウンデーション地区に程近い場所にあり、歴史的な趣のある高層ビルが立ち並び、石畳が敷かれた通りには赤く色付いた広葉樹が綺麗に植えられており、古風なガス灯を模した街路灯の光に包まれた、とても上品な通りでした。 しかし、そこはまるでゴーストタウンのように人の気配が感じられません。 通りに面したブティックやレストランだけは営業しているのか、ショーウィンドウ越しからぼんやりとした照明の光が漏れていましたが、 そこに人々が行き交う姿は全く見られませんでした。

「ここはあのフォースフィールドの中では無い筈ですが.....」

 スピカの疑問に答えるようにクラウディアが言いました。

「10年前、ここでは別の事件があったんです。ベルナルデ・メディア・カンパニーにヘッドハンティングされたリコレクター達が興行として、リコレクションを使用した大掛かりなイベントを開催していました。 彼らが安易に考えそうな事です。擬似的な記憶から神話の魔物やロボット兵器を召喚し、互いに戦わせるもの。 当時はまだ、リコレクターの力が及ぼす危険性.....ゴーストの発生が認識されていなかったんです。 その結果、この地区は半ばALTIMAと化し、記憶.....即ちゴーストが流れ込んで来てしまった。

 そして今はご覧の通り、ゴースト・アベニュー(お化け通り)となってしまったんです。 この通りの商店、本当はとっくに廃業してしまっているんです。あそこに見えるのは全て記憶の幻影.....ゴーストなんです。」

 スピカは再び周囲の商店を見渡しました。よく目を凝らして見ると、それらは映像ノイズのように揺れたり点滅している不安定なイメージでした。 それらは時折、本来の姿であるシャッター街の姿が透けて見えました。また、建物の中や歩道を、黒い影のようなものが行き交っている事に気づきました。 スピカはとても不安になりました。

「あの....大丈夫なのですか?」

「ええ。これらは只の記憶。意思を持たないので、私達に干渉してくる事はありませんよ。だから、ここにはフォースフィールドも張られていないんです。」

 クラウディア達はこの不気味な通りの中央を、真っ直ぐに進み続けました。

「ゴーストが意思を持っているか否かは、私達リコレクターにしか判別する事が出来ない。 つまり、ここは私達にとって絶好の隠れ家というわけなんです.....ほら、あれですよ。」

 クラウディアが指さした先には、複雑に入り組んだ鋼鉄に覆われた敷地の中に佇む歴史的な趣の高層ビルがありました。 鋼鉄の骨組みは、低層階に直結したゲスト用の立派な飛行艇デッキを支えるもので、立派な石造りの彫刻が施されていました。それはまるで、往年の高級ホテルのようにも見えました。

「ベルナルデ・アパート。かつては上流階級御用達の一流ホテル”ザ・ベルナルデ・ソルナティエナ”と呼ばれていました。今は妖精達の住処です。」

「妖精達の住処.....ですか?」

「ええ。皆、可愛らしい子達ですよ。さあ、行きましょう」


6. 妖精達の住処

 鋼鉄の迷路の中を起用に通したエスカレーターは、かつて名門ホテルであった事を物語る 広大な空間の吹き抜けと、立派なシャンデリアが飾られたコンコースに直結していました。 あまり手入れが行き届かなくなった為か、埃や汚れが目立ち、橙色にぼんやりと輝くエンパス灯も極端に数少なく、暗く不気味な印象を漂わせていました。 中央の吹き抜けには、非常に大きならせん階段が、遥か天井のステンドグラスの付近まで続いていました。

 螺旋階段や柱の影から、妖精達が小さな羽をパタパタと羽ばたかせながら此方を覗き込んでいました。

「ここの住人達です。ニナ、こっちにいらっしゃい」

 クラウディアがそう言うと、一番手前の柱の影から妖精が恐る恐るクラウディア達の元に近づいて来ました。 肩の下でカールしたブロンド髪、頭に被っている花冠にはロウソクのような形をしたリンカーを立て、 淡い青い光に包まれた真っ白ドレスを着た、可愛らしい女の子の妖精でした。

「みゅぅ......?」

 妖精は震えながら、視線をじっとスピカに向けて言いました。

「ご紹介しますね。この子はスピカ。私の恋び....いたい、いたいです......」

 予想通り変な事を言おうとしたため、スピカは背後から手を伸ばしてクラウディアの腕をつねり、代わりに前に出て来て自己紹介しました。

「初めまして、AIコア・Evighetの妖精、スピカと申します。」

「みゅ....みゅう」

「AI.ニナですね。ニナさん、初めまして」

 スピカがにっこり笑って挨拶すると、ニナは赤面してそのままぴゅーっと逃げて行ってしまいました。

「あ....」

 スピカは困惑してしまいました。クラウディアがクスクスと笑いながら言いました。

「ふふ....気にしないで下さい。照れているんです。 スピカのように永久機関を持つ最上位のAIとお近づきになれるなんて、あの子達にとっては憧れのお姫様に直で会うようなものなんです。」

「私....お邪魔ではないでしょうか」

「謙遜しては駄目ですよスピカ。さ、こっちです。」

 クラウディアはエレベーターの方へ歩いていきました。スピカは少し不安そうに後をついていきました。


 古風な装飾が施されたエレベーターは、螺旋階段を取り囲むように8か所設置されていました。 クラウディア達はその内の1つに乗り込むと、エレベーターは無音のままゆっくりと昇って行きました。 螺旋階段は、遥か最上階のステンドグラスまで続く吹き抜けに沿って伸びており、まるで別世界への入り口のようにも見えました。

「名高きザ・ベルナルデ・ソルナティエナだった頃は、美しいドレスで着飾った上層階級のソーラス人達が この螺旋階段を優雅に降りて行く光景は、天から舞い降りた本物の天使のように見えた事でしょう。 でも今は、あの子たちの遊び場ね.....」

 螺旋階段の上を妖精達が可愛らしく飛び回っているのが見えました。 スピカ達の存在に気が付くと、彼女たちは立ち止まり、きょとんとした表情でこちらを見つめてきました。

「廃業したこのホテルを買い上げて、あの子達の住処にしているんです。 あの子達には永久機関が無いので、エンパス・ジェネレーターが無ければ生きていく事が出来ないんです。 だから、捨てられて行き場を失ってしまっても、都市部から離れて生きていくことは出来ないんです。」

 スピカは改めて、人工妖精の置かれた立場に哀しみを感じました。

「所有者が登録されていない人工妖精やロボットは、定住場所が無ければ廃棄処分されてしまいます。 だから、ここをあの子達に提供しているんです。」

 スピカは今日初めて、クラウディアを尊敬の眼差しで見つめながら言いました。

「クラウディアはあの子達を救ったのですね.....でもどうして?」

「あの子達が好きだからですよ。かわいい子達ですしね。それにこの話をすれば、スピカの好感度も上がるでしょう? ね?」

「.....今ので下がりました」

 スピカは拗ねて言いました。


 クラウディアが隠れ家と呼ぶ場所は23Fの南側に位置する見晴らしの良い部屋で、そこはクラウディアが頻繁に使用している為か、生活感を見て取る事が出来ました。散乱しているステラベルズ・サンドイッチの紙袋、いくつものホログラム投影機、トランペットケース、そして部屋に干してある下着....。 お嬢様らしい可憐な装いのクラウディアからは想像し難い....または本性とも言うべき、だらしなさが見て取れました。

 ずっと後ろから付いてきたハンスが先にパタパタと部屋の中へ入っていくと、充電スペースへとゆっくりホバリングしながら静止しました。

「あら....お疲れだったみたいですね。おやすみなさい、ハンス」

「クラウディア....あの.....」

「ここが私の隠れ家です。ソルナ・ティエナに来ている間は、ここで寝泊まりしているんです。 3Fのデッキに私の飛行艇を隠してあります。明日の夜明け前には出発しましょう。 それまでは、ちょっと汚いですがゆっくりして.....あら?」

 スピカはぶつぶつと文句を言いながらソファの上に積み重ねてある下着を拾い集めていました。

「スピカったら......ねえ、私のパンツをどうする気ですか?」

「クラウディア!だらしが無さすぎます!ちゃんと片付けて下さい!」

 スピカは目を光らせながらクラウディアに言いました。

「....えっと.....スピカ?」

「何をしているのですか? さあ、貴方も手を動かすのです」

「....うー...しょうがないですね」


7. 黒い影

 その日の夜中、スピカはアパートの住人である妖精達の事が少し気になりました。 すーすーと気持ちよさそうに眠るクラウディアを横目に、静かに扉を開き部屋を出ました。

 廊下はわずかな常夜灯だけがぼんやりと心細い光で照らしていましたが、殆どは影に隠れ、視界はほぼ闇に包まれていました。 スピカはまるで何かに誘われるように、螺旋階段にやって来ました。 螺旋階段を見下ろすと、下の階も照明が落とされている為か、その先は真っ暗闇でした。 それはまるで、漆黒の闇の底に引きずり込まれそうな不気味な雰囲気を醸し出していました。

 スピカはふと、一番下の階に少女と思われる小さな黒い影が、赤く輝く瞳で何かを探している姿を見つけました。 それはアパートの住人である妖精かと思いましたが、スピカのAIがその人物を透視しようとしても、何故かそこには何も映りません。 街を徘徊する記憶の亡霊.....”ゴースト”が現れたのかと思いましたが、それとはまた様子が異なり、その影には強い”存在感”を感じられました。 スピカは得体が知れない、ぞっとするような震えを感じました。

 突然、傍で誰かが小声で囁きました。

「スピカ。あれと意識を合わせては駄目ですよ.....」

 驚いて振り返ると、そこにはクラウディアが真剣な表情で立っていました。

「あれは意思を持った記憶の亡霊。危険なゴーストです。決して意思疎通を図ろうとしては駄目です。取り込まれてしまいますよ。」

「......は、はい」

スピカは慌てて吹き抜けの手すりから離れました。

「スピカ。夜中出歩いてはいけませんよ.....お化けが出ますからね。」

 クラウディアはスピカの手を両手で優しく包み込んで言いました。


8. ガーシュタイン城

 クラウディアの飛行艇がソルナ・ティエナを出発してから2時間が経過していました。 市街地を支えていた鋼鉄の支柱や骨組みは姿を消し、ヨード・ヘーリングと呼ばれる広大な水域に差し掛かりました。

 黒光りした流線形の飛行艇は、深い霧に覆われた広い水面の上を、殆ど音を立てる事なく進んでいきました。 水面には飛行艇が飛び去った後に残る風波を除くと、波紋を立てるものは無く、朝焼けに染まる藍色の空を、まるで鏡のように映し出していました。 スピカはその幻想的な光景にすっかり目を奪われていました。

「不思議な所ですね....」

「NEBOはオールドホームの言葉で"空"を意味します。初めてこの地に降り立ったソーラス人が、まるで天地すべてが空になったような世界だと伝えた事からその名が付けられたんです。 何百年にも渡るテラフォーミングによって、かつての姿は大きく変わりました。でも、まだこの星の至る所にこういう場所が残っているんです。

 .....これは噂ですが、オリヴィアが意図的にテラフォーム・システムを抑制して、このような風景を残しているとも云われていますよ」

 オリヴィアの名前を聞いて、スピカはずっと心の中で疑問に感じていた事をクラウディアに尋ねました。

「クラウディア。私をあなたの元へ導いたのはオリヴィア様です。クラウディアはオリヴィア様と一体どのような繋がりがあるのですか?」

 クラウディアは何かを懐かしむように言いました。

「彼女は昔の友人なんです。もしかしたらスピカも気づいていると思いますが、あの人は私と同じ、リコレクターなんです」

「あ....」

 スピカはエーレスニア・リングから逃げ出した時、オリヴィアが赤いタクトを振りかざし、不思議な力で助けてくれた事を思い出しました。

「そう.......だったのですね....」

 自らが関わる事が無いと思っていたリコレクターという存在が、既に身近にいた事に、スピカはとても不思議な気持ちになりました。

「既に聞いてると思いますが......あの人はウエスト・ファウンデーションで起きたゴースト襲来事件のきっかけを作ってしまった人物。 優しい方ですが、根底にあるのは進化に対する貪欲さと、急進的な思想。昔の友人として警告しておきますが、決して心を許してはいけませんよ。」

「な.....オリヴィア様はそんな人では......」

 スピカは抗議しましたが、内心ではオリヴィアが何を考えているのか分からない事も確かでした。


 ―飛行艇は左へ旋回していき、北西へと進路を変えていきました。丁度その時、スピカはずっと美しい情景に目を奪われて、行き先を聞いていない事を思い出しました。

「クラウディア......そういえば、どこへ向かっているのですか?」

「ガーシュタイン城.....ローテンガルドの丘にある、私の住んでいるお城です。 今はソルナ・ティエナにいると危険です。だから暫くの間、そこで一緒に暮らしましょう」

 クラウディアはとても嬉しそうでした。

「あの.....クラウディア」

 スピカはムッとしながら言いました。

「何を...しているのですか?」

 クラウディアはスピカの腰に手を回して寄り添っていました。 スピカはクラウディアの頬をギュッと引っ張りました。

「いたい、いたいれふ....らめれふよ、運転中れふ」

「自動操縦です」

「バレてまひたね...」


 ―二人がそんなやり取りをしている間に、飛行艇は目的地"ローテンガルド"に到着しました。 霧の向こうに、黒く大きな影が見えてきました。 それは古城でした。飛行艇が接近するにつれ、城壁と幾つもの鋭塔が、黒いシルエットを帯びながら霧の中から現れました。 まるで古いおとぎ話に出て来る、魔物か魔女でも住んでいるかのような、幻想的で奇怪な雰囲気を漂わせていました。

「あれがガーシュタイン城ですよ、スピカ。」

 飛行艇はぐるっと城の周りを旋回し、少し離れた発着場へゆっくり降下していきました。


「ごめんなさいね。今はお城をメンテナンス出来るロボットの数も少なくて.....あまり綺麗じゃないんです。」

 クラウディアの言った通り、城の中は不気味なほど暗く、埃っぽく、空気がよどんでおり、今にも何かが化けて出て来そうなおどろおどろしい雰囲気が漂っていました。 外見通り、ここは幽霊城そのものだったのです。 スピカは心の中で今すぐにでもお城をひっくり返して掃除を始めたい気持ちが沸き上がり、落ち着かない様子でした。

「あなたには少し窮屈かもしれませんね......さあこっちですよ。お茶にしましょう」


9. 星の旅人リーネス

 妖精とは、かつてオールドホームに存在した数多の精霊で、文明の進歩と共に滅び去った種族でした。 高度化したロボット社会を管理する為のAIコア、そしてソーラス人達とのコミュニケーションを仲介するU/Iとして選ばれたのが ”妖精”の姿のホログラム....すなわち人工妖精でした。 人工妖精は様々な用途に応じて改良、進化していき、やがて彼らは心を持ち、遂には実態を持つ妖精も生まれました。

 スピカは、惑星NR402のテラフォームシステムに収容する目的で作られた高度なAIコア「Evighet」の人工妖精。 その名の通り永久機関を持つエターナルコアで、惑星のライフシステムの管理だけでなく、ソーラス人の膨大な記録を遥か遠い未来まで伝えていく役割が与えられました。 しかしオールドホームとNEBOの関係は冷戦状態に突入し、NEBO自治政府は開発元テリーサ社に対し、Evighetを巨大宇宙要塞DIVAへ収容させるように命じました。

 スピカはエーレスニア・リングの”鳥籠”と呼ばれるテリーサ社研究施設に移管され、外の世界の情報の殆どが制限されました。

 鳥籠の内部には、スピカの暮らす小さな家と綺麗な庭がありました。周囲は白い壁で覆われ、ドーム型の天窓から覗く空だけが外の世界との接点でした。

 それはスピカが鳥籠を飛び立つ1年前に遡ります。全てが寝静まる真夜中、スピカはスリープ状態から起き上がり、監視の届かない木陰で”その人”が現れるのを心待ちにしていました。 スピカの視線の先に、ぼんやりと青く輝く光の扉が現れると、やがてその中から一人の少女が現れました。

「リーネス様!」

「スピカ」

 星の旅人リーネス。 美しい白い翼と、輝くような銀色の髪、そして引き込まれるような赤い瞳を持つ、まだあどけないソーラス人の少女でした。 スピカは嬉しそうにリーネスの元へ駆けていきました。 リーネスはゆっくりと両手を差し出して言いました。

「スピカ.....さあ、行きましょうか」

「はい」

スピカはリーネスの手を取りました。


 ―二人はエーレスニア・リングの外壁の上で寄り添いながら、夜明け前の美しい空を眺めていました。

「エルリア....ですか?」

「そう。星の旅人フローネルが最後に向かったと云われている、約束の地。私達の旅の終着点.......そこへ行くのが私の夢なんです」

「リーネス様の夢.....?」

「エルリアに行くには、時空を超え、願いと想いのままに好きな場所へと導いてくれる扉....エルリア・ゲートを見つけなければなりません。 でも私は、それがどこにあるのかを知っている.....」

 リーネスは青い光を放つタクトを取り出し、頭上の青い星=オールドホームに向けて振りました。青い光の粉が二人に降り注ぎました。 リーネスはスピカの手を優しく握って言いました。

「スピカ!私と一緒に行きましょう!エルリアへ!」

「....はい!私も行ってみたいです。リーネス様と共に.....」

 二人は嬉しそうに手を取り合って、約束を交わしました。


 ―やがて、遥か東の地平線から太陽が昇り始めました。 スピカはリーネスと出会ってから、ずっと気になっていた事を訊きました。

「あの....リーネス様。何故、あなたは私の前に現れたのですか?」

「そうね......あなたに、変わるきっかけを与えたかったのだと思います」

「変わるきっかけ?」

 スピカは不思議そうに聞き直しました。しかしリーネスはその質問には答えず、澄ました笑顔でこう言いました。

「スピカ.....この世界には辛い事、悲しい事は沢山ありますが、それを補ってやまないほどの美しいものに溢れています。たとえば、この空のように.....。 貴方には、それをずっと追いかけて行って欲しいのです。」

「.....はい」


 ―二人の別れは唐突に訪れました。

「リーネス様!大丈夫ですか!」

リーネスは突然、その場に倒れました。リーネスはとても苦しそうに体を抑えながら、スピカから離れていきました。 スピカがリーネスに駆け寄ろうとすると、リーネスは叫びました。

「来ては駄目です!」

 リーネスを背後から、不気味な闇が包み込もうとしていました。リーネスの白い翼は、みるみるうちに黒く染まっていきます。

「リーネス様!」

 スピカはリーネスを助けようと駆け寄り、腕を取ろうとしましたが、リーネスはその手を振りほどきました。 そして悲痛な表情でスピカに言いました。

「スピカ.....エルリア・ゲートを目指して。スピカ........」

 それがリーネスの最後の言葉でした。リーネスは黒い闇へと飲み込まれ....やがて消滅しました。 気が付くと、辺りは何事も無かったかのように静寂が戻りました。 リーネスがスピカに残したものは、大切な思い出と、手元にある小さい古惚けたラジオだけでした。


10. 高みの存在

 広々とした客間は立派なシャンデリアが飾られ、室内をオレンジ色の暖かい光で照らしていました。 南側には大きな窓があり、カーテン越しから群青色の空を眺める事ができました。 北側の壁には古風な暖炉があり、火に蒔がくべられ、ぱちぱちと小さな音を立てていました。 二人は向かい合うようにソファに腰掛けていました。

 スピカがソルナティエナに辿り着く迄の経緯を聞いた後、クラウディアは暫く考え込みました。そしてミルクティーをすすりながら言いました。

「星の旅人フローネル。ゲートを自在に操り、星々と時空を超えて旅をする白い翼の少女......」

「フローネル?」

「そう....ソーラスに古来から伝わるおとぎ話。星の旅人の存在は空想とされていますが、多くの著書や記憶に刻まれていて、実在すると信じる人も沢山いるんですよ」

「......そうですよね.....このような話、信じては貰えるとは.....」

 スピカは哀しそうに言いました。

「あらスピカったら....すぐ卑屈になっては駄目ですよ。私達の間では、星の旅人という存在も、フローネルも、全て実話として認識していますから」

「え?」

「私達には、その記憶が本物であるか、嘘であるかを見分ける事が出来るんです。私に嘘は通じませんし、スピカ.....あなただって、決して嘘は言わないでしょう?」

 クラウディアは誇らしげに言いました。

「クラウディア......」

 スピカはクラウディアが信じてくれた事に心から安堵を感じましたが、直ぐに”ある事”に気が付き、ジトッと見つめて言いました。

「....という事は、今までの話は最初から分かっていたという事ですか?」

「ええ.....ごめんなさいスピカ。でも、ちゃんと貴方の言葉で聞きたかったんです。こうしてお喋りした方が楽しいでしょう?」

 クラウディアはクスクスと笑いました。

「もう....あなたという人は」

 スピカは呆れてため息をつきました。


 クラウディアはカップをテーブルに戻すと、再び紅茶を注ぎ、ミルクと砂糖を混ぜながら言いました。

「エルリア・ゲートは、第4階層の住人......高みの存在が作った亜空間の扉。」

「高みの存在....?」

「そう.....あらゆる物理概念、時間と空間を超越した究極の意思体。エルリア・ゲートは私達が普段使う転移ゲートとは異なり、その人の意思.....願い、憧れによって道が開かれます。遥か遠い未来、失われた過去、時系列から分離したパラレルワールド、空想の世界や、人の持つ心の中の世界......どこにでも導いてくれる夢のゲート。 エルリア・ゲートはALTIMAに存在し、本来それは人が見る事も触れる事も出来ないものでしたが.......」

「リコレクター....ですか?」

 クラウディアはうなづきました。

「そう。私達は彼らと接触した事で、隠されていたエルリア・ゲートの存在を知ったんです。」

 クラウディアはカップを手に取ると、再びミルクティーをすすりました。

「エルリア・ゲートを探すには、リコレクターの力が不可欠になります。スピカ。私もあなたの旅にお供します。」

「クラウディア......本当にいいのですか? 私にはクラウディアにお礼を......差し上げられる物が何もありません.....」

「いいえ、1つだけありますよ。」

「そ.....それはどのような?」

 スピカは不安になりました。 クラウディアはスッと立ち上がるとスピカの隣に座り、恥ずかしそうに頬を赤らめて言いました。

「こ......今晩、一緒に寝―」

 クラウディアが言い終わる前に、スピカは怒ってクラウディアのほっぺをつねりました。

「いたい、いたいれふ」

「真面目に話している時に、あなたという人は!」

「まじめれふよぉ.....」

 その後、二人の痴話喧嘩は一日中続きました。



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