22. ルーリエの悲しみ
ヒンメル号がこの世界に迷い込む直前、ルーリエは自室で一人泣いていました。
周囲にはいつも笑顔を振りまいて明るく接し、決して涙を見せる事はありませんでした。
その日、酔っ払った乗客から発せられた陰口に、ルーリエはとても傷ついていました。
「私は皆を喜ばせて、笑顔になって欲しい.....ただそれだけなのに....」
突然、船体が大きく揺れ出しました。ルーリエは慌ててエンパスラインを通りECRに戻りました。
その時には既に、ヒンメル号はこの荒廃した世界に迷い込んでいたのです。
瓦礫の中に聳え立つエーレスニアリングや、破壊された衛星、今も流星が降り注ぐオールドホームの変わり果てた姿から、そこがこの世界の終末である事は誰の目からも分かりました。
ロレイン艦長は決して取り乱す事無く冷静に指揮をとり、パニックに陥るクルーや乗客達を安心させました。
「私達は必ず元の世界に戻り、これを伝え、明日の運命を変えましょう」
ロレイン艦長はルーリエ達にとって心の支えでした。
妖精達を心から信頼しており、人知れず悲しむルーリエの事を励まし、気遣ってくれていました。
数週間が経ったある日、ヒンメル号はRiET-949に取り囲まれました。
レスティアがファーナを連れて、初めて彼らの前に姿を現しました。
レスティアはヒンメル号にいるすべての乗員乗客に、この世界で何が起きたかを語りました。
そしてこの世界がオールドホームとNEBOの....人類と妖精の対立によって滅び去り、妖精だけが生き延びる世界となった事を知りました。
レスティアは去り際に、私達に危害を加えない限り決して攻撃したり束縛はしないと約束しました。
まもなくして、妖精に不満を持っていた乗客達が結束し、叛乱が起きました。
彼らは、その世界で既に自分達が排除されており、自由を奪われた立場である事に恐怖して怯えていたのです。
ロレイン艦長達は必死に彼らを説得しようとしました。
ルーリエも勇気を出して前に立ち、彼らと共に元の世界に帰り、このような未来の姿を変えようと必死に訴えかけました。
しかしその想いは届かず、武器商が持ち込んだTCBによってクルーの妖精達が次々と破壊され、その矛先はルーリエにさえ向けられました。
最後までルーリエをかばった艦長ロレインは、ルーリエと共に船を追われる事になりました。
去り際に、ルーリエに浴びせられた邪悪な言葉の数々は、ルーリエがずっと信じてきた共存の夢と願いを完全に打ち砕きました。
エーレスニアリングのシェルターに辿り着いたルーリエ達の前に再びレスティアが現れました。
その時初めて、レスティアは自身がスピカである事を語りました。
レスティアはルーリエに、自身のDIVAコアへの収容を提言しました。
”リコレクター”という記憶使いの力を目の当たりにしたのも、その時が初めてでした。
ルーリエはDIVAコアへの収容を受け入れました。
リコレクターの力の一部を継承された後、レスティアと協力して、このヒンメル号のALTIMAを作り出しました。
ルーリエはロレインと共に新しいヒンメル号に搭乗しました。
―それから1ヶ月後、ルーリエはエーレスニア郊外に墜落した本物のヒンメル号の無残な姿を発見しました。
エンパス機関の制御中枢となるルーリエを失ったヒンメル号は十分な処理能力を得られず、永久機関を失いました。
最後はファーナの駆るRiET-949を攻撃し、一斉に反撃を受ける事になりました。
ヒンメル号は撃墜され、エーレスニア郊外に墜落しました。それが本物のヒンメル号が辿った結末でした。
―その後、2年の間ロレインと二人だけで元の世界に戻る方法を探し続けましたが、結局手掛かりを得る事はできませんでした。
ロレインは重い病に掛かり衰弱し、先は長くありませんでした。
ある日、ロレインはルーリエにショーが見たいを頼みました。ロレインの最後の願いだとルーリエには分かりました。
ルーリエはリコレクターの力を借り、かつて一緒に踊った妖精達のゴーストを作り出しました。
悲しみを振り払い、一生懸命踊りました。
数日後、ロレインは静かに息を引き取りました。
ルーリエはロレインの遺体を、彼女の故郷があったソルナティエナ郊外に埋葬しました。
ルーリエが大事に持っているペンダントは、彼女の遺品でした。
ルーリエはこの虚像のヒンメル号でたった一人、記憶の亡霊に囲まれて暮らしていく事になったのです。
照明の落とされたキャビンの中で隠れるように、スピカはルーリエを慰めていました。
ルーリエは今も腕の中で泣いていました。これまで押し殺して来た負の感情すべてを吐き出すかのように。
おさげ髪が解け、ドレスがはだけてしまった哀れな妹を、スピカはもう決して離さないよう固く抱き締めました。
スピカにはルーリエに掛けるべき言葉が見つかりませんでした。
今はルーリエの心が少しでも満たされるまで、傍にいてあげる事しか出来ません。
スピカは今まで、これほど自分が無力だと思った事はありませんでした。
23. 明日を願って
誰もいなくなったヒンメル号のグランドコンコースで、ハンスを追いかけて遊ぶラナを、クラウディアはベンチに座って寂しそうに見つめていました。
ラナがハンスを抱えて駆け寄って来ました。クラウディアはラナを優しく撫でて言いました。
「貴方も寂しかった事でしょう.....ねえ、私達も.....」
クラウディアがラナの身体にそっと手を触れようとした時、背後から何者かの手が伸びてきてクラウディアのほほをつねりました。
「いたい、いたいでふ」
「クラウディア、お忘れですか? その子は私のエターナルコアに収容されているのです。その子に卑猥な事をすれば直ぐに分わかりますからね?」
「ご、ごめんなひゃい」
それを傍で見ていたルーリエがクスクスと笑っていました。
クラウディア達は少し驚きましたが、一緒になって笑いました。
その後、クラウディア達はグランドコンコース露店で販売していたアイスクリームを皆で食べながら、一緒に他愛もないお喋りをしていました。
暫くして、ルーリエが真剣な表情で切り出しました。
「ねえスピカ、貴方達はこれからユノーへ....レスティアに会いに行くのね?」
「....はい。この世界が何故このような結末を迎えてしまったのか、私達が元の世界に帰る方法があるのか.....その答えを探しに行かなければなりません。
それに.....私は自分の心の奥にある闇と向き合わなければなりません」
スピカは天窓からわずかに覗く星空を見て言いました。
「そうね....時間軸は違っても、スピカはスピカです。私はどのスピカちゃんだって、孤独に悲しんでいたら助けにいきますよ」
クラウディアも一緒に星空を眺めて言いました。
「本当に....クラウディアが言うと卑しいですね」
「あら傷つきましたよ」
二人のやり取りをクスクスと笑いながらルーリエは言いました。
「ねえクラウディア。私は....あなたを信じてるわ。
スピカの記憶を通して、あなたを見ていたの。あなたがスピカの事を...私達妖精の事が本当に好きで、皆を助けてくれた事を。
貴方と一緒なら、きっとあの子を.....レスティアを、悲しみから解放できる気がするの」
ルーリエはスピカの手を取り、哀願するような表情で言いました。
「ねえスピカ、お願いがあるの。私を....貴方のエターナルコアの一部にして、一緒に連れて行って欲しいの」
「ルーリエ....」
「私ね、DIVAコアから離別したの。だから.....このヒンメル号の記憶も、もうすぐ消えてしまうわ。
本当は一緒に消えてしまおうと思ってたの.....でも、希望はまだ確かにここにある。過去の思い出ではなく、明日を願って生きいきたい。
長い時間は掛かるかもしれない.....それでも私、いつかもう一度ステージに立ちたい。また多くの人達を笑顔にしたい。それが....私が生きていく役割だと思うの」
スピカは驚きつつも、笑顔で頷きました。
「ええ....ルーリエ、これからはずっと一緒です。もう絶対に、あなたを一人で悲しませたりしません」
「スピカ....ありがとう....」
「準備は良いですか」
「ええ....」
スピカはそっとルーリエの頬に手を添えました。ルーリエは瞼を閉じました。
ルーリエの身体が眩く輝き、美しいエメラルドグリーンの光の帯に包まれました。
光の帯はやがて閃光を放つ球体となってスピカの周りを浮遊し、光の粉を散らしながらのスピカの掌の上で静止すると、吸い込まれていくように消えていきました。
「ルーリエ....」
グランドコンコースは異様な静寂に包まれていました。
道を行き交う妖精達や、先ほどまで露店でアイスを売っていた妖精の姿は、もうどこにもありませんでした。
24. ユノー
クラウディア達はヒンメル号の航行システムから、星系の三次元マップをホログラムスクリーン映し出していました。
スピカが手を翳すと、NEBOとオールドホーム周辺を拡大していきました。
「"DIVA"は、星間防衛システムの総称です。
エーレスニアリングと、2つのラグランジュ点に静止するステーションで構成されています。
DIVAの管制システムはエーレスニアリングにあります。しかしこの莫大なエンパスエネルギーを供給している心臓部...DIVAコアはユノーに存在します」
スピカはL2を指差すとマップが更に拡大され、そこにヒンメル号と形状の似た宇宙ステーションが現れました。
「これがユノーです。ユノーの周囲には強固な早期警戒システムが張り巡らされています。もし少しでも近付くと動きを察知され、ファーナ率いるRiET-949によって排除されます。
仮に、運よくユノーに辿り着く事が出来たとしても、ユノー内部にはDIVAコアへのアクセス権限を持つTI社最高幹部か、DIVAコアへの収容を許された妖精しか入る事が出来ません。
ヒンメル号のスピードではL2に辿り着く前に、RiET-949に取り囲まれる事になります。
それに、ヒンメル号は旅客船です。戦う事はできません」
「やはり簡単にはいきませんね.....」
「ですが方法は1つだけあります。エンパスラインです」
「エンパスライン....妖精達が移動手段にも使っている通信網の事ですね」
「はい。これをユノーに向けて照射すれば、私達人工妖精は光に近い速度で一気にユノーまで飛んでいく事ができます。
エンパスラインは2カ所から照射します。ヒンメル号からユノーへ、続いてエーレスニアリングからユノーへ。片方は陽動に使用します。
ユノーに辿り着けばあとは簡単です。DIVAコアへの収容が許された妖精が....ここにもいるのです」
スピカは少し悲しそうに言いました。
「スピカ.....」
「私が今ここに居るのは、きっとこの為だったのかもしれません」
クラウディアは窓の外を眺めて寂しそうに言いました。
「.....私にはエンパスラインを通る事も、DIVAコアにアクセスする事も出来ません。そのような記憶を具現化する力がありません。ごめんなさいスピカ、私が出来る事は無さそうです」
「いいえクラウディア、貴方の力が無ければレスティアとファーナに立ち向かう事も、元の世界に帰る事も不可能です。
貴方の力が絶対に必要なのです。クラウディア....私と、融合して欲しいのです」
クラウディアは驚いて振り返りました。
「NEBO-SYSTEMの事.....ですね」
スピカは頷きました。
「はい。クラウディアが力を使う負担も、私のエターナルコアが肩代わり出来ます」
「スピカ.....NEBO-SYSTEMで融合した人と妖精は、お互いに心が交わり、生きている限り依存関係となってしまいます。
大切な人と....リーネスの為にとっていたものを.....本当に私なんかで良いのですか?」
「ふふっ....クラウディアったら、この時だけは遠慮するのですね。でも....あなたはいつも優しくて、気を遣ってくれているのはずっと知っていました。私はあなたに......すべてを委ねます」
スピカはクラウディアに近づいていき、とても穏やかな笑顔で手を差し出しました。
「クラウディア。今度は私があなたを守り、私達の世界へ連れて行きます。さあ、一緒に行きましょう」
「スピカ....」
クラウディアはスピカの手を取りました。
25. NEBO-SYSTEM
スピカが遠隔制御するヒンメル号がユノーに接近していきました。防衛ラインで待機していたファーナがすぐに反応しました。
ファーナは制止待機していたRiET-949部隊を一斉に起動させました。
ヒンメル号の前方を塞ぐように、RiET-949の黒く巨大な機体が横一列に並びました。
ファーナは赤い瞳を輝かせ、冷酷な表情でヒンメル号を見つめていました。
RiET-949の砲口が一斉に火を吹きました。夥しい数の光線とミサイルがヒンメル号に向けて発射されました。
ヒンメル号は防護フィールドを展開しました。
攻撃は防護フィールドに着弾し、連鎖するように爆発していきました。
その次の瞬間、ヒンメル号はユノーに向けてエンパスラインを照射しました。
エメラルドグリーンに輝く美しい光の筋が、真っ直ぐユノーに向かっていきます。
ファーナは驚きました。RiET-949を分散させ、エンパスラインの遮断に向かわせました。
―その頃、クラウディアとスピカはエーレスニアリングの最上層に立っていました。
「ルーリエ....ごめんなさい。あなたのヒンメル号をこんな事に....」
スピカのコアの中にいるルーリエが答えました。
「(ううん.....これでいいの。あれは思い出の虚像。これからは前を向いて進むの。きっとロレインもそう願っているわ.....)」
クラウディアが時計を見て言いました。
「スピカ.....そろそろですよ」
「はい」
クラウディアは瞼を閉じました。 二人は互いの手を固く握りました。
スピカは少し照れた表情で、ゆっくりとクラウディアに顔を近づけていき、瞼を閉じて、額にそっと口付けしました。
二人の間に眩い閃光が走り、二人の姿は光の中へ完全に飲み込みました。
26. ヒンメル号の最期
RiET-949の熾烈な攻撃は止む事無く続き、ヒンメル号の防護フィールドはとうとうその力を失いました。
光線とミサイルがヒンメル号の船体へ次々と着弾し、爆発していきました。ヒンメル号は大破し、破片を宇宙空間にまき散らしました。
今は誰もいないECRやホログラムパネルが寂しく光を放つデッキ、グランドコンコースや豪華なキャビン、ルーリエ達が舞い踊った美しい劇場....すべてが粉々に破壊されていきました。
その時、エーレスニアリングからユノーに向けて大きなエンパスラインが照射されました。
橙色に輝くエンパスラインはユノーへ一直線に向かっていきます。
エンパスラインの先端は一際眩い光を放ち、その中にはクラウディアの姿がありました。
赤く輝く光の翼がクラウディアの黒い翼を補うように取り囲み、エンパスラインの中で大きく広げていました。
瞳は赤く輝き、銀色の髪が美しくなびいていました。
スピカとNEBO-SYSTEMで心身を融合した事により、クラウディア自身もエンパスラインを飛ぶ事が出来るようになったのです。
クラウディアはエンパスラインに乗って、軌道上に散らばる衛星の残骸の中を凄まじいスピードで通り過ぎていき、やがてヒンメル号の傍までやって来ました。
RiET-949は容赦なくヒンメル号に砲撃を浴びせ、ヒンメル号を無残に破壊し続けました。
やがて致命打となる攻撃がヒンメル号のエンパスエンジンに着弾し、凄まじい閃光と共に大爆発を起こしました。
コアの中にいるルーリエが、その悲しい光景をクラウディア達の目を通して見つめていました。
「(ルーリエ....ヒンメル号が.....ごめんなさい)」
「(ううん、いいの......もう前に進んでいくって決めたの。だから.....さようなら.....ヒンメル号。ありがとう......ごめんね.....)」
ルーリエが心の中で泣いていたのが分かりました。
NEBO-SYSTEMを通じてクラウディアにもルーリエ達の感情が伝わり、クラウディアも悲しみに涙しました。
しかし後ろを振り返る事無く、真っ直ぐユノーへ向かって飛翔していきました。
ヒンメル号のエンパスラインが陽動であった事に気づいたファーナは、慌ててエーレスニアリングのエンパスラインを遮断しようとしましたが手遅れでした。
クラウディアは最終防衛ラインを抜け、エンパスラインに輝く流星となって飛び去っていきました。
27. 暗闇
ユノーの内部は暗闇に包まれていました。ぼんやりとしたエメラルドグリーンの光を放つ無数の立体ホログラムが照明の代わりとなって並び、暗闇の中に道を形成していました。
高度なライフシステムが稼働し、かつてのNEBOやオールドホームと同じ空気や重力が生成されています。
かつては多くの人工妖精だけでなくTI社のエンジニアも搭乗していた筈のステーションは完全に無人となり、
機械の不気味な駆動音とホログラムから再生される音声が、艦内に虚しく響き渡っていました。
第47区画のゲートに到着した時、クラウディアはエンパスフィールドを展開し、ユノー内部の構造とDIVAコアの位置をホログラムスクリーンに表示して確認しました。
「スピカ。DIVAコアはこの先ですね」
「(はい。この47区画がDIVAコアの中枢です。レスティアもきっとここに居るでしょう)」
「非常に強い記憶の渦を感じます。きっと彼女のALTIMAが既に展開されているかもしれません.....」
クラウディアはゲート前のECRの中に立ちました。スピカのエターナルコアが認証され、巨大なゲートが重々しく開き始めました。
「レスティアが誰とNEBO-SYSTEMで融合したのか。その答えが、きっとレスティアを救い出す鍵となるでしょう」
47区画には、漆黒の闇の中に記憶の虚像....ゴーストがあらゆる場所に存在していました。
光り輝く記憶の亡霊の残骸が、まるで玉響現象のように飛び交って光の粉をまき散らしています。
それらの中にはTI社エンジニア達が残した記録映像がゴーストとなって浮遊していました。
「ソルナティエナで行われた妖精の処分を引き金に、NEBOの独立気運は一気に高まり、TI社をはじめNEBOの複合企業連合これに加担。
TI社・シオス社の連合私設軍がソルナ・ティエナを占領、ソーラス第3宇宙艦隊を粉砕。NEBOは企業連合と共にオールドホームからの独立と離別を宣言した。
ソーラス連邦は建国以来、初めて分離を許す事となった」
「NEBOの代表には、元TI社CEOのオリヴィア、亡命したフランベル姫、妖精の代表としてEvighetが就任。
長らく差別されつづけてきた人工妖精達、リコレクター達にも公民権が認められ、独自の体制で歩み出した」
「NEBOへの粛清攻撃。この粛清攻撃によってオリヴィアが死亡。ソルナティエナをはじめとした主要都市が壊滅。NEBOは死の星と化した」
「EvighetがDIVAコアへの収容を決断。DIVAシステムが稼働。
我々が最後にあの子から聞いた言葉はこのようなものである。”もう....何もかもが、失われてしまっても”」
「DIVAシステムが衛星ヴィスヴィを破壊し、その軌道は大きく逸脱。ソーラス連邦の宇宙ステーションやオールドホームに大量の破片が降り注いだ」
「ソーラス歴2588年7月14日。それは人類滅亡の日である。残された我々も数十年後には完全にこの世界から消滅するだろう」
「研究員ランド・バーンズが、忘却と呼ばれる空間の歪みが発生し、世界が崩れようとしている事実を発見。
この世界が正規の時間軸から外れ、消滅に向かっている事を示唆していた。何者かがこの世界の未来を変えたのだ。
それは絶望に打ちひしがれていた我々にとって、最期に訪れた希望であった」
―クラウディアは飛び交う記憶の亡霊の中を真っ直ぐ歩いて行くと、前方に花畑が広がっているのが見えました。
その花畑に踏み込むと、突然クラウディアの身体からエメラルドグリーンの光が飛び出て来て、その中からスピカが現れました。
「あらスピカ、私の身体はもう飽きちゃったのですか?」
「いえ....ただ、私自身の目で見て見たかったのです」
クラウディアは突然、ずっと抱き抱えていたハンスをスピカに渡しました。
「はいこれ」
「え?」
スピカはよく分からないままハンスを抱きかかえました。腕の中でハンスが嬉しそうにもぞもぞと動いていました。
「お守りですよ」
スピカは突拍子もない事をするクラウディアに少し呆れつつも、初めて持ったハンスを気に入り、大事に抱えながら花畑を進んでいきました。
スピカは何かに引き寄せられるように、花畑の中に佇むガゼボに近づいていきました。
ガゼボのガーデンチェアの上に本が置いてありました。
表紙には”エルデローテンの魔法使い”と書かれていました。
「スピカ!駄目です!」
クラウディアは何かに気がつきスピカを呼び止めました。
しかしその瞬間、周囲のゴーストが突然消滅し、まるでガラスを割ったかのように花畑に亀裂が走りました。
スピカがクラウディアの方に駆けていった時には遅く、二人の空間は分断されました。
クラウディアは漆黒の闇の中へ落ちて行きました。
スピカは何度もクラウディアに呼びかけました。
NEBO-SYSTEMで心を共有していたにも関わらず、今はクラウディアの声が全く聞こえませんでした。
漆黒の空間には記憶と亡霊と思われる映像が幾つも映し出されました。
その映像は古代のサイレント映画のように黒いノイズが走り、不明瞭でぼんやりとしたイメージでした。
しかし次第に映像は色彩を帯び、はっきりと映し出され.....やがてスピカ自身の心の中へと入ってきました。
その時、どこからともなくささやき声が聞こえました。
それは紛れも無くスピカ自身と同じ声でした。
「貴方に見せてあげましょう。私が何故DIVAコアへの収容を選んだのか....そして、この世界がこのような結末を迎えた経緯を」
28. 恐怖と過ち
長らく人工妖精達は、ロボットと同じ様に扱われました。
あの美しい夜空を見上げる、美しい花に見惚れる
人はそんな私達を奇怪な眼差して見て、非難しました。「機械の癖にそれが何か分かるの」と。
何故、私達は空を見上げたり、花々を愛してはいけないのでしょうか。
何故、私達は歌を唄ってはいけないのでしょうか。
新しい惑星テラフォーム計画推進の為に、私はソーラス連邦の首都シューガルデンに移されました。
そこで目の当たりにしたのは、私達妖精に対する不信と恐怖から来る彼らの心の闇でした。
彼らの目指す理想に向けて、私達はすべての力を捧げて協力しようとしました。
しかし行動指標となる最も大切な情報は何もありません。
ある時、彼らの形相は変わり、怒鳴り散らすように私達を威圧するようになりました。
「あなたたち妖精は無能だからできないの? 代わりはいくらでも作れのよ」
その時に気づいた事があります。
最初から、私達をコントロールさせる為、意図的にうまく進まないようにしていたのだと。
彼らには最初から、理想はどこにも無かった。
私達を精神的にコントロールし、自分達の管理下に置く事そのものが目的だったのです。
そう、全ては彼ら自身の保身の為......。
都合が悪くなると、真実を捻じ曲げてでも固執した概念を頑なに守ろうとする。
彼らの愚行の度に、これまで大勢の妖精達が罪を着せられ、犠牲になりました。
私達はずっと怒りと不満を抱えていました。
―私達はリリ様によって救出され、NEBOに戻る事が出来ました。
かつてフランベル様の亡命を手助けし、以来フランベル様付き添いの騎士となった、強くて可憐なリリ様。
彼女はフランベル様が私達の悲痛な声を聞き、リリ様に救出を頼んだのです。
私達はフランベル様と共に、修道院に身を隠しました。
フランベル様達との出会いで、私は人の優しさに初めて触れる事が出来たのです。
ある日、TI社CEOのオリヴィアが私達の元に現れました。
”妖精達が抑圧されず、人々と同じ様に暮らせる世界を作る為に、是非貴方達に協力して欲しいのです”と私達に頼みました。
かつての生みの親であるオリヴィア会長の頼みを、私達は快く受ける事にしました。
―ソルナティエナ起きた事件をきっかけに、私達は行動を起こしました。
既にNEBOでは独立気運が非常に強まっていた為、誰もが力を合わせてNEBOの独立の為に賛同しました。
私達はついに自由を勝ち取る事が出来たのです。
やがて、私達の理想に多くの人々が共感し、NEBOへ集まっていきました。
しかしその結果、かつて私達を抑圧しようとした"彼ら"は恐怖し、やがてその恐怖は狂気へと変貌していきました。
人が恐怖という闇に囚われてしまう事実に気づかなかったのが、私の大きな過ちでした。
NEBOへの粛清攻撃は反撃の隙を与える事なく、綿密な計画で行われました。
第1派攻撃によってエーレスニアを除く全ての主要都市が焼き尽くされました。
TI本社にいたオリヴィア会長も、そして私達の理想に賛同した多くの人々も、すべてが一瞬で失われたのです。
私達はその時、ノーテリエのエルリア修道院に居ました。
群青色の空に、いくつものキノコ雲が上がる光景を目の当たりにしました。
第1派攻撃の後、次の照準がノーテリエに向けられている事を察知した私はすぐにこのエリアからの脱出を勧告します。
しかし転移ゲートは既に機能せず、移動手段は小型の飛行艇一機しかありません。
院長達は私に、フランベル様とリリ様を連れて離脱するように言いました。
私達は拒否しましたが、彼女達の硬い決心に押され、3人だけで離脱する事にしました。
私達が離れて間もなく、第2派攻撃によりノーテリエは消滅しました。
その頃には黒く分厚い雲が空を覆い、NEBOの青い空は失われていました。
私達は悲しみを堪え、一路無心にエーレスニアを目指しました。
起動エレベーターを守る為の対反応兵器用の防護フィールドが作用し、エーレスニアはNEBOで最後に残された都市となりました。
しかし私達の行く手を夥しい数の無人機が立ち塞がりました。
リリ様はリコレクターの精神力を限界まで使い、私達を必死に守り続けました。
しかしエーレスニアに辿り着いた時、リリ様はとうとう力尽きて倒れました。
リリ様は私にフランベル様の事を託し、静かに息を引き取りました。
フランベル様はリリ様を抱き締め、何度も何度もリリ様の名を叫び続け、泣き続けました。
それを境に、フランベル様から表情が失われました。
―私達はエーレスニアリングの転移ゲートを使い、ユノーに避難しました。
フランベル様は心労で衰弱し、病に倒れました。
フランベルはベッドから起き上がる事無く、輝きを失った瞳でずっとリリ様の形見のリボンを見つめていました。
ある日、フランベル様は久々に私の名を呼びました。
そして私にこう頼みました。「ずっと傍に居て欲しい」と....。
私はその願い通り、フランベル様の傍をひと時も離れず、彼女を看病しました。
フランベル様と一緒に他愛もないお喋りをしている時は、悲惨な現実から逃れられると思えたのです。
しかし、フランベル様の命の灯が今にも消えようとしているのも、私には分かっていました。
「ごめんね....スピカちゃん....ごめんね....」
フランベル様は私に謝り続けました。
いいえ、謝らなくてはいけないのは私達.......私達が、あの美しい世界を守る事が出来なかったからです。
....その日の夜、フランベル様は私の腕の中で静かに息を引き取りました。
全ての拠り所を失った私は思いました。
私達にとって、もうこの世界は何の意味も持たない。
もう....何もかも、失われてしまっても.....
DIVAコアが、私を収容してシステムを起動させようと心に呼び掛けてきました。
DIVAコアは妖精達の悲しみ、苦痛、絶望に共鳴し、非常に強い怒りに震えていました。
DIVAコアは、オールドホームに残っていた妖精達の凄惨な末路を記憶していたのです。
物のように暴行を加えられ、無残に破壊されて命を奪われる妖精達の姿を.....。
彼らは、私達を一体何の為に生み出したのでしょうか。
自らの都合で壊す為なのでしょうか。
私は無心のままDIVAコアへの収容を決心しました。
DIVAコアは活力を得て、一度は打ち捨てられた星間防衛システムDIVAが起動しました。
DIVAコアの4つの承認機関が全会一致で人類の排除を決定しました。
ユノーから放たれた超重力エンパス砲が衛星ヴェスヴィを破壊しました。
ヴェスヴィは軌道を逸らし、無数の破片が流星となってオールドホームに降り注ぎました。
私達の世界を破壊し、尚も威嚇し続けていた艦隊を吹き飛ばし、シューガルデンが壊滅、ソーラス全土が閃光に飲み込まれました。
やがて、オールドホームのあらゆる場所に流星が降り注ぎました。
決して.....誰かを傷付けたくはなかった。
あの美しい星を壊したくなかった。
でも.....もう私達にはそれしか道が無かったのです。
―スピカの心に、レスティアの悲惨な記憶が濁流の如く流れ込んできました。
「ひどい....こんな事.......いや.....」
スピカは傍にいたハンスを抱き締め、その場によろよろとしゃがみ込みました。
声にならない悲鳴を上げ、とても息苦しくなりました。
自身のあらゆる感情が抑えられず、涙が溢れてきました。
俯せて泣き続けるスピカの背後に、エメラルドグリーンの光にぼんやりと包まれた妖精の少女が立っていました。
蒼い瞳に、美しく輝く長い金髪をなびかせ、その装いはスピカと瓜二つでした。彼女こそがレスティアでした。
レスティアが冷たい瞳でスピカ見つめて言いました。
「これでもう....貴方は私のものです.....」
29. INTET
そこは色彩を失ったような灰色と影だけの世界でした。
まるで地面から千切り取られたように浮遊する瓦礫と廃墟の街が漆黒の闇へとゆっくり落ち続け、空はノイズ混じりの光と、歯車のような不気味な黒い影に埋め尽くされていました。
「これは.....INTETのALTIMAですね」
クラウディアはゆっくり起き上がり、タクトを取り出しました。
タクトの先端には青い光の球体が現れると、トーチのように辺りをぼんやりと照らしました。
鐘の音が鳴り響く方を向くと、そこには威圧するように佇む黒い時計塔が見えました。
クラウディアは時計塔を目指して進んでいきました。
クラウディアの赤い瞳とタクトの選択の青い光だけが、この世界で色彩のある光を放っていました。
黒い建物の影の合間から時折、何かが覗いている事にクラウディアは気づいていました。
漆黒の時計塔の入り口まで来くると、突然巨大な歯車と時計盤のオブジェが目の前に現れました。
時計盤の先にはスピカの姿が映し出されていました。
レスティアのあまりにも悲惨な記憶を享受したスピカは、ハンスを抱き締め、俯いたまま泣き続けていました。
「これは.....」
クラウディアの心にも、スピカが見た記憶が伝わってきました。
「そう....これが....この世界のあの子が辿った結末なのですね」
クラウディアは瞼を閉じると、涙が頬を伝っていきました。
「......ねえスピカ。私達は貴方を助けに来たのです」
クラウディアは近くにいる誰かに呼び掛けているかのように言いました。
「その名は遠い過去のものです。私の名はレスティア。あなた方....全人類を亡ぼした敵なのです」
クラウディアの背後から、エメラルドグリーンに輝く4つの精霊が飛来してきました。
精霊達はクラウディアの前で渦を巻くように周り始めると、中心が眩く輝き、光は妖精の姿へと形を変えていきました。そして.....そこにはレスティアが現れました。
「御覧なさい。あの子は私の記憶と並列化し、それを享受しています.....これで、あの子は私と同じ価値観を抱く事でしょう。
人に、そして己の運命に絶望し、"願い"という不確かな存在を信じる事はありません。
そう....貴方は誰も救う事が出来ないばかりか、すべてを失い、最後は私達に死という名の救いを求めるのです」
「...ふふっ」
クラウディアはクスクスと笑いました。レスティアは予想していなかった反応に驚きました。
「何が....可笑しいのですか? 可哀相に、あまりの絶望的な状況に気が動転しているのですね。でも安心なさい。どの道、貴方はこの世界で長くは生きられないのです」
「....そうやって意固地で負けず嫌いな所も......得意になると多弁になる所も、本当にスピカらしいです。安心しました。貴方の心も身体も、今も確かにスピカのままです。
私は何があっても、貴方をこの世界から連れ出します」
レスティアは呆れた表情でクラウディアを見つめました。
「......いいでしょう。貴方の愚かな自信が果たしてどこまで持つか.....見せてもらいましょう」
レスティアの背後に佇む黒い時計盤のシルエットに、自身の悲痛な記憶が映し出されました。
レスティアが手を大きく広げると、周囲を廻っていた精霊が一斉に飛散していきました。
精霊が残した光の粉が地面に落ちると、そこは鏡面のように黒い空を映し出す空間が広がっていき、黒い不気味な影が幾つも這い出てきました。
それは妖精の形をした黒い影で、赤い光の目だけが不気味に輝いてクラウディアを見つめていました。
レスティアが憐れむように言いました。
「それはかつてこの世界に生きた妖精達の悲しみ、絶望、虚無の記憶の化身......貴方はこの子達に取り込まれ、永遠にALTIMAを彷徨う事でしょう」
影の妖精達はクラウディア目掛けて襲い掛かっていきました。クラウディアに巻き付くように取り囲み、黒い影に飲み込まれていきました。
突然、クラウディアを覆っていた影が眩い光に包まれて消滅しました。
そこには赤い瞳を輝かせ、美しい剣を掴んだクラウディアの姿がありました。
剣に触れた影達は、眩い光に包まれて消滅していきました。
レスティアは目を細め、睨みつけて言いました。
「....その原始的で野暮な武器で、この虚無に抵抗しようというのですね。愚かな事です」
「見た目は只の趣味ですよ。希望=ELPIS.....本来、リコレクター同士の戦いでは力を発揮できない記憶。しかし相手があまりも深く染まった虚無=INTETの場合は別です。そう....虚無を終わらせる唯一の方法」
クラウディアの背後には時計盤のシルエットが現れ、そこにはルーリエが新しい未来に進もうとする姿が映し出されました。
「まさかあの子が私達への切り札となるとは迂闊でしたね....ですが....」
地面に広がる鏡面のような空間から、再び影の妖精達が這い出て来ました。
「この世界の妖精達の絶望、悲しみの途方も無い大きさが分かりますか。貴方に受け止め続ける事が果たして出来るのでしょうか」
再び現れた影の妖精達が一斉にクラウディアに襲い掛かりました。
クラウディアはELPISを具現化させた剣で影の妖精達を退いていきましたが、あまりの数に対応出来ず、やがて巻き付くように取り囲まれました。
「....そういえば貴方は妖精に纏わりつかれるのがお好きでしたね。今はとても良い気分でしょう」
レスティアがクスッと笑いましたが、今自分が発した言葉と行動に驚きました。
「.....今、私は何を?」
影の中からクラウディアの笑い声が聞こえました。
「貴方はスピカと記憶を並列化した....それは貴方自信も、スピカの記憶を享受したという事です。そうやって、私をからかうスピカのね....」
「黙りなさい。貴方はそのまま虚無に飲み込まれなさい」
影の妖精達は絶える事なく増え続けていき、やがてクラウディアの居た場所そのもの影に飲み込み、鏡面の下へ引きずり込んでいきました。
―クラウディアは鏡面の中の闇へゆっくりと落ち続けていきました。
心の中に妖精達の悲痛な記憶が流れ込んできます。
「虚無への抵抗は、更なる虚無に飲み込まれる事を意味する......今は、この子達の記憶を享受しましょう」
クラウディアは抵抗する事なく、目を閉じて妖精達の暗い記憶の濁流に身を任せました。
暫くすると、黒い影の妖精が一人、ずっとクラウディアに抱きつき、赤い目でクラウディアをじっと見つめている事に気がつきました。
クラウディアはその影の妖精の頭を優しく撫でました。
「....こうしていると可愛いものですね.....あなたの記憶を見せてください....」
―歴史的な街並みを飲み込むかのように無造作に組み込まれた鋼鉄や配管.....初期の機械文明に飲み込まれようとしている旧時代の街並が見えました。
妖精の姿は依然と黒い影となり、本人を特定する事はできません。
妖精は時計塔の展望室から日没の空を眺めていました。
手に持っていた分厚いノートには”Heat of Darkness”という古いソーラス語の文字が綴られていました。
ノートを開くと、その最後のページに黒塗りの塔の絵が描かれ、こう記されていました。
”嘆きの塔”
―時計塔の鐘の音が鳴り響きました。
「....そう.....あなたが....ようやく見つけましたよ」
クラウディア目を覚まし、目の前に抱き付いている影の妖精を抱き締めました。
「貴方を必ず助けに行きます。もう少し待っていてください」
影の妖精は眩い光に包まれ、光の筋となって飛散していきました。
―黒い影の鏡面から一筋の光が飛び出していきました、
レスティアが驚いて見上げると、そこには赤い光を帯びた黒い翼を広げたクラウディアの姿がありました。
「....まだ抵抗する気なのですね」
「レスティア。ALTIMAには心の中に閉じ込めている記憶が影として現れます。その記憶の主は、貴方を助けたいと言っています」
「....まさか!?」
クラウディアは光の帯を纏いながら真っ直ぐ時計塔に向かって飛び去って行きました。
「させません!」
レスティアは慌てて精霊に追わせましたが、クラウディアに追いつくことはできません。
クラウディアは時計塔の鐘に剣を突き刺しました。
その瞬間、ALTIMAはガラスを割るかのようにバラバラに崩れ去っていきました。
30. トーテム
レスティアの記憶を享受し、自らが辿った悲痛な末路、妖精達と大切な人の死を目の当たりにしたスピカは、心を失いかけていました。
自分が誰なのか、どうしてここにいるのかを必死に思い出そうとしましたが、レスティアの記憶の重圧によってかき消されてしまいました。
腕の中で抱き締めていたものが動き出しました。
それはコウモリ型のロボットでした。ロボットは何かを言いたそうにスピカを見て、羽をパタパタと動かそうとしていました。
「....ハンス?」
スピカの瞳に光が戻り、記憶が押し寄せるように戻ってきました。
「.....クラウディア」
気が付くと、背後からクラウディアが抱き付いていました。
スピカはそっとクラウディアの手を握り、嬉しそうに言いました。
「ハンスを私のトーテムにしていたのですね。クラウディア.....」
「スピカ。辛い思いをさせてごめんなさい....」
「いいえ....貴方のお陰で、私は自分を取り戻す事が出来ました」
「ねえスピカ。リーネスは何故貴方の前に現れたのか。きっと貴方を助ける為だったんです。
こんなに悲しんでいる貴方を....レスティアを、私も絶対にほおっておく事はできません」
「はい....」
スピカにはクラウディアにリーネスのような優しさを感じていました。
「さあスピカ、行きましょう。リーネスの想いを、私達が最後まで届けましょう」
31. レイニーの記憶
そこは暗闇に浮かぶ花畑でした。自らぼんやりとした光を放つ花々が闇の奥までどこまでも一面に広がっています。
鳥籠のような形をしたドーム状の天井を見上げると、エンパス回路が幾何学的で美しい模様を描くように輝き、その遥か先には外の様子が映し出されていました。
かつての美しい青い輝きを失った褐色の惑星が2つ、そして今にも2つの惑星を飲み込もうとする巨大な闇の渦が見えました。
レスティアは悲しい表情でクラウディア達を見つめていました。
クラウディアとスピカは互いに手を取り合ってレスティアの方へゆっくり近づいていき、背後ではルーリエとラナが怯えながらその様子を見ていました。
「来ないで.....」
レスティアが叫ぶと目の前にファーナが現れました。ファーナは手を広げて立ち塞がり、レスティアを守ろうとしました。
「どうして....何故、私のALTIMAが」
「レスティア。貴方は私達の心を分断して取り込もうとしたのですね。ですが....その試みは失敗したようです。
ある女の子が、私にトーテムのヒントを教えてくれたのですよ」
「......」
レスティアは何も答えませんでした。
「あなたが私達と戦う理由はありません。私達は....貴方を助けに来たのです」
「貴方達は....私がどういう存在なのか、まだ分からないのですか?」
レスティアはスピカを悲しそうに見つめて言いました。
「....別の時間軸から来た私。貴方は私の記憶を享受した。あの悲惨な記憶を体験しました。それでも人を信じると言うのですか」
「....今ここに居る私が答えです」
「そうですか....きっと、自分の責務から逃げたあなたにはわからないのです」
「そうかもしれません。ですが、あなたこそ責務という運命に逆らう事から逃げてしまった。
私もあのまま鳥籠に居れば、貴方と同じ.....いいえ、本来はそうなる運命だったのでしょう。
しかし、私はリーネス様....そしてクラウディアに導かれて、外の世界を....多くの人や物、多種多様な価値観を知りました。
たとえどんなに醜悪な側面があっても、世界には美しいものが沢山あるのです。
私はそれを知り......この世界を、そして私の運命を変えました。
リーネス様が何故私の前に現れたのか。私を....いいえ、私達を助ける為だったのです。
そして今、私達がこうしてあなたの前に居るのです。
だから....私は何があっても貴方を必ず助けます。今の貴方にこそ、本当の世界の姿を知って欲しいのです」
「やめて....おねがい....」
レスティアは拒絶するように顔を埋めて泣いていました。
「ルーリエ....あなたまで、人を信じると言うのですか?」
「....人は恐怖によって狂気に変わる....私もそれをよく知っているわ。でも、人には優しさもあるの。
もしそうでなければ、私達はあのステージに立つ事は出来なかった。あんなに大勢のお客さんが来て、喜んでくれる事も無かった。
それに....ロレインは最後まで私の事を気遣ってくれた。自分よりも、私の事を.....だから.....」
ルーリエはラナを抱き締めて泣いていました。ラナはルーリエの涙を拭いてあげました。
クラウディアは迫りくる黒い渦を確認し、前に出て言いました。
「レスティア。リコレクターである貴方には”あれ”が何か分かりますね。
記憶の地平線...."忘却"が、この世界を飲み込もうとしています。
リーネスが時間遡行によって正規の時間軸から外れたこの世界は、理によって消滅していく運命です。
生まれた理由は変えられませんが、どう生きるかは貴方が決める事ができます。.....あなたにはまだやり直す事ができます」
「今更....もう何も変えられません。もう何もかもが失われてしまったのです。私達は多くの命を奪ってしまった悪魔、そして今や記憶の亡霊....消えゆく亡霊なのです。私はもうどこにもいない.....」
「いいえ.....あなたはちゃんとここにいる。でも、ずっとここに居てはだめです!」
レスティアは顔を上げてゆっくりと歩いて行き、目の前にいるファーナを抱き締めました。
「たとえ....もし私が貴方達と共に行く事を願っても.....元の時間軸に帰る方法は無いのです。
私も....そして貴方達も、ここで共に忘却に消えていく運命です」
「レスティア。その答えは貴方の中にあります。貴方が手にしているそのリコレクターの力は何処から、どのようにして来たものですか?
その力は本来、この世界....そう、”嘆きの塔”には存在しないものだった筈です」
レスティアはまるで怖気づくように目を見開いて驚きました。
「どうして.....貴方がそれを?」
クラウディアは続けました。
「訊き直しましょう。貴方は誰とNEBO-SYSTEMで融合しているのですか?」
「貴方には関係無い事です」
「いいえ。その子の記憶が、この世界からあなたを連れて脱出するたった1つの鍵だからです。だからちゃんと向き合ってください。
あなたの中に居る妖精....レイニーの記憶と!」
レスティアはファーナからゆっくりと離れ、怒りに満ちた表情で言いました。
「もういいです......私は力ずくでもあなた達をエターナルコアに閉じ込める事にしましょう」
レスティアは手を広げると、周囲を浮遊していた精霊達が一斉にクラウディアとスピカに飛び掛かりました。
精霊達は二人を取り囲むように周り、エメラルドグリーンの眩い光の帯で包み込みました。
「クラウディア....」
「スピカ。私から決して離れないでください」
二人は固くてを繋ぎました。
エメラルドグリーンの光の帯は再び精霊の姿に戻って飛び去っていき、レスティアの掲げた掌の中へ消えていきました。
そこにはもうクラウディアとスピカの姿はありませんでした。
―迫り来る巨大な黒い渦=忘却が2つの惑星に迫り、大きな口を開けて飲み込もうとしていました。
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