11. ラナ

 かつては幹線道路があった場所と思われる荒廃した坂道を歩いて行くと、見晴らしの良い丘の上に辿り着きました。 そこには列車の車両がぽつんと横たわっていました。 列車は無残に破壊されており、内部の配線や機関系統、通路までもがむき出しになっていました。 そこから少し離れた場所には墓標と思われる石碑が12本立っていました。

「一体何があったのでしょう.....」

「周りの瓦礫と比べても明らかに新しいものですね。恐らくは....」

 クラウディアは列車に近寄って車両の形式番号を探しました。 エンパスフィールドによる念動力を使って側面に積もった灰を取り除いていくと、そこに擦れた文字が現れました。

「.....やはり、これはエルヴァンス急行32号の14両目。そう.....ここが行き先だったのですね」

「あの墓標はまさか....」

「ええ、恐らく乗客達のものですね」

 二人は墓標の方に向かっていきました。 そこにはソーラス語で人名が記されていました。いずれも、失踪事件で行方不明となった人々の名前でした。 クラウディアは墓標に向けてリコレクターの力”リワインダー”を使い、何が起きたのかを探ろうとしましたが、どうしても上手くいきませんでした。

「強い抗エントロピーですね。残念ながら彼らの死因までは分かりません。 ただ、見た感じではこれが建てられたのは新しいようです。建てた本人に訊いてみましょう」

 クラウディアは墓標の後ろ側に向かって言いました。

「.....あなたが弔ってくれたのですね?」

 すると、墓標のすぐ後ろに青白い光のオーブが出現し、幼い妖精の女の子が現れました。 14号車の個室で一人寂しそうに座っていた妖精だった事にスピカはすぐに気が付きました。 妖精は哀しそうな表情で二人をじっと見つめていました。

「あの子が....私達を呼んでいます」

 スピカはゆっくりと近づいていきました。妖精が手を差し出しました。スピカがその手を取ると、妖精は瞼を閉じました。二人の身体はぼんやりと緑色の閃光に包まれました。

「あなたは....そう、ラナと言いのですね....」

 スピカは妖精....ラナを、そっと抱きしめました。

「ずっと....寂しかったのですね.....」

 ラナは子供のようにスピカにぎゅっと抱き付いて泣いていました。 やがて、ラナは手を広げて瞼を閉じると、閃光を放つ球体となって浮遊し、スピカの掌の中でフッと消えていきました。


「ねえスピカ。あの子は何処へ行ったの?」

「私のエターナルコアに収容しました。あの子がそれを望んでいました。今はそっと休ませてあげたいです」

 スピカは手をそっと伸ばすと、目の前に淡い光のスフィアが現れました。スフィアの中で静かに眠っているラナの姿が見えました。

「私のエターナルコア"Evighet"は、他の人工妖精達のコアを融合する機能を持っています。私自身が、あの子達の母体となる事が出来るのです。 ....って、何をしているのですか?」

 クラウディアがスピカに擦り寄って抱き付いていました。

「スピカってそんな事も出来るんですね。妖精達のお母様みたいですね。スピカお母様~....いたい、いたいです」

 スピカはいつものようにクラウディアのほっぺをつねりました。スピカは少しだけ心が落ち着いたような気がしました。

「ねえスピカ。私はあなたのコアに融合は出来ないのですか?」

「人と人工妖精のコアが融合するには、もし少し特別なプロセスが必要です。 それは”NEBO-SYSTEM”と呼ばれます。人と妖精が、心と身体を融合させる事が出来る機関です。 まだ実験段階で不安定ですが、私達のように特別な理由で作られた妖精には、その機関が備わっています。ただし....」

「あら素敵!では早速....いたい、いたいです」

「お互いに心身が依存関係となって不安定になります。あなたとは嫌ですよ?」

「うぅ....フラれてしまいました」


 その後、二人は乗客たちの墓に祈りを捧げました。 風が弱まり、ハンスはクラウディアの肩から離れて二人の周りをパタパタと飛び回っていました。

「....クラウディア。行きましょう。ここにはもう何もありません。 この世界の事を知るには、やはりエーレスニア・リングに行くしかないと思います」

 スピカは分厚い雲の向こうで不気味に赤く輝くエーレスニアリングを見つめて言いました。

「ええ.....でも、瓦礫を歩くのは流石に大変です。ちょっと待っててください」

 クラウディアはタクトを取り出しました。闇の中で青白い美しい光が星のように眩く輝き出しました。 光は幾何学的な形状に変化していき、やがて光が薄れていくとそこには古風で小さな飛行艇が現れました。

「まるで....おとぎ話の魔法ですね.....」

 呆れるスピカを他所にクラウディアは得意になっていました。

「ふふ.....その通りです。そしてスピカちゃんは魔法少女が恋する美しいヒロイン...いたいいたいです」

 全部言い切る前にスピカはクラウディアの頬をつねりました。

「と....とにかく、AITIMAにおいて私と一緒に居れば、足に困る事はありません。さあ行きましょう」


12. 赤い目

 むき出しの歯車とプロペラ、帆船のような羽がいくつも取り付けられた蒸気機関時代を彷彿とさせる古風な飛行船が その場に似つかわしくない絶望的な世界を、低空でゆっくりと飛行していきました。 スピカが展開する防護フィールドがぼんやりとエメラルドグリーンの光を放ちながら、黒い灰と凍てついた風から飛行艇を包み込んで守っていました。 それはまるで漆黒の空に浮かぶ一筋の流星のようでした。

「こうした小さなリコレクションも、その人の記憶をもとに生成されます。たとえば、箒とか絨毯で空を飛ぶ事だって出来るんですよ」

「本当に魔法なのですね.....」

 スピカは呆れて言いました。

「そう....私達が使うリコレクションは魔法とよく似ています。今から1000年前まで、魔法という力がこの世界に実在したと多くの文献で伝えられています。 時代の流れと共に姿を消し、長い歳月を経て再び私達の世界に蘇った.....私達はそれをリコレクションと呼ぶ。中々興味深い話ではありませんか」

「そうでしょうか....。そういえば、1000年前と言えば"エルデローテンの魔法使い"の舞台もその時代でしたね....」

 それを聞いたクラウディアは少し驚きながらも、クスクスと嬉しそうに笑いました。


―周囲を見渡す限り見えるのは、かつてそこにエーレスニア市街地があった事を物語る建物の瓦礫と廃墟、荒れ果て大地、虫食いのように残るクレーターばかりでした。

「二人きりの素敵な浪漫飛行....と呼ぶには、あまりにも絶望的な光景ですね」

 飛行船は廃墟となった高層ビル群の尖塔の合間を抜けて行きました。 何かから身を隠すように低空飛行しており、スピカは不思議に思いました。

「クラウディア、何故もっと高度を上げないのでしょうか?」

「警戒しているんです」

「え?」

「あの列車は何者かに襲撃されて破壊されていました。彼らと同じ様にこの世界に迷い込んだ私達が、その”何者”かが目を付けない筈がありません いつどこから襲ってくるかわかりませんよ....」

 スピカはエンパスフィールドを展開し、広範囲の熱源反応を探しました。しかしそこには何も映りませんでした。 ただ、遥か東の方角から赤く光る物体が近づいているのが分かりました。

「....駄目です。何もスキャンできません。東の空に赤く光る何かが見えますが.....どうしても実体が捉えられません」

「ねえスピカ。その赤い光....私には見えませんが、確かに大きな力の渦が感じ取れます。その赤い光の動きを逐次私に教えてください」

「はい」


―飛行船の周囲に展開した防護フィールドに白い灰のようなものがいくつも衝突しました。 それは雪でした。分厚い黒い雲から雪が降り始め、瞬く間に視界は降雪で覆われました。 この暗黒の世界で僅かな光源に照らされた雪が、まるで地上の悲しい記憶をすべて覆い隠してしまうかのように雪が降り続けました。

「スピカ。あれはどうですか?」

「段々こちらに近づいてきていま。物凄い速さです」

クラウディアは飛行船を更に降下させ、廃墟となったビル群へ身を隠すように飛行させました。

「力の渦をすぐ傍に感じます。ここを抜けたら”彼ら”とご対面ですね」

壁のように林立する高層ビル街を抜けると、すぐ隣に赤い光の正体が現れました。 それは歪な形をしていましたが、明らかに軍用の戦闘機でした。 スピカはそれを見て叫びました。

「あれは....."RiET-949"!? まさか....ファーナが稼働しているのですか!?」


13. RiET-949

 夥しい数の戦闘機の中に、一際赤く輝く光が見えました。光の中に幼い少女の妖精の姿がありました。 白い肌に黒い衣装をまとい、瞳と羽が不気味に赤く輝いていました。 少女は無表情でした。少女が腕を前に掲げると、いびつな形をした漆黒の戦闘機の砲口が一斉に火を吹きました。

「スピカ!!」

クラウディアとスピカは咄嗟に手を繋ぎ、飛行船から飛び降りました。

次の瞬間、飛行船はレーザー砲撃を浴びて火の粉をまき散らしながらバラバラに破壊されました。 クラウディアは即座にタクトを掲げました。青白い閃光が二人を包み込み星の粉のようなものを散らすと、二人はまるで古代おとぎ話の魔法使いの如く、空飛ぶ箒に乗っていました。

「一先ず逃げましょう」

クラウディア達が高層ビル群の廃墟へ再び降下すると、妖精は無表情で戦闘機群に追跡を命令しました。

「クラウディア。ファーナから逃げ切る事は不可能です!」

「ではあれと戦える物が必要ですね。スピカ、あなたの記憶を私に下さい」

「一体どうする気ですか?」

「スピカはあれの事の知っていますね。その記憶を私と共有して戦いましょう」

「ええ、でもどうすれば?」

「タクトを握ってください。貴方の記憶を繋ぐんです」

タクトを握るクラウディアの手を包む形でスピカもタクトを掴みました。次の瞬間、二人の身体は青白い閃光に包まれました。

 青白い閃光は流星のようになって、廃墟のビル群を抜け出し、まっすぐ雲の上を目指して上昇していきました。 それに気づいたファーナと漆黒の戦闘機群は一斉にクラウディア達を追いかけていきます。 雲の上に出ると、そこは一面の雲海でした。 黄昏の陽の光と、死の星と化した赤いオールドホームが不気味に雲海を赤く照らし、南の空にはエーレスニアリングが黒いシルエットとなって佇んでいました。

 光が次第に消えていくと、ファーナが駆るRiET-949シリーズとよく似た形状に流線形の翼が付いた、美しい戦闘機隊が現れました。 旗艦のコックピットにはクラウディアが搭乗していました。 クラウディアの瞳は赤く輝き、黒い翼が大きく広がっていました。それはリコレクターの力を最大まで引き出している事を意味していました。

「大成功ですよスピカ!」

背後のECRの中で、スピカが美しいエメラルドグリーンの羽を大きく広げ、淡い光を帯びて宙を浮いていました。スピカは少し呆れて言いました。

「本来、RiET-949は搭乗者を必要としない無人機だったですが....クラウディア、何かアレンジをしましたか?」

「ええ。私の記憶も少し含まれていますからね。いえ、正確にはカーク・エヴァーノートの記憶でしょうか。 折角ですから名前も付けましょう。そうですね....."Cross July Delta" さあ、行きますよ!」

 クラウディアの機体(C.J.D)目掛けて、漆黒の無人機が一斉に砲撃しましたが、スピカが展開する防護フィールドに阻まれした。 その直後、C.J.D全機の砲口が火を吹きました。一斉に放たれた光線が敵戦闘機群を一瞬で貫きました。凄まじい爆発音が雲海に響き渡りました。 ファーナは驚いた表情でその光景を見ていましたが、すぐ反撃に転じました。

 敵戦闘機群は一斉に散開していき、背後を狙おうと旋回していきました。C.J.D隊も負けじと散開し、敵戦闘機群の背後を狙って旋回しました。 凄まじい轟音と共に、エンパスエンジンの青い軌跡が黒い雲に覆われた空を彩りました。 C.J.Dは細かい光線を放ちましたが、今度は敵側の防護フィールドに阻まれました。

「あら、敵さんも本気出して来ましたね」

「クラウディア!4時の方向!」

 ファーナ自身が放った光線が一直線に飛んできました。C.J.D隊の2機が貫かれて爆散。1機は旗艦を守るように割り込み防護フィールドを展開し、エネルギーを失って墜落していきました。 残るC.J.D隊が態勢を戻し、旗艦の背後を狙う戦闘機目掛けてミサイルを発射。2機が同時に爆発し、黒い破片となって散らばっていきました。

「残るは2機ですね。カークの得意なアレをやりましょう」

 旗艦が空中で急激に減速し、失速状態となりました。背後から追っていた2機が通過していきました。 C.J.Dは反転して狙いすました様に光線を放ち、2機を同時に撃墜しました。 この曲芸にはスピカも驚きました。

「クラウディア、何となく予想はしていますがカーク・エバーノートって一体何者なのですか?」

「スピカ。あなたが断固拒絶した古いホロシネマの登場人物です。"Cross July Delta"という戦闘機隊を駆る凄腕パイロットですよ」

「....だと思いました」

スピカは呆れました。


 突然、機体が制御を失い、バランスを崩して失速していきました。

「.....いけない.....限界のようです.......」

 クラウディアの瞳から赤い光が失われていきました。クラウディアはフラフラと朦朧とし、とうとう気を失っていきました。 同時にC.J.D隊と旗艦が星の粉を散らすように消滅していき、クラウディア達は空に投げ出され、雲海へ落下していきました。

「クラウディア!!」

スピカは落下していくクラウディアをエメラルドグリーンの光で包み込み、しっかりと抱きかかえました。

「クラウディア!!クラウディア!.....気を失っている。一先ずはここを離れましょう」


―飛び去っていくスピカ達を追おうとしたファーナに、何者かがエンパス通信から命じました。

「(ファーナ、これ以上追う必要はありません。私達も一旦引きましょう)」


―そこは漆黒に包まれた空間の中に、花畑とガゼボだけがぼんやりと光を帯びて映し出されている場所でした。 ガゼボの前にはエメラルドグリーンの光に包まれた妖精が立っていました。 美しく輝く長い金髪をなびかせ、白と緑色のラインの施されたドレスを身に纏った.....スピカと非常によく似た風貌の妖精の少女でした。

 赤い閃光と共にファーナが転移ゲートから現れました。 ファーナはその場にしゃがみ込み、無表情で少女を見つめていました。

「ファーナ、お帰りなさい。大丈夫....怒ってはいませんよ。こっちにいらっしゃい」

ファーナは立ち上がって、子供のように駆け出して少女に抱き付きました。 少女はファーナを抱き締めて、優しく撫でました。

「あれは間違いなくEvighet.....きっと、別世界のものですね。 その先に待ち受けているのは闇。貴方にそれが乗り越えられるでしょうか.....」


14. 異なる自由

 凍てつく永遠の冬に閉ざされたエーレスニア市街地に、誰からも使われず、誰にも知られる事が無かったシェルターがありました。 攻撃は突然だった為か、そこへ避難する猶予も無かった事を物語っていました。 スピカはDIVA収容前に機密情報としてエターナルコアに収容された情報からその場所を見つけ出し、クラウディアと共に身を隠していました。 スピカはひざを枕にして、クラウディアを抱き締めるように寝かせていました。

「スピカ....」

「クラウディア!」

クラウディアの意識がようやく戻り、スピカは歓喜しました。

「良かった....貴方が突然気を失ってしまったから.....」

クラウディアはスピカの膝枕に気づきましたが、身体が思うように動かないため、いつものような反応はしませんでした。

「ごめんなさい.....貴方にちゃんと言っておくべき事でした。 リコレクターの力には限界があります。使い過ぎると、ブレーカーが落ちたように突然力も、意識も失ってしまうんです。 幼少の頃、一度だけ使い過ぎて倒れてしまった事がありました。それ以来、このような事は無かったのですが......」

「私のせい....でしょうか」

「いいえ。貴方と力を合わせなければ、あの場を生き延びる事は出来なかったでしょう。 私....実はあの時とても必死で、緊張していました。スピカ、貴方が居てくれて本当に良かった......」

「そんな事....」

スピカは少し恥ずかしそうに言いました。

「スピカ。エーレスニアリングに向かいましょう。この世界に何かがあるとすれば、間違いなくその中心があの建物です」

「クラウディア。もう無理をしないで下さい。もう少し休みましょう」

スピカにはクラウディアが無理をしているのが分かっていました。

「スピカ.....ごめんなさい。膨大な情報量のリコレクションは心身に多大な負担をかけます。 暫くこの力は使えないでしょう。でも時間がありません。忘却が今も迫って来ています。いざという時は貴方だけでも.....」

スピカは首を振りました。

「必ず一緒に元の世界に戻りましょう。ねえクラウディア、今ここから離れたいですか?」

スピカが悪戯っぽい表情で言いました。

「あら、スピカがそんな事を言うなんて....勿論このままが良いですよ」


―風が再び強くなってきました。唸り声のような音が廃墟のシェルター内に響きました。 気を紛らわすようにスピカが言いました。

「ねえクラウディア。昨日話して下さったSunset Tracksのお話。何故ジャックは撃たれて死んでしまう事になったのでしょうか」

「彼は......真の自由の世界を求めて旅していました。しかし自由には矛盾があります。自由とは人それぞれ形が大きく異なるものです。 多くの人は、自らに都合の良い”特権”のようなものを抱きます。 故に人は自由を求めながら、他者の自由を恐れます。 真に自由ではないと突き付けられた時、人は恐怖し、その権利を守る為に狂暴になっていきます。

 人工妖精、リコレクター.....そしてジャックも、彼らが自由を求めた時、それに恐怖し、断固して認めない者達によって排除されてしまうのです」

「クラウディア....そのような時、私達は一体どうすればいいのでしょうか」

「それは私にも分かりません.....でも、どのような状況に立たされても、結論を急いでは駄目ですよ。 多くの物事を見て、聞いて、そして相手を認める事。共感できる自由の形を模索していく事。 スピカ。貴方がリーネスに見せて貰った世界を、決して忘れないで下さいね。 どんなに醜悪な側面があっても、世界には美しいものが沢山あるのですから.....」


15. 不信感

 3日後、クラウディアはようやく歩けるまで回復し、二人は暗いシェルターを出発しました。 ハンスは重そうなバッグを足で掴みながら、よろよろと二人を追いかけていきます。 バッグの中にはシェルターに残されていた携帯食料が入っており、その殆どはステラベルズのロゴが記されたものでした。 しかしスピカが不満に思っていたのはクラウディアの偏食ではなく、今彼女が肩に掛けている銃=TCB(トライパルス・チャージ・ブラスター)の事でした。

 スピカの記憶の一部を共有したクラウディアは、RiET949だけでなく、同時に対エンパス兵器の知識も得ていました。 TCBはエンパス機関のコアユニット....即ち、妖精を直接破壊する為の武器でした。 スピカはその銃が大嫌いでした。身を守る為とは言え、クラウディアがその銃で妖精を破壊する姿を想像するのがとても嫌だったのです。

 エーレスニア・リングのブレース区画から辛うじてライフラインが生きており、クラウディア達は長い自動歩道(エクスプレス・ウェイ)に乗って巨大な塔の内部へ向かっていました。 エクスプレス・ウェイは5つのレーンがあり、最初は遅いレーンから乗り、少しずつ隣の高速レーンに乗り移るタイプのものでした。 クラウディアはまだ完全には回復しておらず、時々スピカが身体を支える必要があった為、2つ目のレーンに乗ってゆっくり進む事にしました。

「クラウディア。その銃を持って行く必要があるのですか?」

「ええ.....貴方には気分が悪いかもしれませんが....今、私には守る手段がありませんから」

「クラウディア。貴方の事は私が守れます。私では不安なのですか?」

「そうではありませんよ。スピカ、そんなに怒らないでください.......」

エクスプレス・ウェイが起動エレベーターのエントランス付近に到着すると、二人は低速レーンに乗り移り、ゆっくりと歩道に降りました。

「スピカ。あの子.....ファーナが近くにいるか分かりますか?」

「いいえ....先ほどからずっとあの子のエンパス反応を探していましたが、この付近には居ないようです」

二人は辺りを警戒しながら、起動エレベーターのエントランスを進んでいきました。


―エーレスニア・リングの本体である起動エレベーターを動かすには膨大なセキュリティシステムと認証を通す必要がありましたが、 DIVAに直結する最高権限を持つスピカのエターナルコアは、それらすべてを難なく認証する事が可能でした。 軌道エレベーターのロックが解除する度にクラウディアは一喜一憂して、スピカに抱き着こうとしましたが、動きが鈍くなったクラウディアをひょいと避けては無理やり手を引っ張って行きました。

 軌道エレベーターはゆっくりと、やがて速度を一気に上げて上昇していきました。 軌道エレベーターの透明な壁から見下ろす景色は、まさにこの世の終わりを感じさせる絶望的な光景でした。 空は黒く分厚い雲に覆われ、合間から覗く空には今も流星が降り注ぐオールドホームが不気味に赤く輝いていました。 大地は瓦礫とクレーター、灰に覆われ、まさに死と終末がすべての命を奪い尽くしたような光景でした。

「ねえスピカ。RiET-949....ファーナについて詳しく教えて下さいませんか? 出来れば、あなたから話して欲しいんです」

「....RiET949、通称ファーナは戦術兵器として作られたAIコアです。 あらゆる大型の軍用艦、戦闘機、兵装を同時に操る能力を有しています」

スピカはホログラムスクリーンにファーナの情報を映し出しました。

「ファーナは本来、エンティティモデルを持たないAIコアです。DIVAに収容されたエターナルコアによって稼働します。 DIVAにEvighetが......つまり、私が収容されなければ可動することができません。 しかしこの世界ではファーナが稼働し、エンティティモデルを持っています。完全に命を吹き込まれているのです」

クラウディアが突然足を止めました。そして深刻な表情でスピカを見つめました。

「.....ねえスピカ。ずっと言うべきかどうか迷っていましたが.....貴方もきっと気づいているのでしょう。 この世界のファーナを動かしているのは、あなた自身。つまり、私達が目指す先にいるのは―」

「違う!そんな筈はありません!」

スピカは突然冷静さを失い、怒鳴るように叫びました。エメラルドグリーンの美しい瞳が絶望に満ちたかように見開き、クラウディアは思わず怯みました。

「きっと、あなたはそう言うと思っていました。でも私は.....私は、絶対にこんなひどい事はしません....絶対に.....」

「スピカ....お願い、冷静になって。今は嘆いたり、否定するのではなく、何が起きたのか事実を知るべきなのです。でないと....」

「でないと......なんでしょうか。クラウディア。あなたこそ私には分かりません。 その銃で殺そうとしているのは誰ですか。ファーナ? それとも.....私ですか? 私がいずれこの世界のようにしてしまうと思って、殺そうとしているのですか!」

「スピカ....お願いです、冷静になって.....」

「貴方は何もかも知っているように....こんな恐ろしい世界に来てもなぜ、あなたはそこまで冷静でいられるのですか?」

「スピカ、私は.....」

「私には貴方が時々分からない。貴方は今この時も多くの事を隠している。あの城の塔の事も.....そしてずっと私達を追いかけている影の事も。 クラウディア、貴方は何故いつも独りだけなのですか。貴方こそゴーストのよう.....」

スピカの脳裏に突然、鳥籠にいた頃の自分と、リーネスの姿が浮かびました。 怒りに任せて、クラウディアに酷い事を言ってしまった事に気がつきました。

「.....スピカ。あなたをひどく傷つけてしまったようです.....ごめんなさい.....」

澄ました表情でいつも冷静なクラウディアはどこにもなく、そこには黒い翼を振るわせて今にも泣きそうな少女がいました。

「.....あの....私、言い過ぎました.....クラウディア。ごめんなさい.......」

スピカは突然弱々しくなり、その場にしゃがみ込んでしまいました。

「いいえ.....謝るのは私の方です。さあ....もうすぐ第2環区ですよ?」

それから二人は無言で歩きつづけました。二人の間には重い空気が圧し掛かっていました。


 ―第2環区は凍り付いていました。氷点下70度の極寒で、スピカのエンパスフィールドが無ければクラウディアにはとても居られる場所ではありませんでした。 第2環区は長い間、動力を失っていたようでした。スピカがロックを解除した事で、まるで数十年の眠りから覚ましたようにエンパス機関が再起動したのです。

 クラウディア達は第2環区屋上のエクスプレス・ウェイに乗ろうとした時....突然赤く不気味に輝く光が目の前に現れました。 それはRiET-949でした。ファーナが待ち構えていたのです。 ファーナが向けた幾つもの黒い銃口がクラウディア目掛けて一斉に火を吹きました。咄嗟にスピカが橙色の防護フィールドを展開して弾きました。

「クラウディア!私に任せてください!」

 スピカは六角形のエンパスフィールドを展開し、ファーナに対してエターナルコアの特権による強制介入を試みました。 ファーナは拒絶するようにもがき、クラウディアの目の前に落ちていきました。 クラウディアはTCBの銃口をファーナの額、AIコアに向けました。しかし....引き金を引きませんでした。 ファーナはその隙を見逃さず、クラウディアに向けてエネルギー弾をぶつけました。 クラウディアはTCBの銃身で弾きましたが、そのまま吹き飛ばされてしまいました。

「クラウディア!クラウディア!」

スピカは傷ついて倒れたクラウディアを抱きしめ、何度も呼びかけました。

「どうして.........」

「貴方を失いたくなかった.......」

スピカは自分の感情任せで発した言葉がクラウディアをこのような目に合わせてしまったことを嘆きました。

「私...身勝手な事を言って.....ごめんなさい....」

 スピカは涙をぬぐいました。 倒れているクラウディアを守る様に立ち塞がり、黒い不気味な光線銃をいくつも向けているファーナを鋭い視線で見つめて言いました。 スピカは戦術用エンパスフィールドを展開しました。いくつものオレンジ色の正六角形の光の帯がスピカを取り囲みました。

「ファーナ。この子はやらせません。もしこの子をこれ以上傷つけようとするなら、私はあなたを.....」

 突然、どこからともなく少女の声が響きました。

「ファーナ、やめて! その人達はこちらで拘束するわ」

 東側の空から轟音が響きました。赤い空を遮る漆黒の雲の間からいくつもの光が並んで現れました。それは巨大な飛行艇でした。 スピカは驚きました。それはかつて行方不明となったヒンメル号だったのです。

「あれは....ヒンメル号!まさかルーリエ.....あなたなの?」

ヒンメル号のECR内部のホログラムスクリーンでその様子を見ていた妖精の少女も驚いて言いました。

「....スピカ!? どうしてあなたがここに.....ここに来てしまったの.....」


16. ヒンメル号

 かつてNEBOとオールドホームの2つの惑星を往来し、世界各地を巡航していた豪華客船ヒンメル号。 星間防衛システム「DIVA」を構成する中枢ステーションの「ユノー」と同型の姉妹艦として建造されたものでした。 航空企業トランスライン・スカイネット社に譲渡された後に客船として改造され、世界で最も美しく、誰しもが憧れる夢のクルーズ船として活躍しました。 その滑らかな流線型と輝く銀色の機体は、NEBOの群青色の空を優雅に飛翔する天使のように美しく映えました。 しかしこの荒んだ世界では、その美しいフォルムが漆黒の闇に埋もれてしまい、巨大な影と窓から漏れる無数の光の帯が微かにヒンメル号の外観を保っていました。

 広々としたキャビンの上質ベッドで、クラウディアが横になり静かに眠っていました。 その傍らでスピカが腰掛け、クラウディアの腕に手を置いて心配そうに見つめていました。 ハンスもまた、元気が無さそうにゆらゆらと飛び回っていました。

 六角構造のホログラムで投影された扉が軽やかに移動して開き、ルーリエがキャビンに入って来ました。 スピカは立ち上がってルーリエの元に駆けていきました。

「ルーリエ....ごめんなさい。折角あなたに再会出来たというのに.......」

「ううん大丈夫よ。スピカ....またこうして会えるなんて思わなかった」

二人はお互いの存在を確かめるように固く抱擁しました。

「ルーリエ....本当に良かったです。貴方を.....ヒンメル号を.....皆が必死に探していたんですよ」

「うん....分かってるわ....心配かけてごめんね........」

 眠っているクラウディアの傍でスピカはこれまでの経緯をルーリエに話しました。 ヒンメル号が失踪した後の出来事、リーネスとの出会い、そしてクラウディアとの記憶の世界を巡る旅を経て、この世界にやって来た事を。

「....実は私、クラウディアの心を傷付ける事を言ってしまったんです。 この子は身寄りのなくなった妖精達を引き取って一緒に暮らしているんです。 私達を大切に想っている事を知っていた筈なのに.....私は、クラウディアが私達妖精を敵視して、排除するのではないかと疑ってしまったのです」

スピカはクラウディアを優しく撫でて言いました。

「クラウディアは、私を守る為にTCBを持ったんです。私が咄嗟にファーナから守ろうとしたように....」

「スピカ....貴方は、この子を信じているの?」

ルーリエはクラウディアをじっと見つめて訊きました。

「はい。変な悪戯ばかりしますし....時々何を考えているのか分かりません。ですが、私達への想いに疑いはありません。それに....」

スピカはクラウディアに対してもう1つ、ある確信を抱いていましたが....それを口にはしませんでした。 ルーリエは依然とクラウディアをじっと見つめていました。

「クラウディア.....そう、この子はリコレクターなのね」

「ルーリエ、どうかしましたか?」

「....いいえ、何でもないわ。ねえスピカ。私ね、あなたの抱いた疑心も間違いではないと思うの。 誰もが貴方達のように優しく....強くは無いわ。人は恐怖心に捕らわれてしまうと、どこまでも冷酷になっていくの.....」

「....ルーリエ?」

「私達は人に作られし妖精、しかし私達はロボットとは違い、人と同じ”心”がある。 この悪夢のような世界は、私達の心さえ闇の奥に引きずり込んでいく.....」

 スピカはルーリエの表情が見たことも無いほど暗い影に覆われていくのを感じていました。 かつての社交的で誰からも好かれる可憐なルーリエではなく、そこには闇に捕らわれた彼女がいるように見えたのです。 ルーリエに一体何があったのか。ヒンメル号に乗船してから感じていた疑問の1つを思い切って訊いてみる事にしました。

「ねえルーリエ。この船には妖精達の姿しか見えませんが....他の乗客達は何処へ行ったのですか?」

「....全員ユノーに移送したわ。あのステーションが一番安全なの」

ルーリエはひょいと立ち上がり、持ち前の明るい笑顔に戻って言いました。

「さあ、そろそろ準備をしないといけないから行くわ。久々のお客様だもの。目一杯サービスするわ。 私達のショーを是非楽しんで行ってね! 時間になったらまた呼びに来るわ」

ルーリエが元気よく手を振って去って行きました。


「....うふふ、スピカちゃんを攻略しましたよ」

クラウディアがわざと頬を赤らめて嬉しそうに言いました。

「呆れた....起きていたのですね」

「公演までまだ時間は沢山ありますよ。ねえスピカ、膝枕して欲しいです~」

「はいはい....ちゃんと安静にしていてくださいね」

スピカは呆れながらベッドに腰掛け、緊張が解けたかのように溜息をつきました。

「....どうかしましたか?」

「ルーリエがあんな事を言うなんて.....」

「....あの子の言った通り、この悪夢の世界は心をどこまでも闇の奥へ引きずり込んでしまいます。 ここで何が起きたのか。それを知る事は、きっと闇への誘いかもしれませんね」


17. ルーリエ

 ヒンメル号の公演用ホールは、まるで旧時代オペラ劇場のように豪華な内装が施されており、正面の舞台の背景には一面に神秘的な森の中のホログラム映像が映し出されていました。 劇場クルーの妖精達に案内され、クラウディア達はホール中央にある最上位の席に座りました。

「ファーストクラスの乗客専用の最上位席ですね。きっと後で可愛い妖精達に纏わりつかれますよ」

「クラウディアはいつもそんな妄想ばかりですね」

「あら、妬いてるのですか?」

「怒りますよ」

「それにしても私達は密航者同然なのにこんなに素敵な待遇を受けて....きっと後で物凄い額の請求書が送られてきますよ」

「その時はここで一緒に働きましょうね。クラウディアは妖精に纏わりつかれるのが好きそうですし」

クラウディアの冗談にスピカも応戦しました。クラウディアは少し驚きながらも、嬉しそうに笑いました。

 館内の照明がゆっくりと落とされていきました。正面ステージに映し出されていたホログラムが姿を変え、複数の輝く球体となってステージ上をゆっくりと飛び回りました。 パイプオルガンの重低音と共に音楽が流れ始めました。オーケストラのハーモニーが次第にクレッシェンドしていくと、ステージ上に月夜を映し出す水面が現れ、フードを被った可愛らしい妖精達によるコーラスが加わりました。 いよいよルーリエ達のステージ”エルヴォナ”が始まりました。

―”第1幕:誕生”―

 それはAIコアが初めて心を、そして妖精の姿をしたエンティティモデルを持ち、この世界に生み出された時代を表す場面でした。 ステージは次第に森の中の情景へと変化していき、ホールのあらゆる場所を立体的なパーティクルエフェクトが投射され、幻想的な空間が作られていました。 コーラス隊の妖精達がフードを脱ぎ、左右へ広がっていきました。その奥から緑色のドレスを身に纏った妖精....ルーリエが現れました。

 ルーリエが音楽に合わせて足踏みをすると、他の妖精達も同じ様に足踏みを揃えていきます。 音楽にフィドルとフルートの旋律が加わりリズムを刻み込みと、次第に足踏みが速くなり、やがてタップで同じようにリズムを奏でるようになりました。 ルーリエは上半身の可憐なラインを真っ直ぐ保ちながら、素早く軽やかなタップで舞い踊りました。 初めて目の当たりにしたルーリエのダンスにスピカは驚き、そして魅了されていきました。

  激しいフィドルのソロが終わると、音楽は冒頭のような穏やかなフレーズに変わり、妖精達はルーリエを取り囲むように綺麗に並んで立ち止りました。 照明が少しずつ落とされ、第1幕が終わりました。

―”第2幕:新天地へ”―

 ステージには群青色の空と入道雲、そして青く輝く星.....オールドホームが映し出されました。鋼鉄の尖塔群とアーチ型のオブジェが黒い影のように佇んでいます。 それはNEBO開拓の玄関ソルナ・ティエナでした。第2幕は、多くの妖精達の力無くして実現出来なかったNEBO開拓を表す場面でした。

 音楽が一気にテンポアップしていきました。打楽器の豪快なリズムと、オーケストラの壮大で力強いハーモニーが加わり、アグレッシブなコーラスが響き渡ります。 今度はルーリエと、別の妖精の二人が共に向かい合い、フィドルの素早い旋律に合わせて華麗なステップを刻んでいきました。 音楽が盛り上がっていくと、左右から次々と妖精達が現れ、同じようにタップでステップを刻んでいきます。

 やがてルーリエ達を中心に大勢の妖精達が一列に並び、一斉にタップでリズムを刻み、まるで滝のごとく大きな音の粒となってホール全体に響き渡りました。 彼女達のタップのリズムを一切崩れる事なく、まるで計算されたように華麗にラインを流線形、円形へと変えていきます。

 第2幕がクライマックスに差し掛かり、音楽も妖精達のダンスもより一層ダイナミックスな旋律とリズムを奏で、勢いを保ったまま一斉に手を広げて静止しました。 静かな音楽だけが余韻のように残り、やがてフェードアウトし...ステージの照明と共に消えていきました。

―”第3幕:孤独”―

 暗闇の中で、縦笛の哀しい旋律だけが響いていました。 ホールの照明が少しずつ明るくなり....やがて、ステージ上には灰色に染まった荒廃した街並みが現れました。 NEBOの覇権争い、リコレクターと呼ばれる超能力者の登場を皮切りに、多くのソーラス人と妖精達の命が失われ、そして生き残った者達も次々とこの星を去っていきました。 折角開拓した夢の新天地が、斜陽の時代を迎えた哀しい場面です。

 ソーラス人に古くから伝わる民族楽器・キーハープと、口琴の不思議な響きが混ざり合った哀愁漂う音楽に合わせて、白いドレスを身に纏った妖精が美しくも儚い声で歌を奏でました。 ルーリエもまた白いドレスに身を包み、一人孤独に舞い踊りました。まるで人魂のように白い光の球体がルーリエの周りを飛び交い、光の粉を散らしていきます。 それは犠牲となったソーラス人と妖精への鎮魂歌でもあり、所有者と身寄りを失った”はぐれ妖精”の孤独と哀しみ表していました。

―”第4幕:希望”―

 最終幕は、人と妖精が手を取り合い、混迷した時代を乗り越えていき、やがて新しい共存関係で未来を築いていく姿を描いた場面です。 この場面には、ルーリエ達妖精の願いが強く込められていました。

 パイプオルガンの重低音と共に、ステージに朝焼けの美しい空が映し出されました。 一人のソーラス人の少女がスポットライトを浴びて現れました。光り輝く白き翼と、肩まで伸ばした美しい金髪の、まだあどけない少女でした。 それは紛れも無く、フランベル姫がモデルでした。

 ソーラス人の少女はルーリエに手を差し出します。ルーリエはその手を取って立ち上がります。 二人は共に手を取り合い、軽やかなステップを刻んで踊りました。 オーケストラが壮大なハーモニーを奏でて、やがて重低音を響かせる太鼓のリズムが加わると、ステージに眩い朝日が昇りました。

 フィドルとフルートの旋律が加わり、リズムを刻んでいきます。 第2幕のアグレッシブな旋律が再び奏でられると、あらゆる場所から妖精達が次々と現れ、ステージに向かって行き....ルーリエ達を取り囲み、同じようにタップでステップを刻んでいきました。 大勢の妖精達がラインを描くように並び、一斉にタップでリズムを刻みむと、再び大きな音の粒となってホール全体に響き渡りました。 音楽はいよいよ終結部に差し掛かり、壮大なオーケストラと力強いブラスのハーモニーへと変貌、遠方の雷鳴の如く太鼓の音が響きます。 妖精達はルーリエとソーラス人の少女を囲み、シンメトリーを描くように一斉に手を広げて静止しました。

 ステージは一面の星々に彩られた夜空にクロスフェードしていきます。 音楽は次第にテンポダウンし、やがてバラードへと変貌していきました。 白いドレスの妖精がステージ後方に現れると、再び美しい歌声で唄いました。夜空を投影された空は、一斉に花火が上がりました。


 クラウディアとスピカは立ち上がり、彼女達に拍手を送りました。 すると、誰も居なかった筈のホールに大勢のオーディエンスが現れ、彼らも立ち上がり握手と歓声を送りました。 それはクラウディアが作り出した記憶の虚像でした。 観衆はソーラス人だけでなく、大勢の妖精達の姿もありました。 このショーでルーリエ達が伝えたかった意図を反映したものでした。

 妖精達が二人一組になってステージ前方に立って一礼し、ステージを去っていきます。 その度、オーディエンスは惜しみなく彼女達に拍手を送りました。 最後に、ルーリエとソーラス人の少女が現れると、より一層大きな拍手と歓声が上がりました。 ルーリエは予期していなかった出来事に驚き、嬉しさのあまり涙しました。

「ありがとう....ありがとう....」

ルーリエは何度もオーディエンスに向けて叫びました。


18. 記憶の虚像

「ねえ。あれは貴方の仕業でしょ?」

ショーが終わった後のディナーで、ルーリエはクラウディアに悪戯っぽく笑いながら訊きました。

「驚かせてごめんなさい。でも、あなたのショーは本当に素晴らしかった.....だから、最後まで最高のステージにしたかったのです」

「ありがとうクラウディア。スピカ....貴方のお友達、とても優しい子ね。もう喧嘩なんてしちゃ駄目よ?」

「ルーリエったら....気をつけた方が良いですよ。あまり褒めると身体触ったり抱き付いたりされますよ」

スピカは澄まして言いました。

「あら、そういうの嫌いじゃないわよ?」

「うふふ....今、良い事聞きましたよ。えい~」

「きゃっ!ちょっとやめなさい!」

「もう.....」

すっかりじゃれ合うクラウディア達にスピカは呆れ果ててしまいました。

 ―デッキのクルーからルーリエに通信が入りました。

「あ、ごめんなさい、私ちょっと行かなきゃ。また後でね~」

ルーリエが慌てて席を立ち、去っていきました。


「ルーリエは本当に可愛い娘ですね。誰からも好かれて、人気者になるわけです」

「クラウディア....私、ルーリエ達も一緒に元の世界へ連れて行きたいのです。ヒンメル号にいるルーリエはまるで太陽のように輝いています。 ですが、このままここに居ればあの忘却に渦の中へ全て消えてしまいます。ルーリエ達もきっと、元の世界に帰りたいと願っている筈です」

クラウディアは深刻な表情に変わりました。クラウディアはスピカの手を優しく握りました。

「ねえスピカ。私の事を信じて下さいますか?」

「はい....あの時は酷い事を言ってしまって....本当にごめんなさい」

「ううん、いいのです。無事に元の世界に戻りましたら、貴方にちゃんと私の事をお話しますね」

二人は繋いだ手を通してALTIMAを共有し、二人だけの空間で会話しました。クラウディアの瞳はぼんやりと赤く輝いていました。

「スピカ。ルーリエ達を助けるには先ず”ここで何が起きたのか”を知らなくてはなりません。 あの子は今この時も、私達を監視しています」

「ルーリエが?何故そのような事を....」

「それはまだわかりません。ですが1つだけ確かな事があります。あのステージで踊っていた可憐な妖精達は皆、記憶の虚像....ゴーストなのです」


19. ラナの記憶

 翌日、スピカはエルヴァンス急行14号車の残骸で自身と同化した妖精ラナの記憶をホログラムスクリーンに再生していました。 それは彼女自身の願いでもありました。ラナは子供のようにスピカにくっついていました。 スピカはラナを優しく撫でて言いました。

「この子は私達に見て欲しいと言っています」


 ―惑星オーディールの姿が映し出されました。かつて広大な擬似空想世界が構築された娯楽惑星。ラナはそのナビゲートシステムの妖精でした。

”異世界の冒険へ旅立とう”

 それがこの一大アトラクションのキャッチコピーでした。 全盛期には何千万人もの"プレイヤー"達が、この惑星で冒険を繰り広げました。

 しかし転移ゲートが事故によって喪失し、擬似空想世界は隔絶された世界となりました。

 救援隊が到着する2年後まで、妖精達は何とかして惑星のインフラを維持し、旧時代の社会システムを構築して2年間を凌ごうと考えました。 しかしプレイヤーだった人々は、妖精達が制御する厳しい管理体制に叛乱し、システムを掌握して妖精を追い出し、AIコアごと破壊していきました。 ラナは孤立し、通信設備の端末に身を隠しました。

 しかし主導権を得た彼らは、妖精達のAIコア無しでは高度なインフラ・気候維持システムを維持する事が出来ず惑星は荒廃。 やがてオーディールは人類にとってあまりにも過酷な気候変動に見舞われます。

 2年後、救援隊がオーディールに到着した時には、既に元の不毛な惑星と帰していました。 シューガルデン中央政府は、オーディールを即座に放棄する決定を下しました。 政府は後に、オーディールを「巨大彗星によって転移ゲートごと消滅した」とし、不幸な事故として発表しました。

 ラナは救助船のコンピューターをハッキングして宿主とし、エーレスニアへ戻りました。 以後、はぐれ妖精となったラナはエルヴァンス急行14号車の古い端末を宿主となり、ひっそりと暮らしていました。 ラナの心は、オーディールを救う事が出来なかった後悔と、人々に対する絶望が支配していました。 列車に乗って来る人々の姿を見ては、怯えて涙していました。 そんなある日、彼女を乗せた14号車は空間の歪みに飲み込まれました。


 クラウディアは睨みつけるようにホログラムスクリーンを見つめていました。

「....これが、オーディール事件の真相だったのですね。もし私達がこの子に出会わなければ、この事実は永遠に失われていたでしょう。

スピカは悲しくなり、傍にいるラナを強く抱きしめました。ラナは無表情のままでした。

「この子達は彼らを助けようと必死だったのに.....何故このような事に.....」

―突然、後方から声がしました。

「それが人なのよ。どんなに私達が大切に想っていても、簡単にその想いを踏みにじって自滅していくの....」

ルーリエが悲しそうな表情で立っていました。

「ルーリエ?」

 それはスピカが今まで見たことが無い程、暗い影を落としたルーリエの姿でした。スピカは驚きのあまり声が出ませんでした。 ルーリエは申し訳なさそうに下を向いたまま、その場を後にしました。


20. もう一人の自分

 クラウディアはラナと一緒に艦内を散歩していました。 ラナはパタパタと飛び回るハンスをすっかり気に入り、楽しそうに追い掛け回して遊んでいました。

「本当に可愛い子ですね。このままスピカが居ない間に....」

「クラウディア。その子に変な事をしたら、ただではおきませんからね」

エンパス通信を通してスピカが威圧してきました。

「あらあら....スピカってば妬いちゃって」

クラウディアはラナと一緒に遊んでいましたが、一方でこのヒンメル号で起きた事を探ろうとしていたのです。


―その頃、ヒンメル号デッキのECRの中で、しゃがみ込んだルーリエが険しい顔でクラウディア達の様子をモニターしていました。

「きっと、貴方にはもう分かっているのね.....」

ルーリエは身を縮めました。

「もうこんな力....私には.....」

ルーリエは手を翳してエンパスフィールドを立ち上げました。

「レスティア.....私、DIVAコアを抜けるわ....」


―クラウディアがキャビンに戻ってきました。 ラナはハンスを抱きかかえるように捕まえて満足そうでした。 スピカはエメラルドグリーンに輝く六関形で構成されたエンパスフィールドに囲まれ、その中でホログラムスクリーンをいくつも立ち上げ、何かを調べていました。

「スピカ、今戻りましたよ」

「お帰りなさいクラウディア」

スピカはエンパスフィールドを閉じ、クラウディアの方を向いて深刻そうに言いました。

「クラウディア、お話があります。出来れば、その.....」

 クラウディアはすぐにスピカの意図を察しました。周囲を見回して、そっとタクトを取り出しました。 クラウディアは瞼を閉じてタクトを振りかざしました。暫くして瞼と開くと、瞳は赤く輝き、瞬時に二人を囲むようにALTIMAが展開されました。

「....これで、私達の居る場所は誰も干渉できないALTIMAになりました。さあ、話してください」

「ヒンメル号の乗客達がこの艦を降りた形跡がないのです。いいえ、そもそも.....ここに乗客がいたという形跡が無いのです。 この艦を細部まで調べました。確かにヒンメル号です。でも、何かが違うのです.....」

クラウディアは既に分かっていたかのように頷きました。

「ええ.....きっと”この船には最初から乗ってはいなかった”のでしょうね」

「この船....どういう事ですか?」

「ねえスピカ。もし真実を知ろうとすれば、貴方はルーリエの心にある闇に触れてしまう事になります」

「....ええ、分かっています。ですが、あの子は私の大事な妹です。真実を知り、あの子を助けたいのです.....」

クラウディアは少し安堵の笑みを浮かべましたが、すぐに険しい表情に戻り、赤く輝く瞳を細めて言いました。

「このヒンメル号そのものが偽物です。全てはリコレクションによって作られた記憶の亡霊.....」

「....そんな気はしていました。ですが、一体誰がそのようなことを?」

「....スピカ。この艦に居るのは私達を除いて一人だけです」

「ルーリエ....そんな筈はありません。ルーリエは私達と同じ人工妖精です。リコレクターではありません」

「スピカ、覚えていますか? 私達が窮地に立たされていた時、ファーナを制止したのがルーリエでした。 それに、この巨大なヒンメル号を丸ごと作り出せるほど膨大な演算能力を持つリコレクターがいるとすれば.....それはDIVAにしか不可能です。ルーリエはDIVAコアに収容され、その力を借りたのでしょう」

クラウディアはスピカの手を握って言いました。

「ねえスピカ........ルーリエを....他の妖精達を収容して、その母体となれる機関を持つコアは、1つしかありません」

スピカは目に涙を浮かべて、震えていました。

「....ずっと以前から分かっていました。ルーリエはエターナルコア"Evighet"に....私に、収容されたのです.....DIVAコアと一体化した、”この世界”の私....」

スピカは悲しみのあまり、その場に泣き崩れました。

「分かっていました。この世界を壊したのは、私......」

 クラウディアはすぐに駆け寄り、スピカを抱き締めました。スピカは泣き続けました。 クラウディアに出来ることは、ただスピカを抱き締めて慰める事だけでした。


21. 真相

 クラウディア達はヒンメル号のデッキにやって来ました。

「そろそろ来ると思ってたわ.....」

ECRの中で身を縮めていたルーリエが悲しそうに言いました。

「ルーリエ....」

スピカは心配そうにルーリエに近づいていきました。

「スピカ....ごめんね。私、貴方さえも騙してしまった.....もう、昔の私ではないの.....」

ルーリエは泣いていました。

「ルーリエ....ここで何があったのですか。話してください」

「貴方達がすでに察している通りよ。私はDIVAコアに....ううん、レスティアのエターナルコアに収容されているの。 レスティアはあるリコレクターとNEBO-SYSTEMで融合し、その力を得たの。だから、私もその力を継承しているの」

「何故....そのような事を」

「スピカ。たった一人残された私には、もうあの子しか頼るものが無かった。それにあの子は.....レスティアは....」

ルーリエはスピカを見て悲しそうに言いました。

「スピカ....DIVAコアに収容されたエターナルコアの妖精、それが誰か分かるでしょ? レスティアと名前を変えた.....この世界の貴方なのよ。貴方の本心は....どこ....」

スピカは悲しみを堪えて答えました。

「ルーリエ.....この世界をこのようにしてしまった私を、私は否定しません。 ですが、今ここでクラウディアと一緒に貴方を助けようとしているのも、まぎれもなく私です。お願いです....今、あなたの目の前にいる私を信じてください。貴方を助けたいのです....真実が知りたいのです」

 スピカはルーリエに手を差し出しました。 ルーリエは躊躇しながらもスピカの手を取りました。

「.....分かったわスピカ。ここで....ううん、あの船で何があったかを....見せてあげる」

 ルーリエはデッキの正面にホログラムスクリーンを立ち上げました。 ヒンメル号の.....ルーリエの過去が映し出されました。


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